サイアスの千日物語 断章 古城にて2
アウクシリウムの北東、湖水地域。北方の山脈から連なる
この辺りは近隣への水源となっていた。湖水地域の中ほど、
かつてウィヌムと呼ばれた廃墟の北には清澄な水を湛えた
湖が横たわり、湖の中央の島には古城がひとつ佇んでいた。
太陽が中天を通り過ぎ、いよいよ大地に別れを
告げようとしていた頃。例の貴人が件の部屋へ入ってきた。
「いや、良い湯であった。夏場の湯浴みは格別であるな」
「結構なことで御座います。よもや三日も
浴場に入り浸るとは、思いもいたしませんでしたが」
例の使用人らしき人影がそう述べた。
「ふふん、良いではないか良いではないか。
さて、鬼の居ぬ間に遅めの昼餉でもいただこうかな」
「御座いません」
「御座いません、とは」
「食品の備蓄を切らして御座います」
「なんでだ!? あの夜あれから朝までかけて、
手ずから網打ち漁と野良仕事に精を出したというのに」
「連日フルコースをご用意し、連日綺麗に平らげて御座います」
「あれだけの量を食い尽くすとは…… 熊か蝗か怪獣か」
「食べたのは私よ。ご馳走様」
窓際のテーブルではメディナが食後の茶を喫していた。
「あぁ、メディナ殿! お待ちいたしておりました!」
「相変わらずの呆れた変わり身ね。
というか待っていたのは私の方よ!
たかが湯浴みに三日だなんて正気を疑うわ」
「メディナ様。我が主は湯浴みと称して水の乙女たちを召喚し、
『きゃっきゃうふふ』なる行為に耽っていたようで御座います」
「……」
「メディナ殿! 左様なジト目で見下すのはお止め下され!
とっておきの駄洒落を披露しますので。では、こほん……
『浴場で欲情』なんちてぷぷぷ」
「城ごと焼き払おう」
「妙案で御座います。油を撒いて参ります」
「待て待て待てぃ、ほんの冗談だというに。
さあさっさとやることやってしまいましょうそうしましょう」
「この男に恥の概念は無いのかしら」
「見掛けたことは御座いません」
「何を仰る、良いですか、
『人生は旅のようなもの』と申します。そして
『旅の恥はかき捨て』とも申します。然るに
『人生の恥はかき捨て』が成立しそれゆえに
『恥なぞ無いも同然』なのですぞ」
「自己弁護に関してはすこぶる勤勉で熱心ね。
弁護できているかはともかく」
メディナは肩をすくめ、茶を飲み干した。
「ま、いいわ。結果を聞かせて頂戴な」
部屋の一角には大きな円卓があり、ビロードで覆われた
卓上には、人の頭程度の大きさの水晶球といくらかの羊皮紙、
薬品の瓶や短剣羽ペンといった小物がある種の法則性を伴って
置いてあった。男がさっと手をかざすと円卓の表面に
謎の文様が浮かびあがり、水晶球が輝きだした。
どうやらこれらは、この貴人の仕事道具らしかった。
「口頭にしますか? それとも書面が良いですかな」
先刻までの痴態はどこへやら、貴人はたちまち仕事の顔になっていた。
「口頭で結構よ。但し仔細の説明をお願いね」
「心得ました。それでは……」
貴人は小声で何事か呟き始め、
言葉は輝く文字となって浮かび上がった。
浮かび上がる文字の律動に合わせて水晶球が振動し、
様々な色合いに競うように染まった。
やがて水晶球は淡く輝く水塊となり、浮かんでは消える水泡が、
弾ける際に様々な文字や景色を映し出していた。
やがて貴人は語りだした。
よく響く声は、聞く者の魂に直に届くようだった。
「サイアス・ラインドルフ。
平原西部、ラインドルフ出身。17歳。辺境の小村とはいえ、
城砦騎士たる領主の令息ですな。父はライナス、母はグラティア。
伯父はグラドゥス。三名とも著名人です。母はトリクティアの
地方領主の令嬢、父と伯父はともに城砦騎士。伯父の方は貴族ながら
剣闘士としても著名ですな。確か『閃剣のグラドゥス』とか」
「当人の現在地は…… 荒野南部か。
……おや? 戦闘中のようですな」
「何ですって!?」
メディナが気色ばんだ。
「まだ城砦に着いてもいないのに…… 不幸な子」
メディナの嘆息に貴人は返した。
「輸送部隊と魔の眷属との戦闘に参加している模様です。
戦力指数では圧倒しておりますので、まぁ心配は要らぬでしょう。
むしろ箔が付いて良いのでは」
「そうだと良いのだけれど」
「さて戦闘中となると数値の変動がありそうですが、
終わってからにしますか? それとも現時点での数値にしますか?
たいてい半時も経てば落ち着きますが」
「待つわ。結果が気になるもの」
「承知しました。では茶でも喫しつつ待つとしましょう」