サイアスの千日物語 四十四日目
午前6時頃。夏の日差しが内郭に鮮やかな列柱を描きだした頃、
サイアスは目覚め、まずは平服を纏って応接室へと顔を出した。
それを見て即座に厨房へと向かうデネブ。伊達眼鏡を直しつつ
書類に目をやるロイエや書物に熱中するベリル。いつの間にか
隣に腰掛けているニティヤ。威儀を正して朝の挨拶をするディード。
表面上は昨日と何ら変わらぬ光景であった。
ややあって戻ったデネブに続き、小隊の男衆が姿を見せた。
ラーズは相変わらず飄々としているが眼光は鋭さを増し、
ランドとシェドは表情の翳りが露わだった。
人と魔や眷属との会戦、通称「宴」は今夜が緒戦だと通達されており、
これが内郭の蓋がもたらす暗がりと相まって否定し難い重圧となり、
身心に圧し掛かってそのまま圧し潰そうとしていた。
「おはよう。昨夜伝えた通り、城砦は今日から完全な夜型になる。
四戦隊は夜間戦闘に注力する他戦隊を支援し日中の諸任務を引き受ける。
緊急の案件が発生することもあるだろう。これらに即応できるよう、
食後は各自武装し諸事に当たって貰いたい」
「お、おぅ」
サイアスの通達にシェドが生唾を呑みこみ返事をした。
普段からはあり得ない程覇気のない、掠れた声だった。
「食事は普段通りで構わないよ。
貴重な楽しみの一つだ。存分に堪能するといい」
サイアスは淡々とそう告げ、皆を促し朝食を頂くことにした。
歴戦のディードや名うての傭兵ラーズ、戦場を知るロイエなどは、
やや口数を減らしつつも普段通りに食事をしていた。
一方ランドやシェド、ベリルらはロクに喉を通らなかったようだ。
「残した分は包んでおいて後で食べるといい。
では一服したら打ち合わせをしようか」
会戦は初であるものの、既に何度も荒野で死地を抜けてきたサイアスは
持前の異様に高い精神力も手伝い、普段通りを通り越して絶好調であった。
ニティヤに至っては布地と糸に夢中であり、どのような服を仕立てるかで
頭がいっぱいのようだった。
サイアスはデネブが普段通りの挙措で煎れた茶を優雅に喫しつつ、
ロイエから渡された参謀部からの書状とデレクからの指示書に目を通した。
それを見守るランドやシェドらはとても寛げたものではく、まんじりとも
せず声が掛かるのを切望していたが、サイアスはまるで気にせず
悠然と茶を楽しみ、その様を見せつけるかのように寛いでいた。
サイアスは戦隊での初陣の際、厨房長が話していたことを想いだしていた。
曰く、父ライナスもまた、出陣の前は悠然と茶を喫し寛いでいたのだと。
きっと部下を安堵させるためだったのだろうな、単に茶が好きなのも
あったのだろうけれど、とサイアスは父を想い、目を細め薄く微笑んだ。
「ぅゎ、笑ってやがる……
こんなの絶対おかしいよ!
落着き過ぎだろこいつ、常識的に考えて」
サイアスの心境なぞ知る由もなく、
ようやく少し落ち着いたものか、シェドが軽口を叩きだした。
「あんたが常識を語る日が来るとはねー」
サイアスが口を開くより早く、ロイエがきっちりツッコミを入れ、
周囲から失笑が零れた。徐々に空気がほぐれてきたようだ。
「安心しなよ。シェドも人十倍にはおかしいから。
同居人の僕が保証するよ」
ランドも何とか笑ってそういい、ベリルも少し口もとを緩めた。
周囲を明るくする才。これだけでもシェドには配下に加える
価値があると、サイアスは今更ながらに感じていた。
「さて、そろそろ打ち合わせを始めるよ。
まず、今日の午前中は諸事の準備のみに使って良いそうだ。
装備のみならず水や、非常食、油、道具類等小隊用備品の確認を」
サイアスは全体にそう告げ、次いで個別に役割を指示した。
「続いて午後だけれど。
まず、私は騎兵を率いて城砦周辺域の巡回に出ることになる。
私が不在の間はディードに小隊の指揮を任せるよ。
日中、戦隊全体の指揮はデレク様が執っている。
適宜指示に従い動いてほしい」
「御意」
ディードは頷き短く応えた。
「他の皆にも個別に目標を提示しておく。
デレク様やディードからの指示を最優先しつつ、
各自やれる範囲で取り組んで欲しい」
サイアスは続けて細かい指示出しを始めた。
配下の不安を可能な限り払拭しようとの狙いもあった。
「ロイエンタールとデネブは平常通り書類や庶務を受け持ちつつ、
明日からの出撃に備え戦術や連携の確認をしておいて。
遭遇戦は頻回に発生するだろう。私が別行動な分、ディードが
盾使いや影法師ではなく、指揮官兼任の軸になる。
かなりの負担だから皆で支えてやってくれ」
「判ったわ」
ロイエとデネブはしっかりと頷いてみせた。
「ベリルは現時点で扱える薬品を一通り調合しておいて。
余剰は他戦隊に提供するから、訓練も兼ねて惜しみなく、ね」
「はい!」
ベリルの返事は意気高く、サイアスは頷き微笑んだ。
「私については大丈夫よ。
貴方は何も心配しなくていいわ」
ニティヤは問われるまでもなくそう述べ、サイアスは
「あぁ。もしもマナサ様から声が掛かったら、
その時はそちらの補助を頼むよ」
と応じてみせた。
「ラーズ。今日は私の供を。
グラニートに騎乗し追随してくれ。
馬術の実地訓練さ」
「了解したぜ。護衛も任せな。
何、喩え落馬してでも矢は当てて見せるぜ」
ラーズは不敵に笑って頷いた。
「ランド。倉庫に届いている資材を使い、
小隊用の台車を組み立てておいて。兵器の組み込みは後日でいい。
まずは荷台と治療台として使おう。明日以降は厩舎から輓馬を
一頭回して貰うから、外回りではそれに曳かせるといい」
「了解しました。それなら2台作っちゃってもいいかな?
兵器用とベリル用で」
「いいとも。ベリル用から先に頼む」
「お任せあれ!」
ランドは嬉しそうに返事をした。
「シェド、今日はデレク様の下で伝令見習いを。
参謀部や他戦隊との連絡を補助してくれ」
「おっしゃあ! 任せんしゃい!」
シェドはかなり元気になったようだ。
「皆、識別票と玻璃の珠時計は手放さないように。
現在午前7時半だ。各自装備を整えて8時から行動を開始してくれ。
次は午後6時頃、ここに集合することにしよう」
「了解!」
声や敬礼で元気に返答し、サイアス小隊は行動を開始した。




