サイアスの千日物語 四十二日目 その三
ひとしきり馬鹿笑いして落ち着いた頃、一行はいよいよ目的地に
差しかかろうとしていた。緩やかな下りは終わりを迎え、
地面はやや荒れ砂礫が増えつつあり、一歩ごとに鳴る音が増えていた。
相も変わらず闇は無辺の広がりを見せ、自身の姿勢すら判然とせぬ
状況ではあったが、麻痺してしまったか闇に染まったか、サイアスは
闇から感じていたまとわりつくような感覚を感じなくなり、
すっかり馴染んでしまっていた。肉眼では何もみることはできないが
耳や肌で捉える些細な情報を脳裡に想起した地図に照らすことで
サイアスには概ねの地形が把握できていた。
そこは西方の岩場と東方の緩やかな坂に挟まれた
街道のような場所だった。南北に長く続く幅50歩程のその大路には
地図ではこれといって目立った障害物はなく、仮に軍勢が行軍するなら
確実にここを通るであろう、そう思われる場所だった。
遠からず北方には川幅を増した河川が拡がっているはずのため
言わば大路の突き当り、市街からやや外れた寂れた空き地の様相であり、
そのほぼ中央で一行は歩みを止めた。
ブーツや鎧の鳴りも収まり、自らの立てる音もなくただ静かに闇の中に
佇んでいると、シラクサでなくても気持ちは沈み、良からぬ思いに
囚われかねない。ベオルクがわざわざ長話を買って出たのも
闇の影響への配慮であり、今もまた何事か話し始めようとした、その矢先。
ぎちぎちぎちぎちぎち……
ちちちちちち……
しゃらしゃらしゃらしゃらしゃら……
明らかに味方の立てるものとは違う、異質な音が風に乗って届き始めた。
視覚を奪われている分、鋭敏となった聴覚にこれらの音は刺激的に過ぎ、
実戦経験の乏しいシラクサは自身の心臓の激しい鼓動に
打ちのめされそうになった。
「ベオルク様、敵が迫っています。おそらくは外骨格、
おそらくは巨大な眷属と、それに追随する複数の小型種です」
シラクサは緊張を隠しきれずにそう報告した。
未だ敵に捕捉されていないことを祈りつつ、シラクサは
思いつく限りの策を脳裡に並べて神算の限りを尽くし始めた。
「そのようだな。斥候の類か、あちらも散歩かは判らぬが。
シラクサよ。小型種の数は判るかね」
間近に迫る敵に察知される危険などまるで意に介さず、
ベオルクはごく普段どおりにそう問うた。
「足音は重量で二分されます。軽妙なものが20、重厚なものが40。
できそこない及び大口手足と推測でき、それぞれ5体と10体かと。
推定累計戦力指数75、巨大な眷属を含めると
100に至る可能性があります」
「ほぅ、なかなか豪勢だな。連中も暇を持て余しているか」
ベオルクはなおも鷹揚にそう述べた。
「ベオルク様、御下命を!」
シラクサは余りに暢気なベオルクの態度に堪らなくなり、
半ば叫ぶようにそう念じた。どれだけ叫んでも敵に聞こえないとすれば
便利だな、などとサイアスは暢気に感心していた。
わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ……
奇怪な音はかなり大きくなっていた。次いでサイアスの耳にも
小形種と呼ばれた眷属たちの足音が届き始めた。すなわちどっとっ、と
地を跳ねる軽快な足音と、ずむ、ずしゃりという踏みしめるような重い音。
重い音の方は時折ガサササと変じており、サイアスはこれが
大口手足のものであることを確信した。
「まぁそう焦るなシラクサ。
でかいのはともかく、大口手足やできそこないは目を持っている。
視覚を以て周囲を把握する、我らの同類だということだ。
つまりは闇夜はあちらも不得手。完全に我々を捉えているわけではない。
むしろこちらの刃が届く距離まで、存分に近寄って欲しいところだな」
ベオルクはそう言って笑った。
シラクサとしては正気の沙汰とも思えなかったが、
元より自身には欠片も戦闘力が無いためいかんともし難く、
成り行きに身を委ねるほかはないのだった。
「大丈夫よシラクサ。
『糸』で結界を張ったわ。安心なさい」
ニティヤは穏やかな調子でそう言った。
「おー、良いなぁ。俺にも結界張ってくれよ」
そう言って兵士が茶化したが、
「お生憎様。男子禁制よ。男衆は勝手になさい」
と取り付く島もなかった。
「酷ぇなおい。
サイアスよ、お前から何とか言ってやってくれ」
「ん? 何故?
結界に入ったら戦闘できないでしょう?」
「あぁそうね、うん。もう良いや……」
耳障りな音はますます大きくなり、足音も間近で響き始め、
徐々にヒタヒタと小さなものに変わった。眷属たちは気配を殺し、
息をこらしてこちらの様子を窺っているらしい。
「……! ほ、包囲されたようです……」
シラクサは悲痛な想いを乗せそう告げた。
「宴についてその全容が判明している訳ではないが、
きっかけは概ねこうした眷属らの自然集合的な集まりのようだ。
一つ所に集まった人が人だかりとなり群れをなし、
やがて烏合の衆となって騒ぎを起こすのに似ているな。
その仕掛け人にあたるのが魔ということだ。
つまり宴の萌芽たるこうした群れを殺いでいけば、宴の規模は
軽く抑えられる可能性がある。先日の城砦北方での戦闘も
そうした意図を含んでいたようだしな。 ……さて」
ベオルクはそう言って一呼吸置いた。
「サイアスよ。ここに至るまで闇中における心得を長々と話したが、
あれは話半分、ただの余興と心得よ。闇中における最良の選択肢は
明かりを用いて闇を退けること。それができぬなら戦わぬことだ。
では何故我々がこうして深夜の闇中を散歩に来たか。それは当然、
我々に明かりの用意があるからだ。 ……フルーレティ!」
ベオルクは自らの愛剣にして魔性そのものであるその名を呼んだ。
ずらりと魔剣が鞘走り、青白い閃光が迸って周囲を夜明け前の青色に染め、
無辺に思えた闇は露と消え失せた。
突如現れた夜明け色の世界にサイアスらは驚愕した。
そして判明した周囲の状況に瞠目した。
一行をぐるりと囲むようにして、縄梯子を肉付けして
節々に足を付けたような巨大な虫に似た眷属がとぐろを巻いており、
もたげた鎌首から人体二つ分はある巨大な人面でサイアスらを覗き込み、
長い舌を揺らしていた。そしてとぐろの外側にはできそこないや大口手足が
重囲して、身をかがめつつこちらの様子を窺っていたのだった。
眩き光芒に怯んだ眷属たちが耳障りで奇怪な声をあげて
身を背けるのより速く、ベオルクが哄笑しながら斬り込んだ。
漆黒の突風と化したベオルクは魔剣フルーレティを頭上で旋回させ、
裏刃で掻き斬り表刃で袈裟に落として巨大な眷属の胴を斬り裂いた。
ベオルクの得意とする剣捌きによってフルーレティは食い破るように
巨大な眷属の胴を割り進み、巨大な眷属は身の毛もよだつ絶叫をあげて
メラメラと青白い炎をあげ燃え始めた。
敵も味方もあらゆる者が恐怖と驚愕で身を竦めるなか、
ベオルクは暴風のごとく跳びすさび、次々に敵を斬り裂いていった。
僅かでも刃が掠めた眷属は次々と青白い炎を上げ、夜明けの青に
濃い彩りを添えてその命を散らしていった。
漸くにして兵士らも敵を捉え次々とこれを斬り伏せ始め、
わずか十数拍というところで周囲から生きた敵は消え失せて、
不知火のごとき炎の残滓が屍を照らし、不気味に大地で燻っていた。
「軍師シラクサよ」
予測だにしなかった展開に呆気に取られ、茫然としていたシラクサは、
ベオルクに名前を呼ばれてようやく正気を取り戻した。
「は、ハッ」
「これより伏兵となって敵を誘引、奇襲を仕掛けこれを殲滅する。
各人の戦果を戦力指数を得点と見做して計上しろ。
サイアスの班はまとめて一人分と見做し、そこにワシの得点の
半分を付けてやれ。最終的に四分割して個人のものと換算せよ」
「御意!」
「副長早速暴れ過ぎ! こりゃ挽回難しいかなぁ」
兵士らは苦笑しつつ泣き言を言った。
「一等となったものには褒賞として、
別途勲功1万点を与えよう。用途は自在だ。
休暇でも宴会でも好きに使え。
ワシに勝てねば無論ワシが貰う。精々頑張ることだな」
ベオルクはそう言って不敵に笑い、魔剣フルーレティを鞘に納めた。
周囲には再び無辺の闇が戻り、周囲には静けさが訪れた。




