サイアスの千日物語 四十二日目 その四
散歩と称した深夜の奇襲劇はその後四度繰り返され、
一行が城砦へ引き揚げたのは夜明けもかなり近づいた頃だった。
二度目まではベオルクや兵士らが何気ない会話で敵を誘引してのけたが
三度目には既にネタ切れしており、
そこからはサイアスが歌で敵をおびき寄せることになった。
物悲しい歌声で敵を誘い、そぞろになって近付いてきたところを
寄って集って押し殺すというこの作戦はまさに覿面の効果を上げ、
サイアスは川辺を往く者をその歌声で魅了し憑り殺すという
魔性の歌姫「川の乙女」そのものと化していた。
散々暴れまわった結果兵士らの武器が痛んできたために戦闘を切り上げ、
一行が城砦北門付近まで戻ってくると、戦闘音らしき喧噪が聞こえてきた。
見れば闇中で距離感が麻痺したらしい魚人らが10数体北方の河川から
出張って来ており、投槍を中心とした遠隔攻撃で城外待機の守備隊に
牽制を仕掛けているところだった。河川の眷属は元々視覚より聴覚を
重用することから闇中でも比較的安定して動けるために、守備隊は
迂闊には手を出さず距離を保ったまま打開策を練っていたが、
そこに散歩ですっかり「出来上がった」ベオルクら一行が
横合いから殺到し、瞬く間に殲滅して何食わぬ顔で開門を要求した。
周囲を夜明け色に染める魔剣フルーレティは無数の魂を贄として
上機嫌となり、すすり泣くような咆哮を上げ剣身から蒼炎を放っていた。
青の燐光は魔剣の主ベオルクをも包み、魔剣をかざして開門を指示する
その様は鬼神か死神かといった有様であった。
守備隊は畏怖と恐怖に包まれて、ベオルクが剣を納めるまで
身動き一つせず委縮していた。ベオルクに続くサイアスらもまた
似たり寄ったりの剣気や殺気に満ち溢れ、守備隊はとにもかくにも
穏便にやり過ごすことにした。
開いた門のすぐ先には、城外部隊と交代して出撃せんとする
第一戦隊の駐留部隊が前のめりとなって控えていたが、
一行を目の当たりにしてさっと隊を左右に割り、
道を作って敬礼姿勢で硬直した。
まるでそれが唯一生き残る手立てであるかのような厳粛さであった。
割れた道行きの奥からは座り込んでいたローブ姿の人影が
身を起こしてゆるゆると歩いてきた。
「お疲れ様です。
やー、すっかり出来上がっちゃってますね!
怖い怖い。あはは」
物怖じせずどこか壊れた反応を向けるのは、
参謀部の軍師フェルマータであった。
「フェルマータか。シラクサの迎えか?
見ての通り無事だ。少々刺激が強すぎたかも知れぬがな」
ベオルクはそう言ってシラクサを振り返った。
シラクサの元より白い肌はより白さを増し、真紅の瞳は煌々と輝いていた。
「なんだかすっかり目が据わってますね。
お散歩楽しかった?」
フェルマータは愉快げにそう言った。
「無茶苦茶でした」
シラクサは短くそう答え、すぐに
「でも、とても楽しかったです……」
と付け加えた。
「あはは、無茶苦茶かぁ。そうだよねー。あははは。
でも楽しかったなら良かったじゃない。
ベオルク様に皆様方、是非またシラクサを
お供に加えてやってくださいね!」
フェルマータはシラクサを招きよせ、共々深々と頭を下げた。
「是非またお願いします。いつでもお呼びくださいませ」
「うむ。こちらも助かったぞ。
計上結果は日中にでも書面で寄越してくれ。
ではまたそのうちにな。 ……サイアス」
「ハッ」
「中央塔まで送ってやれ。その後は夜までゆっくり休め」
「了解しました」
軍師らやサイアスらが敬礼する中、ベオルクと兵士らは軽く手を上げ、
一足先に営舎へと引き上げていった。その後サイアスとデネブ、
ニティヤの3名はフェルマータとシラクサを護衛して中央塔へ向かい、
二人に見送られて営舎へと戻った。
「お帰りなさいシラクサ。 ……随分機嫌が良いようですね」
参謀部の詰め所にて書類を整理していたルジヌは
シラクサを見やり、そう言った。
「自分ではよく判りません。ただ」
ルジヌやフェルマータは静かに続きを待っていた。
「また、出掛けてみたいです」
歴戦の軍師であるルジヌやフェルマータは
はにかみがちにそう語る次代の軍師シラクサに対し微笑んだ。




