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サイアスの千日物語  作者: Iz
第一楽章 荒野の学び舎
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サイアスの千日物語 三十七日目 その二

サイアスは杯に注がれた美酒を口にし、

色とりどりの果実や特上の料理に舌を遊ばせつつ、

マナサの居室の壁に飾られた様々のタペストリを眺めていた。


天体図には月や星、さらには動物や人、道具などが描かれ、

星の配置を独自の世界観で再構築しており、

サイアスの知る星々の物語とはまた違った楽しさを醸し出していた。

緻密な幾何学文様を組み合わせた図形は視点の置きようで解釈も変わり、

華やかさや美しさを誇ると同時に衰微や盛衰、生死や円環といった

様々の変容を内包する世界の旅路を語りかけてくるようであった。

柔らかで暖かな毛皮と空気に包まれて、サイアスは心を中空に遊ばせ、

平原を、荒野を、世界全てを流れる風や雲になった心地を楽しんでいた。


マナサは杯を口にし笑みを浮かべ、時折故郷のことを話した。

マナサの生地はフェルモリアの北東部。山脈で区切られた南部と異なり、

東方と西方の文化が出会う往路のオアシスとして栄えた地域だったそうだ。

人も物も多く集まり、そして流れていくその地では、様々な文化の

特徴を旅愁溢れる旋律で紡ぎあげた独自の風情が好まれていたという。

自然サイアスの興味は歌や音楽に向かい、マナサはサイアスの話をも

楽しげに聞きつつ、給仕に動き回る女性らに頷きを向けた。


暫くすると女性らは楽器を手にして戻ってきた。

いくつかの鼓が繋がったものや、横笛らしきもの。そして大きさこそ

違うがまったく同じ構造の三つの弦楽器。


「? 共鳴器が、二つありますね……」


サイアスは早速弦楽器に興味を示した。

その弦楽器はやや歪な半球状の共鳴胴を下部に持ち、

そこから長い縦板が伸びて弦が張られ、頭頂部の裏には

下部と似た形状の小振りな別の共鳴胴が取り付けられていた。


「シタールよ。マナサはシタールの名手なの。

 また聴けるなんて夢のようだわ……」


ニティヤはうっとりとした表情でそう言った。


「そんなに期待されると弾き難いわ。軽く聴き流して頂戴」


マナサは苦笑しつつ、最も大きいシタールを手にし、

弦を爪弾き音合わせを始めた。響く音には深みがあり、

一音に多くの表情が見え隠れした。西方で用いられる

弦楽器に比して、より玄妙で特徴的な倍音を有していた。


終始無言を貫いていた二人の女性は、それぞれ横笛と鼓を準備した。

そしてまるで言葉を投げかけるかのように、緩やかに、

時にくるくるとその音を紡いだ。


「もう気付いているかしら。

 この子たちは言葉を話すことができないの。

 出合ったのは十年は前だったかしらね……」


マナサは遠くを見るような目で弦を見つめていた。


「言葉を持たないこの子たちに、私は楽器を与えたのよ。

 想いを表現するのなら、こちらの方が判りやすいから」


マナサは二人の女性が奏でる音に応えるようにして、

自らも音を紡いでいた。一人が音を生み、二人がそれを聴く。

別の一人が音で応え、他の二人がそれを受けてさらに一人が音を繋ぐ。

マナサらはそうやって、暫し音で会話をしていた。やがて二人の女性は

マナサと同様シタールを手にし、紡ぐ音色は曲となった。



その曲は、和音を以て旋律を彩る西方の音楽とはまったく

趣の異なるものだった。曲にはただ一つの主旋律のみしか無く、

その主旋律は倍音を響かせ雄弁に世界を物語り、一つの旋律が終わるたび

新たな旋律が世界を引き継ぎ、次々と表われかつ消え

音の旅路を流れて行った。


その曲は人の生に似て、時の流れに似ていた。様々の喜びと様々の哀しみ、

人の道行く旅路の全てを、緩やかに時に激しく歌い上げていた。

幾多の音の旅路の中で徐々に表れる旋律の主は、厳密で精緻な

固有の主題を紡ぐ西方音楽と異なって常形を持たず、

流れる水の如くその様相を細かく変じてはそれでも変わることなく

流れ続け、三人それぞれが創造神の如く紡ぐ独自の旋律は

奔放さを増し華やかに踊り遊び、やがて冒頭に表われた一つの旋律を

寸分違わず同時に紡ぎ、余韻とともに曲が終わった。



「……今朝はやけに機嫌が良いな。

 気味が悪ぃくらいだが……」


早朝、サイアスの居室、応接室。新たに二名を加え実に8人が

卓を囲んで朝食に勤しむ中、ラーズがそう言って眉をひそめた。


「ニティヤもね…… 

 何かいいことでもあったの?」


ロイエもまた不思議そうな顔でそう言った。

サイアスとニティヤは少し前にマナサの居室から

戻ってきたばかりであった。


(……二人揃って朝帰り)


デネブが帳面にそう書いてみせた。


「んまっ! 何ですってぇ! 破廉恥なっ!

 破廉恥よぉっ! お母さん許しませんことよ!」


シェドが何やらプルプルと震えつつ、甲高い声でそう言った。


「シェド、無粋だよ…… 君だって王族だ、

 浮名の一つや二つ経験しているだろう?」


ランドは苦笑しつつそう言ったが、


「ぅ…… ぅお前ぇえ! お前ぇええっ! 

 トモダチすら居ないボッチマスターに彼女いた訳ないだろがぁ!」


と血を吐くように吠えて泣き出した。


「ぅゎ、キモーイ……

 ベリル、見ちゃだめよ。あれは駄目な生き者よ」


ロイエはそう言ってベリルを引き寄せ、

ベリルは怯えて椅子ごとシェドから遠ざかった。


「おぃい!? 傷つくやんけぇ! 酷いやんけぇっ!!」


そう言ってシェドはベリルにへばりつこうとしたが、

その場の全員から総攻撃を受け轟沈した。



「折角の詩想が台無しになる。

 さっさと打ち合わせて講義に行こう」


サイアスはそう言って茶を口に運び、喉を湿して話し出した。


「今日は午後に副長がアウクシリウムから戻ると聞いている。

 君らの件を報告し紹介する予定だ。午前の講義が済み次第、

 戻って待機して貰いたい。シェドとランドはその後武器選びを。

 夕刻は私に関することで話し合いが持たれるそうなので、

 一応皆に居て貰った方が良いかな…… 夜は多分歓迎会かな? 

 まぁ宴会なのは間違いないね。お題目は何でも良さそう」


「お、おぅ、今日も宴会か…… 

 俺っち昨日ジャブジャブに呑まされたんだけど」


うぷ、とシェドが呟いた。


「いやぁ、お前ぇが来てくれて助かったぜ。

 俺ぁ傍観者ポジが好みでな。ボケも突っ込みもキツかったんだ」


ラーズはそう言ってニヤニヤと笑っていた。


「よっし! 取り敢えず行くわよ! ほら立った立った!

 キリキリしゅっぱーつ!」


ロイエに追い立てられるようにして、ランドとシェド、

ラーズにベリルが応接室を後にした。


「私は少し眠るわ。貴方も無理しない方がいいわよ」


そう言ってニティヤはふっと消えた。


「今はあの曲が鳴り続けていて、とても眠れそうにない」


サイアスは楽しげにそう言うと、

デネブを伴い、訓練課程のため第三戦隊営舎を目指した。

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