サイアスの千日物語 四十三日目
さして疲労しなかったせいか、
さして眠くもなかったサイアスは
先日に引き続き実にあっさりと目を覚ました。
どうやら眠気には疲労や負傷の度合いが密接に関係しているらしい。
認識を新たにしつつ、サイアスはむくりと起き上がった。
それでも一家の中では一番遅かったようで、身支度して
応接室に顔を出すと、他は既に揃っていた。
サイアスの姿を見とめたデネブは即座に厨房へと食事を取りに向かい、
サイアスはぼーっとしつつも挨拶をしてふらふらと卓に向かい席に着いた。
時刻は朝の8時をまわったところだった。
「おはよう御座います、御主君」
聞き慣れない言い回しに驚いたサイアスを、
笑顔のディードが出迎えた。
「おはよう。御主君?」
サイアスの問いにディードが得意げに頷いた。
「貴方は私の主。すなわち御主君です」
そこはかとなく感じる違和感はきっと寝惚けているせいだ、
と強引に自分自身に言い聞かせつつ、サイアスは素知らぬ顔で
書類を見やるロイエを見つめた。ロイエはほんのり眼鏡を手直しした
だけで、特に気に留めることもなく書類に没頭していた。
サイアスは次いでベリルを見た。ベリルは本との睨めっこに夢中だった。
サイアスを御主君と呼ぶディードはサイアスの斜め後方に直立し、
微動だにせず待機していた。サイアスは何かがおかしいと確信し始めた。
「軍務上の上下関係に対して、
御主君という言葉は使わないんじゃないかな」
サイアスは単刀直入にそう問うた。
「そうですね。使用しないと思います」
「そうだよね。じゃあ私に御主君というのは
ちょっと違うんじゃないかな」
「いいえ、貴方は私の御主君です」
サイアスは頭を抱えた。
前にも似たようなことがなかっただろうか。
否定しがたい既視感を感じつつサイアスはさらにディードに問うた。
「昨夜の一件は第四戦隊への抜擢人事において
特に私の小隊を指定したものだった、という認識で合ってるよね?」
「3割合っています。しかし7割方認識が不足しています」
「ほ、ほぅ……?」
「第四戦隊及び四戦隊隷下のサイアス小隊へ配属はされますが、
それは軍籍上の結果論です。本質的には第四戦隊兵士長にして
カエリア王立騎士サイアス・ラインドルフ卿その人の私的な
供回りへの着任です。簡潔に申し上げれば、
私は貴方の従者となったのです」
「な、何だって……」
サイアスは呆気に取られてディードを見つめた。
ディードは至極平然としてサイアスを見つめ返した。
これはどうやら赤黒のおじ様二人にハメられたらしい。
それであの二人、やけに珍妙な言い回しをしていたのか、
と漸く思い至ったが、後の祭りというものだった。
「貴方は城砦領ラインドルフの領主であり、またカエリア王国の
騎士でもあります。封建領主であり騎士である貴方には、
従者を持つ権利が制度として保障されています。
私は貴方の盾として仕えることを望み、これを承認されました。
よって私の本分はサイアス・ラインドルフ卿の従者であり、
担うべき役職が城砦騎士団第四戦隊サイアス小隊配下の兵士なのです」
ディードは淀みなくその様に述べサイアスを見つめた。
微かに青みがかった銀色の瞳をしていた。
「私では…… 貴方の従者は務まりませんか……?」
ディードは申し訳なさそうな表情になってそう言った。
ロイエがギラリと眼鏡を光らせてサイアスを見つめた。
どうやら背後のソファーからはニティヤが刺すような目で
見つめているらしく、サイアスは首筋にチクチク視線を感じていた。
「とんでもない。むしろこちらが申し訳無くって」
サイアスは身の危険を感じつつ即座にその様に否定した。
「良かった。ではこれから宜しくお願い致します。御主君」
「はぁ」
サイアスは嬉しそうに微笑むディードに気の抜けた返事をした。
「何腑抜けた返事してんのよ!
要は身内ってことよ。細かいこと気にしないの!」
ロイエはピシャリとそう言った。
「ただ、そうね……
御主君という表現は少し堅いのかも知れないわ」
ソファーにゆったりと腰掛けた
お姫様然としたニティヤがそう言った。
「あー確かにそうかも知れないわね。
歌姫って感じじゃないもの」
「ふむ…… では、我が君というのは」
「あら、素敵ね。気に入ったわ」
「柔らかくなったわね。
王子様っぽくて良いんじゃない?」
「じゃあ今後は我が君と呼びましょう。
宜しいですか、我が君」
「あぁ、判った」
何やら盛り上がる女子3名に何を言っても無駄と判断した
サイアスは、いつも通り、特に気にしないことにした。




