サイアスの千日物語 四十一日目 その三
「甲冑の肩を揉むとは変わった趣向だな、我が弟よ」
湯浴みを済ませ、すっかりご機嫌となったヴァディスはそう言った。
サイアスはデネブの機嫌を取るべく鎧の肩部装甲をワシワシと
揉もうと努力しており、胡乱な表情でヴァディスへと振り返った。
今度は布きれ一枚な恰好であった。
「さっさと服を着ろ馬鹿姉!
家族会議で縊り殺されてしまう!」
「ははは、物騒な嫁ちゃんたちだなぁ。
よっと…… 髪が重くてさー、デネブちょっと手伝ってくれ」
ヴァディスは声を立てて笑い、デネブを促した。
さっさと服を着せるべく、デネブはテキパキと着付けを手伝った。
「あー楽だー。実家に居るみたいだなー」
「まったく…… 他人に見られたらどうするのです」
「ころすー」
「……」
「目玉えぐって頭骨かちわってのーみそ焼却すれば
情報漏えいの心配もないぞー」
「そこまでする……」
「当然じゃないか。
死体から情報抜くなんて初歩の初歩だし」
「何の初歩だ…… いや聞きたくない」
デネブの完璧な補助によりようやく部屋着を纏ったヴァディスは
サイアスにもたれるようにしてどかりとソファーに腰掛け、
腰掛けざまにサイアスの手から縦長の包みをひったくった。
「いやぁまさか本当に手に入るとはなぁ。
素晴らしいぞ我が弟よ! っとそれはそれとして。
……さっき馬鹿姉とか言ってなかったかお前。ん?」
ヴァディスは包みをデネブに渡すと、
ギリギリとサイアスを締め上げ始めた。
「な、何のこと? 空耳じゃないかな……」
「ほぅ? じゃあこれも空締めだ。
痛いのも苦しいのも気のせい気のせい」
「無理がある!
てゆうかごめんなさい反省してます!」
「ふふん、宜しい。
親しき仲にも礼儀ありだぞサイアスよ」
「何とでも言ふぇ、っふぇごふぇんなふぁい」
言い返そうとしたサイアスは次いで両の頬を引っ張られた。
そうこうするうちにデネブが抜群の手際を以て
初めて入るヴァディスの居室で勝手知ったるがごとくに給仕をこなし、
卓上の杯には黄金色の甘露がなみなみと注がれた。
「おぉ、これがラインの黄金か……」
ヴァディスは抱きぐるみのように弄んでいたサイアスを
ぽいと放り出すと、さっそく杯を手にとった。
「いただきまーす……
!!? これは…… 本当に酒なのか!?
凄いな、ここまでとは…… まさに神酒、まさに甘露だ。
『この甘露 灑ぎて迷者を 霑して
無明を断じ 魔軍を破せん』 と言うヤツだな!」
「……何ですそれ?」
「『破魔の秘鍵』さ。唱えると邪悪を滅せるそうだ。
東方にはこの手の呪文が結構あるぞ。他にも九字とか有名だな。
教えてやろうか? まぁ斬り殺した方が早いがな!」
「いちいち唱えるのめんどくさいんで、装備に刻みましょう」
「ははは、札とかお守りとかな。
坊主どもの良い金づるになりそうだ」
「そう言えば。城砦には僧侶や神官といった方はいませんね」
「そりゃそうだ。居ても何の役にも立たないからな。
『血の宴』以降、欠片も現世を救わぬ宗教の類は一気に
廃れてしまったのだ。祈る暇があったら剣を構えて敵を斬れってね。
まぁここでの戦いに終止符が打たれれば、後々の時代に我々を
神と崇める連中がでるかもしれんぞ。つまり私が神だ!!」
「はいはい、どぅどぅ」
「ふふん、取り敢えず見逃しといてやろう。
余は慈悲深い。というか酒が美味い。お前も飲めー」
サイアスはヴァディスの差し出した杯を手に取り、
ちびりと一口頂戴した。
「濃いなぁ。私はいつも氷で割って飲んでいました」
「おー、この贅沢者めぇ」
「細かく砕いた氷を杯に詰めて、
そこに注いで飲むと美味しいですよ」
「お貴族様の様式美に真っ向から逆らう飲み方だな……
だがそれがいい! やってみよう!」
ヴァディスの部屋にも冷蔵箱があった。
どうやら資材部は相当繁盛しているようであり、
サイアスへの対応がやたらと良いのも納得であった。
ヴァディスは冷蔵箱から氷の塊を取りだして恐ろしい勢いでガッガッと
短剣を繰り出し、瞬く間に氷塊は氷粒となった。それらを杯に詰め込んで
ラインの黄金を注いでいくと、無数の氷粒がまばゆく輝いて周囲にも
その黄金色を投影した。湯上りのしっとりとした亜麻色の髪と
その手に掲げる杯とが放つ燦然たる黄金色の輝きに包まれて、
ヴァディスはさながら秋の麦畑に顕現した大地の女神のようだった。
「見た目も大変に麗しいな。ではいただきまーす……
……おい! 無茶苦茶美味いじゃないか!
何で今まで黙ってた!!」
女神は女神でも戦がらみに違いない、とサイアスは思った。




