サイアスの千日物語 三十七日目 その二十五
「……閣下、本気ですか?」
サイアスはほぼ背後霊と化したセラエノに、肩越しにそう問うた。
「ん? 何で? 当たり前じゃん。ほらさっさと脱ぐ!」
サイアスはセラエノに急かされるまま、
また、第四戦隊兵士たちの実に楽しげでいきいきとした表情に
見守られる中、ベルトと繚星を外し、コートオブプレートを脱いで
兵士らに手渡し、薄手のチュニック一枚となった。
受け取った兵士たちは待ってましたとばかりにサイアスと
セラエノを腰の辺りでがっちりと縛り上げ、
さらに鞍ごとミカに何重にも固定した。
サイアスはこれでミカへの細かい指示出しができなくなったが、
元々大した指示を出していないため問題ないとされた。
ミカとしてはサイアスとセラエノ二人足しても
武装したそこらのゴツい兵士よりは遥かに軽いため、
ちょっと大げさな背荷物がある程度にしか感じてはいなかった。
「閣下、これにて準備完了です。
サイアスよ、何というか、まぁ頑張れー」
デレクは実にニヤニヤしつつ
何とも投げやりな報告と声援を寄越し、
他の兵士たちも同様に、城砦側へと後退していく
サイアスらをニヤニヤしながら応援していた。
「マナサ様、東方に展開中の分隊から報告です。
輸送部隊は定刻通り北往路の西隘路を通過しました。
分隊も後続として追従する模様です」
「そう、そろそろね…… 視界に入り次第動くのでしょう。
各自、迎撃態勢を堅持しなさい」
「ハッ!」
河川から70歩程南に後退した位置で、西を正面として
マナサは配下と共に状況を窺っていた。強さの判らぬ、
そしておそらくこちらより上手の未知の敵に対しては
睨みあいによる戦況の膠着は決して悪くない状態であったが、
いつまでも続けられるものではなかった。
またこちらの目的が時間稼ぎであると判断されれば、
何らかの強硬手段に出ることはほぼ自明であった。
本作戦の最大目標が輸送部隊の護衛である以上、
マナサらとしてはやはり、何か変化が起きるまでは
動き出し難い状態にあった。
「……」
ローディスは20歩程の距離を保ったまま、
初めてまみえる奇妙な魔物と睨みあいを続けていた。
全長は城門の三分の一程度。
仮に輸送部隊の馬車の荷台を縦に立てたなら、
こんな感じになるのだろう。出現当初はヌラヌラとした粘膜に
覆われた柔らかそうな球に近い形状の構造体だったが、
今は厚手の甲殻の様な装甲に覆われ、
いかなる矢も槍も受け付けそうには無かった。
硬質の甲殻の下部には、縦に亀裂の入った
巨大な真円に近い二つの目があった。地上のいかなる生物とも、
また魚とも似ていないその目の構造は、この存在が特殊な環境下で
棲息している可能性をも示唆していたが、現状狙えそうな弱点らしい
弱点部位といえば外観上はこれくらいだった。
やたらとでかい目の側面、やや後方寄りには
魚のエラやヒレをより長く広範にした印象の、左右一対の羽が生えていた。
その羽は地上生物で言えば虫の持つ翅に近く、地上で全身を支えて
飛ぶにはやや無理があるようにも感じられた。もっとも相手は
まともな存在ではなく、既知の法則で類推しすぎるのも
危険であるとはいえた。
そしてこの魔物の最大の特徴は、
やはり下部に無数にひしめく触手であった。
正面から視認できるだけで20数本。半数は自重を支えるのに
使用されているが、自由に動かせる分だけで10はあり、
そのうち数本には地上で拾い上げた様々なものを掴んでいる。
大盾や杭、木柵の残骸に加え、槍や両手斧まで掴んでおり、
戦闘の際には直接的な脅威となると思われた。
もっとも装備したところで技量まで身に付くわけではない。
大抵は単調な薙ぎ払い、もしくは打ち付けや投げつけで来るだろう。
さらに複数の腕に別個にもった武器全てを同時に制御できるだけの
器用さがあるかも微妙ではあった。
ローディスは触手の一本がやけに気に入って振り回している
大漁旗を見やりつつ、苦笑していた。
「そろそろだな……
お名残惜しいが、お見合いはそろそろ終いだ」
ローディスは低い声でそう呟き、手にした魔剣をすっと胸前に構えた。
周囲を場違いな紅色に染める魔剣の刃のその付け根。鍔の中心に輝く
琥珀の宝石はまるで瞳のように明滅しつつ輝きを発し、
魔物の在り様を捉えていた。
雨上がりの曇天は、諸所の切れ間から
柔らかい陽光を差し込み始めていた。
時刻は午後3時を少し回った辺り。
後の書にいう「奇跡の9拍」が始まろうとしていた。




