サイアスの千日物語 四十二日目 その十七
「幹部がこれで大丈夫か……
大いなる人の世の守護者がこれで良いの? マナサ様」
ロイエはベリルをしかと保護しつつマナサに問うた。
「あら、大丈夫よ?
このおっさん共の反応は庇護欲。
父性愛や家族愛を拗らせただけだから」
マナサは笑ってそう言った。
「うむ、そうだぞロイエンタールよ。
おじさんたちは変態ではないのだ」
「その通りだ。娘が居ればこれくらいの歳かと思うと、
ついつい甘くなってしまうのだ。ゆえにおじさんたちは変態ではない」
そこはかとない危うさを感じさせながら、
おっさんを拗らせたベオルクとローディスはドヤ顔で弁明した。
「自分でおじさんつってるよ……
にしてもそんなもんかねぇ。俺っちにはわかんねぇや」
20半ばのシェドが頭の後ろで手を組みつつぼやいた。
「シェドもそのうち判るようになるよ、きっと」
シェドと同い年のランドが何故かしみじみとそう諭し、
「まぁその前に坊主か魔法使いじゃねぇか?」
とラーズが茶化すに至り、激しく動揺したシェドに
周囲の兵士が大笑いした。
「そうね…… もし怪しいと感じたら
すぐに相談なさい。就寝中に処断して
二人とも『おば様』に変えてあげるわ」
マナサは両おじ様を睥睨しつつクスクスと笑った。
「!?」
ベオルクとローディスは恐怖にたじろぎ、
兵士らは己が事の如くに想像して脂汗を流し呻き出した。
「ほら二人とも、さっさと切り替えなさい?
歌姫さんが退屈してるわよ」
マナサは薄く笑ってそう言い残すと再び姿を消した。
「う、うむ。そうであった。
では閣下、続きを拝見しましょうぞ」
「そうだな…… ではサイアス、次のページへ」
威厳を取り繕った両騎士長はサイアスを促し、
一同は再び飛びぬけて危険な剣術書へと戻った。
「ふむ、本編はすこぶるまともだな……」
次の見開き1ページを見やり、ベオルクがそのように呟いた。
衝撃の1ページの次には剣術の準備段階として、剣なるものの
特徴や持ち方、動かし方といった基礎的な事柄と足捌きの初歩が
簡潔に箇条書きされていた。サイアスにとって初見となったのは
二刀流に関する記述であり、興味深げに頷いてひとしきり確認すると
次のページへと移った。
「ほぅ、『神秘の円』か……」
見開かれた次なるページには、魔術的な紋様にも見える
幾何学的な円と線、文字を組み合わせた図形が描かれており、
覗き込んでいた兵たちは驚きの声を漏らしていた。
「『神秘の円』というと、失伝した古流剣術の?」
デレクがローディスにそう問うた。
「あぁそうだ。剣術の目的が戦場の混沌を生き抜くことから
道場での術理研鑚に変じる過程で失われていった、
言わば戦場剣術の極意だ。常に戦場に在るお前たちには
どんなお題目よりも役に立つ。しかと目に焼き付けて置け」
ローディスはすっかり平素の調子へと戻ってそう言った。
兵士らは感嘆しつつ食い入るように眺めいっていた。
「お前は驚かぬな、サイアス。既に見知っていたか」
「はい。村を発つ直前の七日間、潰した畑にこの
図形を書き込んだ上でひたすら槍を避けていました」
サイアスはどこか懐かしそうにそう言った。
「ハハハ! 流石はグラドゥスだ!
やるべきことはやっている。
それでお前はこうも伸びてきたわけだな」
ローディスは声をあげて笑い、サイアスの肩を親しげに叩いた。
サイアスは訳が判らずきょとんとしていた。
「剣をいかに握り、いかに振るうかといった要素、
すなわち『剣を巧みに操るための技術』としての剣術は
副次的なものでな。それが特別重視されるようになったのは
一対一、正正堂堂正面から、といった無数の制約で自らを縛り上げ
純粋無比な剣の術理そのものの優劣を追求するようになってからの話だ。
多対一、制約無しの戦場における剣術とは、
いかに避け、いかに手早く隙を攻めるか。要は
『剣を持った状態で敵を殺すための技術』だ。
言い換えるなら、かつて剣術とは戦術そのものだったのだ。
お前はグラドゥスに平原では失伝して久しい戦術としての剣術を
真っ新の状態から徹底的に刷り込まれたのだ。平原に居ながらにして、
魔や眷属を斬るための荒野の流儀を教わったと言っていい。
アウクシリウムで育つ城砦の子らと同様にな」
「はぁ……」
サイアスは未だ得心がいかぬ様子であった。
「技や型の類は習ったのか?」
そこにベオルクが横やりを入れた。
「いいえ。避けるときの姿勢二つと歩幅だけです。
……おじはこう言っていました。
『これから学ぶのは、避け方だ。
攻撃姿勢を保ったまま、いかに攻撃をかわすかを学ぶ。
攻め方はあっちで得物を決めてからで十分だ。
どうせ力いっぱい叩き付けるだけさ』と……」
サイアスはグラドゥスの口調を真似ながらそう言った。
これにはローディスとベオルクが揃って声を上げ笑い出した。
「まぁ、そういう事だ…… 要はたまたま剣を持っていたから
剣術として教わっただけで、武器はなんでも良かったのだろう。
そうか、それで入砦時点で回避技能のみ5もあったのか」
ベオルクはもう随分と昔の事に思える
入砦したてのサイアスを思いだしてそう言った。
「そうだな。それでたまたま主武器が剣に決まったから、
改めて剣術書を寄越したのだろう。そして剣術なら
俺が絶対に絡むだろうと、そういう見立てだった訳だ。
まったく果てしなく小賢しいヤツだ」
ローディスは苦々しくも愉快げに鼻で笑った。
ベオルクもツボに入ったようでしきりに笑い、むせていた。
すっかり置いてけぼりとなった感のあるサイアスは
困惑したまま一番話の通じそうなデレクを見た。
デレクもまたニヤニヤ笑いを浮かべ
「お前は城砦騎士への最短コースを突っ走ってるってことだ。
良い伯父さんじゃないか。ちょっとお茶目が過ぎるけどなー」
と述べて、初めてみる神秘の円に魅入られたように見入っていた。




