サイアスの千日物語 三十八日目 その三
夕刻。たっぷり薪を抱えたシェドとランドが厨房と訓練所を往復し、
一風呂浴びてサイアスの居室の応接室に顔を出した。
応接室では朝からひたすら勉学に励むベリルにデネブが茶菓子を
出してやっており、ロイエがついでに食べているところだった。
ラーズは一旦部屋へ引き返しており、シェドとランドの訪れに合わせて
再び楽器と楽譜を持ってやってきた。
「よぅお疲れ。
なんか労働した顔してるな、お前ら」
「おぅよ。
木こりやってきたぜ」
シェドは手短に訓練所での出来事を話した。
「ほー、訓練にもなって一石二鳥だなそりゃ」
「そっちはどうなん?
何か弾けるようになったんか?」
「んー、とりあえず楽譜の見開き1ページは何とか?」
「ほへー、よっし。
この俺っちがお前の成長振りを確かめてやるぜ」
「シェドは相変わらずだねぇ。
でも確かに興味あるかも」
「へー、あんたソレ弾けるようになったんだ?
ベリルも休憩してるし弾いてみなさいよ」
などと次々にけしかけられ、
ラーズはまんざらでもなさげにヴァイオリンを構えた。
「言っとくが、この楽器が初めてってだけで
俺ぁ元々弾ける人間だからな? 腰抜かすんじゃねぇぞ」
そう言ってサイアスから受け取った楽譜を眺めつつ、
さらりと演奏を開始した。勢いのある導入に抑揚のある旋律、
装飾的な表現といい、到底素人のものとは思えぬ腕前に、
一同はおぉ、と声を上げた。すると奥の扉が音を立てて開き、
音色に釣られたらしいサイアスが、寝ぼけてフラフラと歩いてきた。
「あら。今日は起きないかと思ったわ!」
「ん…… 今いつ?」
「もう夕方よ」
「そう…… お腹が空いた」
サイアスは夢うつつといった風に
ロイエとやりとりした。
「お前、クマか何かかよ……」
「お腹空いたクマ……」
「あれ、何かノリがいいね。
寝ぼけてるから?」
「どうでもいいクマ……
食事を……」
サイアスは適当にシェドとランドの相手をした。
サイアスの言葉に反応して、デネブが厨房へと食事を取りに行った。
その後サイアスはさらにフラフラと歩き、
応接室の壁際にある大きな横長のやけに分厚い机の様なものに向かった。
サイアスは机の天板を右側から持ち上げ、斜めに上げて固定した。
これは反響版であり、内側には無数の弦が張られ、椅子の側には
長鍵を黒、短鍵を白に塗った鍵盤がズラリと現れ、サイアスは手指を
巧みに動かして音階や和音を奏で始めた。
「ラーズ…… 主旋律だけ弾いてみるから、
覚えて合わせてみて」
サイアスはそういうと椅子に腰かけ、
不思議な机・チェンバロに向かい、暗譜済みである
ラーズの持つ楽譜の最初から見開き2ページ目までの主旋律を演奏した。
チェンバロは平たくいえば、横倒しにしたハープの弦を
手前の鍵盤を介して奏で、反響版で響かせる楽器であった。
ポロポロと独特の風合いで、星の砂が零れるかの如く
室内にチェンバロの音色が響き渡った。
「へー、ソレも楽器だったんだ!」
「音が可愛い……!」
ロイエとベリルはそう言って
夢中になって聴いていた。
「……この先は右の弓を高速で動かす
特殊な技法がくるから、まずはここまでだね」
指定の範囲を一通り弾き終わると、
サイアスは続けて左右の手指を用いて
複数の音を合わせて同じ旋律を演奏した。
「うぉお、何かレッスン始まったーッ!」
「しっ、茶化すのやめなよ」
「……大将、すまねぇがもう一度頼む。
音の高低が微妙にぶれて合わねぇよ」
「調律は済んだんだっけ?
それは元々そういう楽器、と言っちゃったら
身も蓋もないけれど、その音の震えさえも
計算して組み込んでいけるようになるといいね」
サイアスはそう言って頷き、再び最初から2ページ目までを
速度を落としてゆるりと弾いた。
「これは変奏曲だから、慣れてきたら細部は自分で
アレンジしてみると面白いかもしれない。
そういう意味では楽譜は参考程度でいいかもね……
ソレは言わば、私のアレンジだから」
「はい先生! 変奏曲とは何ぞや!」
シェドが手を挙げて質問した。
「変奏曲とは、主旋律を様々に変化を付けて
繰り返し演奏する曲のことだよ。
同じ食材を色んな調理法で食べる感じ?」
「おぉ、つまり……
カニ尽くしとかタケノコ尽くしみたいなもんか!」
「そうだね。キノコよりタケノコだね」
「よせ! それ以上いけない」
「ん? まぁいいや。
ラーズ。伴奏するから合わせてみよう」
サイアスはそう言って和音を取り、
先行して主旋律を一度弾き、ラーズの演奏を促した。
ラーズは先の音色を微妙に修正して巧みに弾きこなし、
サイアスと旋律の追いかけっこをしながら
スルスルと未修得の2ページ目まで弾いてのけた。
「おぉー…… 凄ぇー」
「楽しいなぁ……
大将、また頼むぜ!」
シェドが感嘆の声をあげ、
ラーズは楽器片手にサイアスにお辞儀をし、
サイアスも笑顔で会釈を返した。
サイアスはすっかり目が覚めて、今度は別の曲を弾き始めた。
それはゆったりと甘い微睡みから徐々に目覚め、
楽しげに踊りだす人形の曲であり、続いて二曲目は
鍛冶屋が鎚を響かせて仕事に精を出す賑やかな曲だった。
いつの間にかサイアスの側のソファにはニティヤが
腰掛けており、うっとりとした表情でサイアスの
旋律に聴き惚れていた。他の連中も負けず劣らず旋律に酔いしれ、
気が付けばそれなりの時間が経っていた。
ふと見やると、デネブがトレイに乗せて厨房から
人数分の料理を運んできていた。デネブはそれを手際よく
大きな卓に並べ始め、ロイエやベリルもそれを手伝った。
そうして一同は、夕食を楽しむことになった。
作中の各曲は以下の楽曲をモチーフとしています。
・サイアスとラーズのセッション
クライスラー「コレルリの主題による変奏曲」
・サイアスのソロ1
オースティン「人形の夢と目覚め」
・サイアスのソロ2
ヘンデル「調子の良い鍛冶屋」




