サイアスの千日物語 三十七日目 その十九
「また魚人が来たのか。まさか本命と言う訳でもあるまいが」
ローディスは遥か前方やや北東から迫りくる、彩度の高い魚人の
群れを見た。くすんだ青もしくは銀色の個体に比してもっぱら
知性面で秀でたこの連中は、何らかの策を仕掛けてくる可能性もあった。
現状、城砦北部の戦場は、城門から150歩前後、丁度河川へ向かう
緩やかな下り坂の入り口付近に第四戦隊本陣が横一列となって布陣、
支援射撃を実行していた。斜面に入ってすぐの位置には、横長の楕円状に
展開した第二戦隊本陣。20歩程先には第四遮蔽陣があった。
さらに20歩程先に第三遮蔽陣が展開しており、その先は第一、
第二遮蔽陣が粉砕されたため、掘り返された土と屍、血や破片に
雨などが入り混じった、不浄の地とでもいうべき泥濘となっていた。
抜刀隊はこの泥濘の南の端で鑷頭と戦闘に及んでいた。
折からの雨は徐々に勢いを失いつつあったが、この不浄の地は
水棲の眷属たちにとって乾いた大地より遥かに過ごしやすく、
その気になれば適宜屍を喰らい武器を補充し潜伏もできる、
理想的な戦場となっていた。
「事実上、第三遮蔽陣目前にまで
河川が拡がってきたようなものだな……」
ローディスはどこか感心するようにそう呟いた。
「閣下、戦況を報告します。抜刀隊、鑷頭3体を撃破。
一番隊及び三番隊の兵士あわせて4名死傷とのこと」
「ふむ」
「件の魔物による損害は、兵が散開していたために
数はそこまで多くなく、犠牲者は15名に至るかどうかと
いったところです」
「損失が三割を超えたか…… 一般兵を後退させろ。
抜刀隊の支援は第四戦隊に任せよう」
「御意!」
複数の伝令が任を受けてすっ飛んでいった。ローディスは頻繁な
作戦変更を好むため、第二戦隊では伝令部隊がすこぶる充実していた。
これら伝令専門の副官たちはいずれも軽装で抜群の俊足を誇っていた。
「閣下、件の魔物に関してなのですが……」
軍師がローディスに語りかけた。
「外傷以外に毒による死亡者も出ているようでございます。
急性麻痺による心筋梗塞が死因かと。うかつに接敵するのは
考えものですな」
「そうか。まぁ毒のありそうな見た目ではあるな」
ローディスはそう言って、北東から迫る魚人と距離を取り、
北西で戦闘準備を整える件の魔物を見やっていた。魔物は一通り
頭部に刺さった矢の類を抜き去り、さらに頭部から粘性の高い物質を
分泌し、ドロリとその身を包みつつあった。
「ん? 何をしている……」
ローディスと軍師は慌てて遠眼鏡で魔物の様子を確認した。
魔物の頭部らしき部位は見る間にドロドロの粘液に覆われ、それが何重にも
重なり、やがて乾いて殻となった。どうやら自身の負傷を分析し、
即席にして適切な変化もしくは進化を成し遂げたようであった。
「……余り手数を掛けるのもよくないようだな」
「ハッ……」
ローディスの感情のない声に軍師はむしろ絶望感を見せて返事した。
「近場の騎士は?」
「四戦隊のマナサ様かと。またデレク様もまもなく合流されます」
「ではマナサを呼べ。デレクには支援射撃を統率させろ」
「ハッ!」
「それと、城砦に一番近い騎兵は誰だ」
「第四戦隊サイアス小隊のサイアス殿かと」
「よし、ではサイアスに伝令だ。
城砦に戻りセラエノを召喚し、二戦隊本陣に入るように」
「ハハッ!」
伝令は鮮やかな加速を以て走り去った。
「マナサ、これに」
ほどなくして、ローディスのもとにマナサが訪れた。
「よく来た。これより陣形を変更、逆斜線陣を敷く。
お前は右翼最前列で指揮を執り、魚人の群れを殲滅。その後は
例の魔物と距離をとりつつ投擲攻撃で支援しろ」
「了解」
マナサは妖しげな笑みを浮かべてそう応え、すっと姿を晦ました。
ローディスはそれを見送ると椅子から立ち上がり、
傍らの軍師に告げた。
「軍師よ。セラエノが到着次第、役目を引き継ぎ指示を仰げ。
例の魔物は俺が相手をしてこよう」




