サイアスの千日物語 四十四日目 その五
「何だありゃ…… 重騎か?」
兵士の一人がそう呟いた。
騎兵は専ら2種に大別され、機動力を活かして斥候や奇襲を担う
軽装騎兵すなわち軽騎と、人馬共に甲冑を纏い重量と突進力を活かして
突撃し敵を粉砕する重装騎兵すなわち重騎があった。
重騎は重量に耐えてなお機動力を損なわぬ強靭な身体と
馬本来の臆病な性分を敵陣に殺到し得る程に抑え込める鉄の意志を
兼ね備えた名馬の中の名馬が必要であり、平原広しといえども
これを戦術規模で運用できるのはカエリア王国のみであった。
重騎は四戦隊の軽騎衆に勝るとも劣らぬ速さで接近し、
サイアスのすぐ側まで来ると躍動感露わに前肢を上げて竿立ちとなり、
嘶きつつくるりと旋回。着地と同時に彫像のごとく不動を保ち、
鈍色の装甲を陽光に煌めかせた。金の刺繍で縁取りされた濃緑色の
掛け布の下からは明るい茶の毛並が覗いていた。
重騎を手足の如く操る騎士は白銀の甲冑に身を包み、右手には
螺旋の溝をもつランスを抱え、左手には剣樹の紋章が描かれた騎士盾。
兜の両脇には鹿角に似た枝飾りと色とりどりの羽根が飾り付けられていた。
「……ヴァディス姉さん?」
サイアスは首を傾げつつそう言った。
「……えっ!?
あのヴァディス殿なのか?
城砦軍師でお前の姉の」
騎兵らは驚きを隠しきれないようだった。
重騎兵と言えば騎兵の中でも精兵中の精兵であり、
後方支援が主体の軍師のイメージとはかけ離れていたからだ。
「そうです」
「そうです、っつってもお前、
どう見ても重騎兵……」
「本業はカエリアの騎士ですからねー」
サイアスはさも当然のようにそう答えた。
「……何で私だと判った」
面頬を上げた兜の下には、
見慣れたヴァディスの顔があった。
「何でも何も、一目で」
「あぁ、盾か」
「盾? あぁ紋章か」
サイアスは盾については今気付いたようだった。
「何だ違うのか?
甲冑無しだとまるで気付かなかったくせになぁ。
お前が私をどういう目で見ているかよく判る」
ヴァディスは声を立てて笑い、甲冑をならして肩を竦めた。
僅かに覗く亜麻色の髪が陽光を受け光り輝いていた。
「それよりどうしてここへ?」
「今日は夜まで暇なのでな。実地で馬術を指導してやろう。
代わりに夜は私に付き合え。指令室で宴の督戦だ」
「おー、有難うございます。
是非ともお願いします」
「うむ、任せろ。それで?
戦闘か? 戦闘だな。そうだろう。
匂いで判るぞ。では戦況を教えてくれ」
「どういう臭覚だ……
っと、実は……」
サイアスはヴァディスに状況を説明した。
「ふむ、一撃離脱の戦術を、か。
速度を保ったまま反転するには、敵周辺は少々手狭だな。
そうなると突撃後は北往路へと抜けることになるが
敵陣後方の状況は確認したか?
突っ切った先に罠やら本陣があれば目も当てられんぞ。
騎兵は移動を根幹に据えて戦術を組み立てねばならん。
移動先も確保しておかねばならんということだ」
「成程、すると……」
サイアスは暫し思案し、
「まずは敵陣を動かすか」
「悪くない」
サイアスの案にヴァディスは薄く笑った。
その頃には偵察部隊は4騎とも合流しており、
二班の4騎ともども重騎たる軍師ヴァディスに驚いて
突如始まった軍議の様子を窺っていた。
サイアスとの軍議を一通り終えた後、
ヴァディスは騎兵衆に向かって声を掛けた。
「さて御一同、弟の教育のため暫しお時間を頂きたい。
こうして騎乗はしているが、馬術については素人なのでね。
せめて騎乗戦闘のコツだけでも教えておいてやりたいのだ」
「構いませんとも。喜んで」
騎兵たちは快諾し、ヴァディスは掻い摘んで説明を始めた。
「騎乗時と歩兵時の最大の違いは重心位置にある。
歩兵の重心は腰にある。ゆえに腰を中心として体幹を移動させ、
体幹に付随する四肢の延長として武器を振るう。
だが騎乗時にこの常識は通用しないのだ」
ヴァディスはサイアスの騎乗するミカの脇腹、
そしてそこを覆うサイアスの脚を指差した。
「騎乗時に移動を担うのは人ではなく馬だ。
ゆえに人ではなく馬の体幹、馬の重心で考えねばならない。
そして馬の重心は、お前の膝の内側にあるのだ」
サイアスやラーズのみならず、騎兵全てが真剣な眼差しで
ヴァディスの講義を拝聴していた。
「単に跨り鞍に座っただけでは、
人は馬にとり面倒な背荷物に過ぎない。
人でいえば頭の上に柱を立てているようなものだ。
その状態で歩いている際に、柱が半ばで折れ曲がり
勝手気ままに動き回ってみろ。すこぶる邪魔で何より不快だ。
人が馬上で自らの腰溜めで自儘に武器を振るうなら、
振り落とされても文句は言えんぞ。
また、馬は人の意図を身体が接した部分から読み取る。
膝をきっちりと絞め全ての情報を脚から伝えるよう意識すれば
馬にとっては非常に楽だ。逆に膝の絞めが甘くどかりと鞍に
腰を落とした状態では、馬は腰から情報を読み取ることとなる。
戦闘時の挙動は馬にとって誤情報だらけだ。上手く動いてくれぬ
ばかりか、場合によってはその歩を停めてしまうだろう。
我々は馬にとり背荷物だということを忘れるな。
人は馬に対し立場としては主であっても
移動に関しては常に従なのだ。
膝を絞め、重心を馬に合わせて脚から的確に情報を伝達し、
馬の負担を軽減しつつ馬に動いて貰う。いわば馬は軍勢であり、
人は指揮官だ。指揮官が適切な指示を出せば軍勢はその精強さを
存分に発揮する。騎兵とは、一人と一頭で一個の軍隊であると考えよ。
これが出来れば、あとはオマケだ。手綱や舌鼓、鞭の類は枝葉末節、
究めれば鞍さえ不要となる」
ヴァディスはよく響く凛々しい声でそのように語った。
サイアスとラーズはその熱弁に心嚢を震わせ、馬への認識を新たにした。
騎兵たちにとっては熟知の事柄であったが、それでも再認識の契機となり
何度も深く頷いていた。




