サイアスの千日物語 三十九日目 その八
「では本日午前の講義はここまでとします。
明日は初級ロールの残りと基本陣形及び戦術の確認をおこない、
訓練課程における座学講義を完了する予定です。
また、明日午後は実技訓練が無く、代わりに第三戦隊営舎前広場にて
各戦隊長の列席の下『配属式』が行われます。
それと、今日明日は補充兵が第三戦隊営舎の食堂を用いる
最後の機会になるため、本日の午後から明日の午後までの間、
補充兵に対し当営舎厨房が特別な料理を提供するとの話です。
楽しまれると良いでしょう」
ルジヌはそう言い残して補佐の兵士とともに第一会議室を後にした。
サイアスらは他の補充兵が退出するのを待ってから
ゆるりと退室し広間の階段へと向かった。
階段中央の踊り場でラーズやベリルと合流したサイアスらは、
任務等の確認のため、一旦第四戦隊営舎へと戻ることとし、
別命なければ早めに取って返してこちらの食堂で昼食をとると
いうことで話をまとめ、他の補充兵たちが賑やかに一階広場で
左右の食堂へと足を運ぶ中、営舎出口の大扉へと歩を進めた。
無駄口を叩きながら先頭を進むシェドがやや散漫な様子で
武装した兵士が問題なく通れる大きさの観音開きの大扉を開けた。
すると頭上から、だらりと逆さの人影が垂れてきた。
「ぎゃぁああぁああああっ!
妖怪さがり首じゃぁあああ!」
シェドは腰を抜かしてへなへなと後ろへとへたり込み、
その姿勢のままシャカシャカと高速で後方へ逃走した。
「ひゃぁあああ!」
「うわっ、キモいキモい! こっちくんな!」
不意に垂れ下がってきた人影とシェドの奇っ怪な動きに
ベリルとロイエが悲鳴を上げ、ベリルはサイアスにへばり付き、
ロイエはサイアスの陰から足を出してシェドを踏みつけようとした。
サイアスは終始無言かつジト目で成り行きを見つめ、
デネブがサイアスの前に立ちはだかりシェドの進路を妨害した。
シェドは恐るべき旋回性能を発揮し滑るように進路を変え、
状況発生後即座に安全域に退避していたラーズの背後へと回り込んだ。
ラーズはヒッ、と悲鳴を上げ、その後悲鳴を上げた自分に舌うちし、
シェドを踏みつけようとした。シェドはこれをぐにゃりとかわして
今度はランドにへばりつき、終始まったく身動きできずじまいだった
ランドは、これを振り落とそうともがきだした。
「ぷぷっ、あっははははは!
最高だ! 素晴らしい反応だ!!」
大扉の上枠からだらりと垂れ下がった逆さの人影は
そう言って腹を抱えて笑い出した。純白のローブに金髪碧眼。
乳白色の肌をほのかに上気させ、大扉の上部から上半身を垂らして
笑い苦しんでいるのは、参謀長のセラエノだった。
「シェド君だっけ? 君いいねー、実に素晴らしいよ!
あ、遠くで見てるだけで十分なので、近くには来ないでね。
しっかしサイアス君は愛想が無いよねー。
ちょっとくらい驚いてもバチはあたらないよ?
むしろ驚かないのは上官不敬じゃないの? 酷いよねー。
ところで『妖怪さがり首』って何?」
セラエノは相変わらずセラエノだった。
サイアスはジト目のまま溜息を付き、
「閣下、扉は止まり木ではありません」
と述べた。
「にゃにぃ? 失敬な若造めぇ!
この城砦は私が監督して造ったんだぞぅ!」
「えっ、それって……
参謀長閣下って、今何歳……?」
うっかりランドがそう呟き、
しっかり聞きとがめたセラエノが
「上官不敬! 上官不敬!」
と九官鳥のように喚き始め、
慌てて人型に戻ったシェドがランドの頭を下げさせた。
「さーせんっした!」
「す、すみませんでしたっ!
見た目が美少女だから、つい……」
「……」
セラエノはランドの弁明にしばし黙った後、
「苦しゅうない! 苦しゅうない!」
と鸚鵡のように連呼し始めた。
その時一同の背後から、これみよがしに特大の咳払いが響き、
「参謀長…… 何をなさっているのですか」
と、ルジヌが底冷えのする目で
大扉からコウモリのようにぶら下がるセラエノを見据えていた。
「げぇっ! ルジヌ!!」
セラエノがそう叫び、
「ジャーンジャーン!」
シェドがさらに追加で叫んだ。
「ん? 何それ。
てか『さがり首』ってどんなよ?」
セラエノは一瞬で切り替わってシェドに尋ねた。
「伝統の効果音っす!
さがり首はついさっき思いつきました!」
「ちぇー、つまらない……」
シェドの答えにセラエノは退屈した。
「東方諸国の民間伝承に、木から垂れ下がる
『さがり』なる妖怪がおりますが……」
先ほどの睥睨はどこへやら、
ルジヌは興味深げにそう答え、
「あれって馬の首だけお化けじゃん!
……えっ、まさかこいつ私のこと
どこの馬の骨、くらいに思ってるってこと……?」
セラエノはそう言ってジトりとシェドを見つめ思考を読んだ。が、
「あーダメだこれ、エロいことしか考えてない……」
と暴露し、いつしか遠巻きに様子を窺っていた
大勢の補充兵たちを含め、その場の全員がドン引きした。




