サイアスの千日物語 三十八日目 その二
食堂に移動したランドとシェドは、朝方までの
喧騒の気配がかすかに残る食堂で軽食を注文した。
食事を運んできたのは何とデネブであり、
二人はびっくりして問い質した。
「あれ? デネブ何してるの」
(お手伝いです)
「いや、そりゃそうなんだろうけどよ」
(女将さんが忙しそうなので)
「ほ、ほぅ……」
(性分なので)
デネブは手短に帳面で受け答えすると、
さっさと厨房へ戻っていった。
「なんつーか。やばい。俺ら要らない子かも」
「そうだねぇ。ちょっとは何か、役に立つことしないと……」
シェドとランドはそこはかとない
危機感を感じてそう呟いた。
「何だよ、お前ら役に立ちたいのか?」
すっかり騒ぎ仲間となった近くの兵士が
ブツブツ呟くシェドとランドに声を掛けてきた。
「それなら訓練所に行くと良いぜ。
何ならこの後一緒に行くか?」
「おっ、良いんすか?」
「うむ。役に立ててためになって、
小遣いまで貰えるステキな職場だぜ」
「うっわ、罠くせーっすよ。
笑顔の絶えないとか素敵な先輩が、とか
何一つ業務内容に関係ない美辞麗句はヤバい」
「うるせぇよ! 生きてるだけで丸儲けと思え!
おらさっさと食え。食ったらいくぞ」
「やっぱ罠か!」
「違うっつってんだろうが!」
こうしてシェドとランドは兵士に連れられ、
訓練所で試し切りという名の薪割りに勤しむことになった。
「ありがとうよデネブ。すっかり世話んなっちまったね。
宴会後はどうしても人手がきつくてねぇ。ほんと助かったよ。
ほら、これ持っていきな。坊ちゃんたちも喜ぶだろ」
厨房長は黙々と手伝いに励んだデネブを労い、
台車のトレイに山ほど果物や菓子を盛ってデネブに与えた。
(ありがとう御座います)
「なんの、そりゃぁこっちのセリフさね。
坊ちゃんはまだ寝てるのかい?」
(今日中に起きるか怪しいです)
「朝までひたすら弾き語りしてたからね……
わざわざ厨房にも来てくれて、お蔭で私らも楽しかったけどさ。
あんたもそうだけど、あんまり無理しないでおくれよ?」
(女将さんも)
「ほんと、良い子だねぇ」
厨房長はそう言って笑顔でデネブを見送った。
ラーズは徐々に手に馴染んできたヴァイオリンを
ギコギコゲイゲと掻き鳴らし、何やら曲らしきものを
弾き始めていた。すると壁の向こうからドコドコガンガンと
荒々しい音が返ってきたため、慌てて廊下へと飛び出した。
見るとロイエとベリルの居室に大量の職人らしき人手がおり、
何やら作業に全力を注いでいた。
「よぉ、大忙しだな」
ラーズは手前で指揮を執る一人にさりげなく声を掛けた。
「サイアス様の配下ロイエンタール殿から、
注文が入ってね。サイアス様からの注文は最優先かつ
全力でやれと指示されてるから、ウチらも本気さ」
「ほー、そうなのかい。邪魔したな」
ラーズはそう言って居室へと戻り、騒音に紛れて
遠慮なくヴァイオリンの練習に励むことにした。
暫し時を忘れて練習に没頭していたラーズは
いつの間にか隣室が静まり返っているのに気付き、
休憩がてら廊下へと出た。演奏の休憩ながら楽器は決して
手放そうとせず、しっかり手に握りしめているあたり、
かなりヴァイオリンが気に入った様子であった。
「何だこりゃ……」
ラーズはロイエとベリルの居室である隣室の扉を見て呟いた。
扉の中央には真鍮のプレートが取り付けてあり、そこには
「サイアス小隊菜園」
と文字が打刻されていた。
ラーズがヴァイオリン片手に首を傾げていると、
丁度サイアスの居室の扉から、ロイエがひょいと顔を覗かせた。
「あんた何やってんの? 暇なの?」
「楽器の練習だ。つぅかこりゃ何だ。
お前ら部屋はどうしたよ」
「こっちに引っ越したわ!」
「……ベリルもか?」
「当然。連れ子よ!」
「何、だと……」
どうやら齢17のサイアスには、
齢11の娘が出来たらしい。
ラーズは思わずこめかみを押さえた。
「まぁ、俺も命が惜しい。
この件に関してはコメントを差し控えるぜ。
それより菜園ってのは?」
ラーズはロイエに続いてサイアスの居室の
応接室に移動しながらそう問うた。
「昨日の荷物に傭兵団の仲間が色んな種を入れといてくれたのよ。
こっちで育つか判らないけど、ここって野菜少ないらしいし」
ロイエはそう言って棚から鍵を取り出し、
再び廊下へと出た。ラーズは応接室の脇の専用机で
書物とにらめっこするベリルや、卓に果実を盛りつける
デネブに軽く挨拶すると、ロイエに続いて廊下を出た。
「あんた隣だし、時々菜園で練習したら?
植物って話し掛けるとよく育つっていうし」
「ヴァイオリン聴かせて育てるのか?
それはそれで面白そうだが」
そこはかとなくニヤニヤしつつ、
ラーズはロイエに続いて菜園の扉をくぐり、
中の様子を見て呆気に取られた。
「凄いわねー資材部って。何でも作っちゃうのよね。
サイアスの名前だしたらすっ飛んでくるし」
居室からは家具の類が全て撤去され、天窓が拡張されて
至るところに反射鏡が仕込まれており、一日中何らかの光が
部屋中に差し込むような工夫がされていた。
居室中央には寝台二つ分ほどの長方形の浅いプレートが
段重ねに数枚設置されており、脇にはハンドルらしき取っ手のついた
装置があった。どうやらハンドルを回すと、プレートの上下の順が
入れ替わる仕組みらしかった。
かつて洗面所のあった場所は、そのまま水場として再設計されており、
脇には菜園用の諸々の小道具が並べられ、麻袋や縄、
書面なども置いてあった。
「あいつらあの短時間でこれだけやったってのか。
確かに凄ぇな……」
「預かってる部隊の勲功、持ってるだけじゃ増えないから、
ここを菜園にして、採れた野菜を厨房で引き取ってもらうわ。
報酬に勲功を貰えばうちも潤うし、営舎の食生活も豊かになるわよ!」
「ほほぅ。そりゃ凄いな。んで何を育ててるんだ?」
「香辛料はフェルモリアからたっぷり貰えるって言ってたから、
東方由来のヤツが中心よ。稲とカブ、大豆、小豆ね」
「小豆…… まさか」
ラーズはロイエを鋭い目でみた。
「察しがいいわね! そうよ! こしあんを作るのよ!」
「待て! 別につぶあんだっていいじゃねぇか!」
「えぇいうっさい! 皮だけ食ってろ!」
しばしロイエとラーズはギャアギャアと喚き合い、
「あの、できたら静かにしてください……」
とベリルが申し訳なさそうに頼みにきたため、大人しくなった。
後にラーズも菜園の手入れに手を貸すという条件付きで、
小豆の加工法については厨房長に一任ということで話がついた。




