サイアスの千日物語 十日目
平原西部を滔滔と流れるライン川のほとりにある
城砦騎士団の所領たる開拓村ラインドルフへと
領主にして城砦騎士長たるライナス・ラインドルフの
訃報が届けられてより十日が経った朝のこと。
かつて父が賜った当地を継承し、
新たな騎士団領ラインドルフの主となった
サイアス・ラインドルフは、いつになく
大きな荷を抱え、屋敷を出ようとしていた。
そして当然ながらその様を見咎められ
家中の用人や怪訝に思った母、さらには
連日の会合ですっかりやつれた伯父などから
これでもかと詰問をうけることとなった。
「そんな荷物を抱えて、
一体どこへ行こうというの。
村がこんなに大変なときに……」
これまでのところ、サイアスが屋敷から出掛ける
理由といえば、村内の巡察程度に限られていた。
無論のこと、巡察に大荷物など不要である。
平原一と謳われるその美貌をすっかり翳らせた
母グラティアのもっともな問いに対し、
サイアスはそっけなく答えてみせた。
「城砦へ」
「……えっ?」
「騎士になります」
「何だって!?」
非凡なる胆力を持ち、滅多なことでは驚かぬ
伯父グラドゥスが驚愕のあまり目をむいた。
「お前、何言ってるか判ってるか?」
「承知しています、伯父さん」
サイアスはなおもそっけない。
グラティアは完全に絶句している。
グラドゥスは必死で頭を回転させていた。
「城砦で生き抜くことがどれほど大変か、
そして城砦騎士になることがどれほど困難か、
重々承知しています」
サイアスは愁いを帯びた瑠璃色の瞳で
グラドゥスをまっすぐ見つめ、言葉を継いだ。
「すぐに容易くなれるなどとは思っていません。
失敗する可能性の方が高い。でも」
「……千日あれば、か……」
グラドゥスは腕組みし
搾り出すような声で呟いた。
サイアスはその様に黙って頷いた。
「千日の猶予を待たずして、さっさと
こっちから押し駆け付けて新兵として入砦。
戦闘経験を積み、千日以内に騎士になる、か……
なかなかに考えたもんだ。
確かに城砦で千日も生き残りゃ
騎士だって何だってなれるだろうぜ。でもなぁ」
屈強な体躯を誇る猛者ですら
荒野で一年もつのは稀であった。
まして人形の如き華奢なサイアスである。
見込薄だと言わざるを得なかった。
「このまま与えられた千日の猶予を無為に過ごし
その後毎年のように5名差し出すよりも、
今1名差し出してあわよくば以降ゼロに抑える」
サイアスは淡々と言葉を紡いだ。
「仮にしくじっても1名損失が増えるだけ。
村としては大した痛手ではないでしょう」
サイアスはまるで他人事のように語っていた。
もとより感情の起伏が少ない。
その声は冷徹に響いていた。
「……アイツが亡くなった今、
お前がこの村の当主なんだぜ」
理屈は判る。妙案でもあろう。だがしかし。
グラドゥスは眉間に皺を寄せ、半ば
自棄となってそう言った。
当主だから村に残れなどという、そんな理屈は
通用しない。むしろ当主であるからこそ、
荒野の死地へと赴かねばならぬ。
それはとりもなおさずグラドゥスの義弟である
ライナス自身がが率先して示していたこと。
グラドゥス自身もそれは重々承知していた。
「そこら辺は伯父さんよろしく。
今までもそうでしたし」
当主不在の村を治める。
そのための代官だと言わんばかりに、
サイアスは涼しい表情でそう答えた。
「こいつ…… まぁ確かにそうだが、なぁ」
グラドゥスは溜息交じりでそう言った。
魔との戦いで利き腕を失ったグラドゥスは
義弟ライナスから村の護りを家族を託されていた。
勿論託されたその中には、ライナスの息子たる
サイアスもまた、含まれていた。
「伯父さんが結婚して跡継ぎを作ってくれれば
後顧の憂いもなくなるというものです。
応援してますよ」
サイアスはしれっと毒を吐き、薄く笑った。
普段まるで感情を見せぬサイアスが
こうした物言いをするのは、最も親しい存在である
グラドゥスに対してだけであった。
グラドゥスは凄まじいしかめっ面で舌打ちをした。
「やかましぃわほっとけ!
っと、まぁいい、とりあえず」
サイアスの減らず口のお陰か、漸く
グラドゥスもいつもの調子を取り戻しつつあった。
一方のグラティアの方は今にも昏倒しそうであり、
家宰のアルミナがそれをそっと支え、
哀しみに満ちた表情でサイアスを見つめていた。
「サイアスよ。
お前も騎士の子だ。戦に臨むと言うのなら
その決意を止める気はねぇよ。だがな、
何事にも準備ってなぁあるもんだ。
往くなとは言わねぇが、
出立はちぃとばかり延期しな」
元城砦騎士たるグラドゥスは
有無を言わせぬ気迫を漲らせそう言った。
「そうだな……
出立を十日延ばすがいい。その十日間で」
グラドゥスは鋭い目つきでサイアスを見据え、
口元だけをニヤリと綻ばせた。
「俺が城砦騎士見習い、程度には仕込んでやる」