サイアスの千日物語 三十七日目 その二十七
後の書にいう「奇跡の9拍」の9拍目。
地に降り立ったミカは直後こそ足元が覚束なかったが、
すぐにけろりとして南方へと歩みだした。
天を駆けるという奇跡をやってのけた人馬を称賛すべく
すぐに第四戦隊の兵士らが歓声をあげつつ寄ってきたが、
「セラエノ軍師長が虫の息です!」
とのサイアスの声に大いに慌て、まずは、と
グルグル巻きに縛り上げて固定したミカとサイアスらとの
接続を、数人がかりで解きにかかった。
セラエノは2人と1頭の重さを飛翔させたことで
持てる力の全てを使い切り、文字通りの意味で虫の息となって
ぐったりとしていたが、
「た、大変だ! 閣下が死にかけのハエみたいになっとる!」
「ハエだ! 閣下がハエだーっ!」
と錯乱し騒ぐ第四戦隊兵士らのおふざけ振りにムカっときて、
「ぜひゅー、だ、だれ、がひゅー、は、げっほぇほ、はえだ、
えっほげほっ、しつ、げひゅー、しつれいな、はひゅー、やつ」
と、悶え乱れつつも必死に物申した。
兵士らはその様に笑いを隠そうともせず、
ともかく何とかミカとサイアスらの固定を解き放ち、
いよいよサイアスとセラエノの腰を縛りつけた縄を解こうとした。
だが、そこでセラエノが
「お、お前、おまえら、あとで、おぼえと、げぷ、ぅぷ、
……う、吐きそぅ……」
と言い出したため、
電光石火で飛び退き避難した。
「……え? えぇっ!?
ちょっと、早く解いて! 降ろして!」
サイアスはそれは切実で悲痛な叫び声をあげた。
だが、爆発寸前の危険物に近付く馬鹿はいなかった。
「ぅ、ぅぶぅっ! げふ、もぅ、無理……」
言い終わるや否やセラエノは
がしっとサイアスのチュニックの背を掴み、
周囲の誰もが耳を塞ぎたくなるような、
それはとても美しくない音を盛大に立てた。
「!!!!!!!!」
サイアスの声にならない悲鳴がこだまし、
そして暫しの静寂が訪れた。
その後第二戦隊本陣や輸送部隊から駆け付けた手勢が
顔をしかめつつもセラエノを引き解き、
介抱しつつも軍務をやらせるべく連行していった。
ミカの背に一人ポツンと残されたサイアス。
第四戦隊の面々はこれを、バツが悪そうに取り囲んでいた。
「……」
サイアスはこの世の終わりの様な目付きで兵士らをジト見したが、
兵士らは決して目を合わすまいと必死にその目を逸らした。
かろうじてデレクが
「あー…… おちかれー。
まぁアレだ。とりあえず先戻っていいよ……」
と声を掛けた。それを受けて周囲の兵士が、
「う、うむ! まぁアレだ!
『天使セラエノの出汁』なら、きっとなんかご利益もあるって!」
「お、おぅ! いゃー羨ましいなー、
俺もご利益にあずかりた、ってうおぉっ!
きったねぇな何しやがるっ!」
とサイアスに吠えた。
サイアスはビロンとのびたチュニックの背中に
たっぷり沁みた「天使の汁」とやらを手袋で触れ、
兵士に向けてビっと弾いてやったのだった。
「羨ましいって言ったクセに! 嘘つきめ!」
サイアスは恨めしそうにそう叫び、
「ば、馬鹿野郎! コトバのアヤに決まってんだろ!」
と兵士はミもフタもない返答をして、
さらに汁を飛ばそうとするサイアスから脱兎のごとく逃げた。
サイアスはすぐに馬鹿馬鹿しくなって溜息を付き、
今度は配下の小隊を見やった。こちらはこちらでサイアスが
目を背けたくなるくらい憐れみに満ちた目を向けており、
「あの、お疲れ様…… 元気だしてね?」
「なんか、アレな。ごめんなっ?
俺、かわりに謝っとくからさ……」
とランドとシェドがサイアスを労り、
「後のことは気にすんな。
さっさと戻って風呂にでも入んな……」
「そのうちきっと良いことあるわよ!
今日は何食べてもいいから!」
とラーズとロイエに励まされ、
「だ、大丈夫です! 洗えば落ちます!」
と大声でベリルに元気付けられ、
それに合わせデネブがコクコクと頷いていた。
「……帰投します……」
サイアスは何を言うのも空しくなり、
生暖かい背中に顔をしかめつつ
ミカと城砦へと向かい始めた。
「……まったく。
しょうがないから付いてってあげるわ……」
とどこからともなく声がして、
不意にミカの背中にニティヤが姿を現した。
ニティヤはサイアスに真新しい医療用の白布を掛けて
ケープ代わりとし、直接出汁に触れないよう細心の注意を払いつつ、
横乗りになって共にミカに揺られ、城砦へと戻っていった。




