サイアスの千日物語 三十九日目 その十二
「お、見えてきた。今回測量を行うのは湿原の北西部だ。
ほら、丁度北西の一角だけ、ほんのりくびれて浮き出ている
感じだろう? ヒョウタンを知っていれば説明しやすいのだけれど」
「ヒョウタン…… 瓢箪ですね。
ウリの一種で実を加工し、容器に用いるという」
「お、知っていたか。丁度瓢箪のクビレに当たる部分に
複合材で架橋、あわよくば橋頭保まで一気に建造して
新たな兵站線を構築し、輸送効率の向上を図ろうという策さ。
今回はそのための測量なんだ。大湿原は羽牙の根城になっているけど、
宴の後は彼我共に戦力が減衰するからね。そこを逆手に取って
工兵に突貫工事させる方針だね。先日の輸送物資の大半は
そのための資材さ」
「成程…… しかし魔の軍勢も
同様の手を打っているようですが」
「聡いねぇ。そうさ! 城砦南西の丘陵地帯のアレ。
マナサ君が張り付いてくれているアレは、まさに
魔軍の橋頭保だ。すっかり先手を打たれた訳さ。
ははっ、悔しいのぅ、悔しいのぅ!」
「やり返すと言うことですか?」
「そんなところかな……
だって悔しいじゃん! ぷんすか!」
「その反応、段々判ってきた……
さらに何か、本命を水面下で進行中ですね……」
「何ぃ! 私の思考を読んだ、だと!?
というかそうでないとね。いたちごっこじゃ意味ないもの」
セラエノはクスクスと忍び笑いをし、
サイアスもまた苦笑した。
「まぁお察しの通り、『見せ』工事だよ。
成功するに越したことはないけどね!
これ以上はちょっと言えないなぁ。
参謀部に移籍すれば教えてあげるけどね!」
「ははは、生暖かい目で見守らせていただきます」
「ちぇー、つまんないの」
「湿原、目前ですね」
「測量自体はすぐ済むよ。
ちょっと脳裡に焼き付けるだけさ……」
そう言ってセラエノは暫し押し黙り、かと思うと聞き取れない程の小声で
高速の呟きを発していた。その様はまるで、思考の一部を音声に乗せ、
脳裡のそれと併走させて弁証・止揚させているようだった。
サイアスは邪魔にならぬよう大人しく眼下の湿原を眺めていた。
くびれといっても城砦外周の一辺以上の幅があり、大半は
起伏の少ない湿地で、目が痛くなるような毒々しい蘚苔類や灌木、
腐食の激しい古木といった、雑多な廃域が大半を絞め、ところどころに
色の濃い沼沢や深い茂みがあり、水平方向の見通しを困難に
しているようだった。総じて人の在所ではない、とサイアスは感じた。
セラエノは湿原北西のくびれの上空を、南西から侵入し北東へと抜け、
北部の河川の上で旋回し、再度北東から南西へと湿原上空へ侵入した。
大湿原をその縄張りとする魔の眷属・羽牙にとり、これは許しがたい
領空侵犯であり、早速羽牙の編隊が緊急対応とばかりに上がってきた。
南西へ抜けたセラエノが荒野の上空で再度旋回し、再び湿原のくびれへと
向き直ったところで、進路前方に羽牙たちの黒いわだかまりが出現した。
「っと、いらっしゃったよぶちゃいくチキン共め!
測量自体はもう済んだ。あとはずらかるのみだけど、
うまくいくかなぁ」
セラエノはそう言って苦笑した。
サイアスは前方の羽牙を見据えつつ、気負いも動揺もなく
ただ静かに、ゆっくりと繚星を鞘走らせた。遮蔽物なく
降り注ぐ陽光と禍々しく濁る湿原の様々な色合いを映してか、
繚星の刃はギラリと紫炎を宿して煌めいた。
「さて、2時方向に羽牙。数18。1個飛行中隊だ。
……多くね? あいつらヒマなの? 馬鹿なの?
まぁいいや。戦闘に関しては指示に従うよ。どうすれば良い?」
「逃げましょう」
「あっははは! そうしよう、そうしよう!」
「ではまずは、羽牙の群れへ突撃を」
「って、おぃ!」
「目前に迫ったら急速上昇しその後8時方向へ旋回を。
私は上昇に合わせて手近な羽牙を繚星で切り上げ、
一体仕留めて追っ手を減らします」
「ふむ、こちらから仕掛けて出合い頭の虚を突いて削り、
怯ませたところで逃げるのか。群れた羽牙や魚人の初手は
大抵威圧か舐めプだし、ヤバいと感じたら必要以上に様子見するしね。
いい判断だ。何よりガツンとビビらせるのは気分がいい。
あ、だから連中もやるのかもね。勉強になっちゃった。
上昇はこちらの都合でやっちゃっていいのかい?」
「はい。私は閣下の動きに合わせ、
進行方向に繚星を振って補助します」
「ほほう、三枚目の翼みたいだね、それ。
姿勢制御の補助までしてくれるなら至れり尽くせりさ」
そう言ってセラエノは北東から急速接近する
羽牙の群れをきっ、と睨み、高らかに言い放った。
「よぉし! 括目せよ下郎ども!
真なる大空の覇者が誰であるかを!」
セラエノは高笑いしつつ弾くように翼を打ち震わせ、
猛速度で羽牙へ突撃を開始した。




