サイアスの千日物語 四十日目 その五
「はぁ? 魔術を習得した、だとぅ?」
シェドは随分と語尾を吊り上げてそう言うと
「ふぅん? んじゃサイアス、いっちょ火の玉飛ばしてみろよ!
このマジカルぷりんすシェド☆フェル様が、本物か確かめてやるぜ!」
シェドはそう言うと、軽やかにステップを踏んで距離を取り、
何やら珍妙な構えを取り始めた。シェドの動きに合わせて
周囲が一斉に卓や椅子を弾き、無駄な巻き添えを回避した。
「ヘイヘイかもん! ハリー! ハリー!」
魔術なんぞ、と端から欠片も信じていない
シェドは、そう言ってなおもサイアスを挑発したが、
「ラーズ、火矢」
「あいよ」
「ちょっ!?」
サイアスは無表情でラーズにそう命じ、
ラーズは矢を近くのランタンに突っ込んで
ダーツよろしくひょいと放り投げた。
矢は逃げ損ねたシェドの尻にチクりと命中した。
「あだっ! うぁちっ、あちちち!」
シェドは悲鳴を上げ、
「その矢返さんでいいぞ。お前ぇにやるわ」
ラーズはさらりとそう言い、
「あはは、あほの子がいるー」
とフェルマータは率直な感想を漏らした。
周囲の一同は失笑を漏らし、悶えるシェドを放置して
卓と椅子を元に戻した。
「多いんですよねー、魔術っていったら火の玉ボーンとか
雷ゴーンとか言いだすのが。そんなの普通に武器使った方が
効率良いのに。まぁ、いいです。それで虚空のソレアの
効能ですが、ずばり、虚空を踏めるようになります」
「ほぅ、つまり?」
「空中を歩けます」
「!!!?」
ラーズの問いにフェルマータはさらりと答え、
その内容に一同は衝撃を受けた。
「発動には魔力が必要であり、実働には気力を消費します。
そうですね、サイアス様の現在の魔力は5ですので、
丁度1秒につき気力を1消耗することになります。
また気力の最大値は69ですので、絶好調の状態で
概ね30秒ほど空中を散歩できるでしょう。
一度に最大値の半分の気力を失うと精神疾患等の
後遺症が残る可能性が高いので、それ以上の連続使用は
避けた方がいいですよ。あ、気力は睡眠をとれば回復しますので、
1日合計1分の範囲内でどうぞお気軽にご使用ください」
突拍子のない内容をさらさらとフェルマータは説明してのけ、
周囲はやや呆気に取られつつ傾聴していた。
「具体的にはどのようにして使用するのですか?」
サイアスは特に何の感慨も示すことなくそう問うた。
セラエノに抱えられて空を飛んだ身としては、
今更超常の事象を常識で否定する意味を持ち合わせてはいなかった。
そのためごく当然のことであるかのように、
フェルマータの説明を受け入れていたのだった。
「既に術式がご自身に取り込まれた状態ですので、
あとは意図するだけで大丈夫ですよ。普段のありふれた動作と
同様に行えば平気です。但しかなりの疲労感を伴うと思われます。
これは言わば身体の発する警告のようなものですので、
危険だと感じたら即座に動作を中止されると良いでしょう。
むしろ何も感じなくなったら危険ですね……
人間やめちゃうかも? あはは」
「成程、そちら側へ行くことに」
「あはは、そうそう! いらっしゃーい」
フェルマータは楽しげに笑ってそう答えた。
そろそろ周囲の者たちも、この楽しげな様子が
ある種の狂気を孕んでいることに気付き始めていた。
「ねぇ、何だか物騒なんだけど……
虚空のソレアを外すことってできないの?」
ロイエがフェルマータにそう問うた。
「判りません。それ参謀長の私物で、一つきりしかないんですよ。
さらにあの人も貰いものだって言ってました。
なので不明な点も多いというか。いやはや困った方です。
あぁでも、魔剣と違って『生きてる』わけじゃないので、
暴走したりすることはないと言ってました。なので使おうと
思わなければ、一生使わないままでも平気なんじゃないですか?
まぁ、お持ちした任務で使用必須だったりするわけですが……」
「問題ありません。手の内が一つ増えたと考えておきます。
それで任務というのはどういったものでしょうか」
「明日の午後、虚空のソレアを用いて城砦本城天頂部独立区画にある
セラエノの庵まで出頭せよ。茶菓子とワイン忘れるべからず。
とのことです。要は遊びに来いってことですね…… 頑張って!」
「はぁ、そうですか…… 承りました」
「本城の上層区画までは普通に歩いて登れますので、
そこから先で虚空のソレアを使用されると良いでしょう。
庵は上層最上階から梯子で三階分程上にあります。
庵の傍には物資搬入用の踊り場もありますので、
寝てるようでしたらそこで休みつつ怒鳴りつけてやってください。
まぁ今は24時間起きてるでしょうけど」
と、その時、外から轟音が響いた。ゴゥンゴゥンという低い音と、
キュラキュラという金属音。そして重い物を引きずるような振動音。
音はすぐには鳴りやまず、営舎内での会話を聞こえづらくしていた。
「っと、門限ですね。おうち帰らないと!
では私はそろそろお暇します。
サイアス様、いつでも参謀部に遊びに来てください!
軍師一同歓迎しますよー」
フェルマータはそう言って敬礼をし、営舎を後にした。
時刻は4時半を過ぎたところだった。フェルマータが退出する際
扉から外の様子が垣間見えたが、既に夜の暗さであり、
警備の兵士たちがしきりに篝火を増していた。
やがてズゥン、という大きな音を最後に轟音は止み、
営舎の外は闇と篝火だけになった。内郭に「蓋」がなされ、
中央城砦は夜間防衛戦の形状に変貌を遂げていた。




