サイアスの千日物語 三十七日目 その七
「では再び資料の2ページをご覧ください」
笑いの収まった虚を突いて、軍師ルジヌがそう言った。
「ちょっ、まだやるんすか!?」
シェドは頓狂な声を上げたが、
ルジヌはそれを見てしたりとばかりに
「兵の在り様は水に似る」
と告げた。
「えっ」
シェドは思わずそう呟いた。
と、そこにサイアスが
「高きを避けて低きに流れ、勢いを避け虚を穿つ」
と続け、シェドはルジヌとサイアスを交互に
見比べていたが、さらにロイエが
「水は地形で流れを変え、兵は敵状で攻め手を変える」
と応え、益々挙動不審となったシェドに向かってランドが
「故に兵には常勢なく、水に常なる形なし」
と結んだ。
「何だよ…… お前らなんだよぅ!」
とシェドが困惑して喚くも、
4名に加え教官及び他の数名の補充兵が一斉に
「敵に応じてよく変じ、勝敗制すは神将なり」
と唱和した。シェドは呆気に取られて口をパクパクさせていたが、
「今なお戦の続く東方諸国において、古くから伝わる格言です。
御存知の方が多いとは、さすが士官たるべき第一組ですね。
戦術を現実に即応させ、適宜変じつつ勝利を果たすべし。
本来の予定や策に拘泥してはならぬものの、
本来の目標を失ってもなりません。機あらば果たすべきなのです。
要は臨機応変に講義を進めよと、そういうことですよ? 殿下?」
とルジヌがドヤ顔でそう言った。
「いやぁぁぁあああ! その呼び方止めてぇぇぇえっ!」
殿下呼ばわりされていたであろう過去に
心の傷でもこさえていたものか、シェドは何やら悶え狂い、
ぶつぶつ呟いてすぐに大人しくなった。
「では水辺の眷属のうち、とりわけ頻回に遭遇する『魚人』について
確認しましょう。魚人はその名の通り、魚と人、両方の特徴を具える
眷属です。外見上は魚が勝り、顔や胴はほぼ魚で、エラや背びれ
尾びれが歪つなまでに発達しており、胴には人に似た手足が
生えています。色は概ねくすんだ青または銀ですが、中には彩度の
高いものもおり、そうした個体は大抵指揮官となっています。
魚人の全身はくまなく鱗に覆われており、その防御力は甲冑を纏った
重装歩兵を上回ります。その一方で動きに俊敏さも兼ね備えますが、
こと陸上に限っては十分捕捉し得る速度に落ち着きます。
魚人は高い知性を具えており、また常に群れで行動します。
我々の班や小隊に近い編制を好み、ほぼ確実に5体単位で現れ、
うち一体が色違いで指揮官となっています。
魚人は勝てる戦いしかしないという点で、他の眷属に増して
厄介な相手です。大まかな戦力の観測が可能であり、
こちらが寡勢である場合に専ら奇襲で仕掛けてきます。
また心理的圧迫を戦術として用い、威嚇や罵倒と取れるような
行動に及ぶこともあります。
魚人の戦力指数は概ね5であり、指揮官と目されるものも
戦力的には同値です。この数値は河川内部もしくは密接な距離に
おけるものであり、河川から遠ざかるにつれ減衰し、
十分引き離した場合2.5にまで落ちます。
魚人の主たる攻撃方法は腕を活かした打撃もしくは体当たりですが、
人型眷属に共通する特徴として、武器の使用が見受けられます。
自ら生産し常備して戦う例は稀ですが、こちらの兵士やその死体から
もぎ取った武器をその場で装備し、適宜用いてくることがあるのです。
もっとも、手にして振るうことは出来ても技量まで伴っているわけでは
ありませんから、弓や刀、ハルバードといった扱いに熟練を要する武器は
好みません。最も好むのは槍で、本来の高い防御力に加え武器による
攻撃力と間合いの広さを獲得し、かなりの難敵と化すことがあります。
魚人の弱点はエラの付け根。硬質な外皮の狭間にある剥き出しの
内皮であり、エラの付け根は言わば甲冑の継ぎ目、まさに付け入る隙
といったところです。また心理戦を好むため、こちらの心理戦にも
乗りやすいという特徴もあります。ある程度戦力に被害が出れば、
あとは威圧のみで撃退できることも少なくありません」
「河川に潜む眷属には他に大ヒルや鑷頭といった大型種がおりますが、
それらも含めての最良の対処法は、河川へ近寄らないことです。
往路の通過等やむを得ない場合では、一般的には河川に油を撒いて
火を付けるといった手法が取られます。基本的に火を用いた攻めは
どの眷属に対しても有効ですが、水辺の眷属にはとりわけ効果的です。
水辺を含む荒野での戦闘に際しては発火用の小物、すなわち
油や松明を常に持ち歩くことが望ましいといえます。
当城砦において昼夜を問わず松明や篝火が焚かれるのも、
そうした事由によるものです」
ルジヌはそこまで説明を終えると玻璃の珠時計に目を落とし、
「では本日の講義はここまでといたしましょう。
明日は『羽牙』について、及び小隊規模の戦術についてです」
と述べ、午前の講義を締めくくった。




