サイアスの千日物語 三十六日目 その二十一
武器工房を出たサイアスが玻璃の珠時計を確認すると、
時刻は4時になろうかと言うところであった。
遠からずロイエらが戻ること、手荷物が既に色々とあること。
その辺りを鑑み、防具工房へ寄るのは明日以降として、
「営舎に戻ってお茶にしようか」
サイアスはデネブにそう告げ、
営舎のある北西区画へと引き揚げることにした。
営舎に戻ったサイアスは、詰め所でデネブのギェナーについて
暫しデレクらと雑談し、自室へと戻った。
サイアスとデネブが居室に戻ると、応接室には誰もいなかったが、
ややあってどこからともなくニティヤの声がした。
「あら、お帰りなさい……
随分ゆっくりしてたのね」
ふと気づくと、ニティヤがソファーに腰掛けこちらを窺っていた。
誰も居ない自室でも、普段は姿を隠しているらしい。
サイアスは心の内で苦笑しつつ、
「ただいま。デネブの武器を作ってもらったよ。
お菓子も分けて貰ったんだ」
そう言って紙包みを広げ、
インクスお手製の「鍛冶場焼き」を見せた。
「まぁ。回転焼きね。久しぶりに見たわ」
「ん? 『鍛冶場焼き』だと言っていたよ」
サイアスはさりげなく訂正したが、
「いいえ、これは回転焼きよ」
ニティヤは頑として譲らなかった。
「ふむ? まぁいいや。一つ如何?
大半はロイエンタールが召し上がりそうだけど」
サイアスは特にこだわらず、
ニティヤに回転焼きらしき焼き菓子を勧めた。
デネブは盾と槍を棚に置き、早速お茶の準備を始めていた。
「……」
ニティヤは暫しじっと焼き菓子を見つめ、
次いでサイアスを見つめた。
「……?」
サイアスは思わず小首を傾げた。
「ねぇ……
貴方、これをもう食べたの?」
ニティヤはサイアスにそう問うた。
「出来立てを食べたよ。それはもう熱くて、
ふーふーしながら食べた。美味しかったー」
サイアスは実に楽しそうにそう言った。
ニティヤは如何なる情報も聞き漏らすまいと
ひたすらサイアスを見つめていた。
「そう…… それで」
ニティヤはそこで一旦言葉を区切り、
「つぶあんなの? こしあんなの?」
と真剣な表情でサイアスに問い質した。
「……は?」
サイアスは訳が判らず問い返した。
「中の餡のことよ。
粒餡なのか漉餡なのか聞いているの」
「ツブアン、コシアン……? 何それ」
サイアスは馴染みのない言葉に戸惑った。
「サイアス、ふざけている場合ではないわ。
とても大事な話なの。しっかり思い出して」
ニティヤはそんなサイアスをたしなめ、
「この回転焼きには当然中に餡子が入っているのでしょう?
その餡子の種類について尋ねているのよ。粒餡なのか、漉餡なのか。
さぁ…… いじわるしないで答えて頂戴。でないと私……」
ニティヤの眼差しが危険な色を帯び始めた。
「ちょっと待ってくれ。
私は鍛冶場焼きは今日が初めてなんだ。ツブアンコシアンも初耳さ。
まずはそこから説明して貰わないと答えようがないよ」
サイアスは苦笑しつつ、
お手上げといった風に手を広げた。
「まぁ、そうだったのね……
それならば仕方の無いことかも知れない。
でもねサイアス。これは本当に大事なことなのよ。
東方ではこれが原因で戦が起こることもあるわ。だから
もう少し真剣になった方がいい……」
「何、だと……」
サイアスは呆気に取られてニティヤを見つめ返し、
その後ツブアンとコシアン、その特徴と相違点について
それはもうみっちりと講義を受けた。
「さぁ、これで判ったでしょう。
……では、改めて貴方に問います」
ニティヤは紫の瞳を輝かせ、サイアスに問いを投げかけた。
「つぶあんか、こしあんか……
どっちなの……?」
サイアスはニティヤの餡子に対する真摯なる情熱と
その問いに敬意を表し、深く頷き、重々しく口を開いた。
「うむ。回転焼きの中身、それは……」




