サイアスの千日物語 三十六日目 その二十二
「たっだいまー! 何かいい匂いするー!」
サイアスが重い口を開こうとしたその時、
扉を開けてロイエらが入ってきた。
ロイエは廊下の時点で既に抜群の臭覚を以て
焼き菓子の存在を感知しており、すぐに卓上に目が釘付けとなった。
「あっ、円盤焼きじゃない! 懐かしいわねー」
ロイエはそう言って顔をほころばせた。
「何を言っているの。これは回転焼きよ」
ニティヤはロイエに発言の訂正を求めた。
「どこがよ? これは円盤焼きだっての」
ロイエはロイエで強硬に主張した。
「あん? 何だよカエリア焼きだろ?」
ラーズはそう言って怪訝な顔をした。
「ふざけないで頂戴。
さりげなく国名を入れて起源を主張するなんて、
それが大国のやり方なのかしら?」
「そーだそーだ! 敢えて言うなら東方焼きよ!」
「そうね。それなら千歩譲って賛同してもいい」
ニティヤとロイエはラーズと全面的に争う姿勢のようだ。
「おぃおぃ、いくら温厚な俺でも限度ってモンがあるぜ……」
ラーズにも譲れないものがあるようだった。
「そう。
じゃあ消えなさい。
今後は私が二人分働くわ……」
ニティヤは声を落として強烈な殺気を放ち始めた。
「待て、東方焼きだった気がしてきた」
ラーズは即座に考えを改めた。
「一瞬で日和った!? 流石はワタリガラス……」
ロイエは思わず感心して呻いた。
「てかよ、ベリル的にはどうなんだ? ん?」
ラーズは全力で危険を回避すべく、
無言で上目使いに騒動を見守っていたベリルに話を振った。
「ぇ…… えぇっ!? わ、わたしですか……
わたしはその……」
ベリルは怖いお姉さんとお兄さんの視線を一身に浴びつつも、
「私は、その…… な、名前より、中身が大事だと思います!」
と言い切った。驚嘆すべき精神力であった。
「まぁベリル…… その通りだわ」
「確かにね! 中身が大事よね!」
「フッ…… 大した奴だぜ全くよぉ」
どうやら三人とも名前より中身が問題であるとの主張を
全面的に受け入れたようだった。が、
「じゃあ話題を変えるぜ。
名前は仮に東方焼きとしよう……
んじゃこの東方焼きの中身はどっちなんだよ」
「当然こしあんよね! 私はこしあんしか認めないわ!」
「あら奇遇ね、私もこしあんを愛する気持ちにおいては
一方ならぬものを持っているわ」
「はぁ? お前らおかしいだろ。つぶあんこそ至高だろうが」
早速二派に分かれて争い始めた。
サイアスはジト目で茶をすすりつつその様を眺め、
デネブはベリルを座らせ茶を煎れてやった。
「この男は駄目ね…… お話にならないわ」
ニティヤは吐き捨てるようにそう言った。
「そんなにつぶあんが好きなら、
皮だけ取ってあんたにあげるわよ!」
ロイエがさらにそう言って煽り、
「なっ!? 鬼か貴様!?
おい大将ッ! あんたも何とか言えよ!
あんたはどっちなんだ!?」
とサイアスに助けを求めた。
「……ん? 私?
私はタケノコ派かな……」
「よせ!! 火に油を注ぐんじゃねぇっ!!
それを口にしたら…… 戦争だろうがっ……!!」
ラーズは肩を震わせてそう言った。その直後。
(……)
サイアスに貰ったばかりの新品の短剣を手に、デネブが
卓に向かって歩みより、一同が見守るなか焼き菓子を
切って二つに分けた。
「!!!!」
三名が息を飲んで見守る中、
焼き菓子の中からその姿を露わにしたのは、
なんとチョコレートクリームであった。
「……」
応接室を重苦しい沈黙が支配した。
誰もが先に口を開くのを拒み、壁の大時計だけが
規則正しく時を刻む音を発していた。
どのくらいの時が経ったものか。
不意に扉を叩く音がした。
「おーいサイアス。来客だぞー、って……
やば、退散退散!」
兵士の一人が伝言を残し、あっと言う間に去っていった。
「ちょっと行ってくる」
サイアスは立ち上がって扉へと向かい、
デネブも後を追った。
「私も行こうかしら」
ニティヤがふっと姿を消し、
「ベリル! 私たちもいこっか!」
とロイエがベリルを抱えるように部屋をでた。
「お、おい、俺をハブるんじゃねぇ!」
とラーズもまた居室を後にし、
あとには罪無き鍛冶場焼きが残るのみとなった。
その後第四戦隊サイアス小隊内において、
この焼き菓子は「修羅場焼き」と呼ばれるようになった。




