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サイアスの千日物語  作者: Iz
第一楽章 荒野の学び舎
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サイアスの千日物語 三十九日目 その十五

ほぼ同高度にあり南西空域を西へと進むセラエノを

北東から追っていた残り10体となった羽牙の本陣には

1体、他と様相の異なる個体があった。

この個体は他より一回りは大きく、立派なたてがみをもった猛獣の頭部に

山羊の角を持ち、何より両脇に2枚ずつ、計4枚の翼を以て

本陣後方を金切声と共に飛行していた。どうやらこの個体こそが、

この羽牙一個飛行中隊の編隊長であるようだった。


残存戦力をなおもセラエノの追跡に当てつつも、

この4枚羽の個体は迷っていた。これ以上追うべきか、

それとも退くべきかを。羽牙たちの定石からいえば、

損害が3割を超えた場合はただちに退くのが正しいとされていた。

3体1組の羽牙たちが1体やられると即撤退に入るのは、

こうした戦術思想が末端にまで浸透していたからだった。


一方でこの個体をはじめとする羽牙たちの心中には、

羽牙という種全体への許しがたい挑発行為をおこなった者を

決して生かして置くべからずという、抗いがたい強迫観念のようなもの

があった。しかも相手がよりにもよって、この100年間というもの

わずかに視界をよぎるだけで即座に逃亡を続けてきたセラエノである。

格下と見下していた相手に良いように翻弄されては

沽券に係わるとの矜持もあった。


とはいえまるで勝てぬと見切ったならば

味方の損失を抑えるべく、速やかに撤退せねばならない。

そのためこの4枚羽の個体は唯一見出し得る勝機を切望しつつ

逡巡しながら飛行していたのだった。



そして、ついに待ちに待った勝機が来訪した。

セラエノの飛び方に変化が生じ始めたのだ。

これまで繰り返した力強いはばたきによる上昇はそのなりを潜め、

翼をはばたかせる回数が格段に減少し、ひたすら滑空に頼るがゆえに

高度を失い、風の無い低空を苦しげに飛び出したのだ。

あれだけの驚異的な高機動をおこなった代償としては当然であり、

もはや残りの体力は僅かと見てとれた。


鳥にせよコウモリにせよ、無限に空を飛び続けることはできない。

常に体力と相談しつつ、適宜木々や高所に降り立って

身を休める必要がある。激しく動いたならその結果はすぐに顕れ、

即座に安全地帯で休まねば身が持たぬのであった。

膨大な体力と引き換えに莫大な揚力を発生するあのセラエノの

はばたき振りをひと目見た時から、4枚羽は持久戦をも視野に入れて

戦闘指揮にあたっていた。こいつは絶対に最後までもたない。

そういう確信がこの羽牙のうちにあったのだ。


ゆえに本陣は厳密に編隊を組み、渡り鳥がそうするように

前方を飛ぶ者の羽ばたきにより発生する風に乗り、

後ろの者ほど体力を節約しながら飛行していたのだ。

最前線を飛ぶ者と最後尾を飛ぶ者では4割近く体力消費に

差が出るため、適宜飛行順序を入れ替えつつ、全体として

消耗を逓減させ飛行できるのが編隊飛行の強みの一つだった。


そのためこの緊急迎撃飛行スクランブルにおいて本陣の羽牙の体力は

依然高く、一方で単騎かつ高高度での高次戦闘機動ハイマニューバを駆使して

派手に飛び回っていたセラエノは既に限界。もはや低空域を

苦しげに飛ぶのみであり、そして低空域こそ羽牙が本領を発揮する

場所であった。4枚羽はこの観測を以て勝利を確信し、一声叫んで

残存戦力に突撃の指示を出した。その時。



退け。



4枚羽の脳裡に抗いがたい圧倒的な威圧感を持った

未知の意志が響き渡った。恐怖と甘美とを伴った

支配的で魅惑的なその声なき声は、即時の撤退を命じていた。

ただし編隊全部にではなく、この4枚羽に対してのみ。

4枚羽はもはや自身で思考することも叶わず、編隊配下が

そうするように躊躇なく、急襲する味方を尻目に撤退を開始した。



重く苦しくほうほうの体というべき有様で、セラエノは城砦へ向け

木立があればそれよりは少し高かろうかという高度を飛んでいた。

真昼の太陽が荒野に落とす自身の影を見やりつつ、

時折セラエノは前方の徐々に迫る城砦外周の東壁と、

背後やや高みから殺到する羽牙とを見比べていた。そして羽牙の数が

1体減っていることにすぐ気付き、舌打ちし苦笑を漏らしていた。

低空飛行に対しては特に何の反応も示さなかったサイアスが

セラエノの挙措に気付き、気遣わしげに振り向こうとしたが、

セラエノはサイアスの頬をぷにっと突っついて前に向き直らせ、


「そろそろ仕掛ける! 舌噛むなよ!」


と言い放った。羽牙の群れはすぐ背後に、

殺意に満ちた息遣いが届きそうな程に迫っていた。


直後、セラエノは大地を覆うがごとく両の翼を大きく広げ、

これまでに数倍する勢いで一気に何度も打ち下ろして羽ばたいた。

強烈な爆風が巻き起こり、太陽からの熱量が乏しく上昇気流もまた

発生しにくい荒野の低空に嵐のごとき暴風を起こし、

一気に上空へと舞い上がった。やや高所から音もなく滑空して

セラエノに殺到していた羽牙の群れは、この付近一帯を巻き込む暴威を

その羽にモロに受け、まるで器の中でかき混ぜられるかのように、

編隊まるごとその飛行姿勢を崩された。慌てて喚いて羽ばたいて、

動きを止めつつ態勢を整えた羽牙たちが最後にその目に見たものは、

西方上空より一斉に飛来する、ギラリと光る矢の津波であった。

城砦外周の城壁では第三戦隊の弓の名手たちがその矢をつがえ、

次々と必殺の一矢を放ち続けていた。



「ふふ、まぁこんなものかな……

 逃げたヤツとは遠からず、また相見あいまみえるのだろうね」


暴風を伴って急上昇し、その風で追随する羽牙を

混乱と混沌の極みに叩き込んで矢の嵐の餌食とせしめたセラエノは、

眼下の羽牙の末路を涼しげに眺めつつそう言った。


「流石は閣下。美々しき勝利です。

 ……しかし何故指揮官の個体は

 味方を置いて逃げたのでしょうか」


サイアスは既に戦闘を終えたものとして、

普段通りの敬語に戻ってセラエノに問いかけた。


「さぁね…… 親にでも呼び戻されたんじゃない?

『そろそろ帰ってきなさい』ってね」


セラエノはそう言ってクスリと笑った。

親とは無論、魔の意であろう。サイアスはカエリア王立騎士団と

共に経験した南往路での戦闘や、救援に出た北往路での戦いにおいて

戦況を虎視眈々と眺めつつ、眷属を背後から操っていたであろう、

未だ見ぬ魔の存在を再び感じ始めていた。


その後セラエノとサイアスは城壁の上を旋回し、

拳を突き上げ歓声をあげる眼下の弓兵たちに手を振って応えると、

さらに西の内郭へ、本城上空へと飛び去った。

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