サイアスの千日物語 三十六日目 その十七
「マズい、マズいぜ!
こいつぁマズいことになった……」
ラーズが明確に動揺して言った。
「何が?」
サイアスは相槌程度の感覚でそう尋ねた。
「何がって、そりゃロイエだよ!
ありゃマズいぜ。確実に仕留めにくる」
「仕留めに? 何の話だ。
というかそもそも何でああなった?」
「あー、まぁ大将にゃ判るまいな。そらそうだ。
掻い摘んで説明するとだな……」
ラーズは残りの果実酒割りを飲み干すと、
サイアスに事情を説明し始めた。
「俺とベリルは同じ組なんでな。帰りはそこにロイエが合流して
ガン首並べて駄弁りつつ、というかロイエがほとんど一人で
しゃべってて、そんとき聞いた話なんだが。
今日あいつんとこの組は勲功の話だったらしいんだわ。
んで勲功1てのが平原の兵士の一日の給金に当たるんだと。
そっから諸々計算してくと一年の稼ぎは勲功200になるって話でな。
んでこないだの鑷頭のときに勲功2000貰ったのを、
平原の兵士10人分の年収だ、って得意げになってたんだわ。それが」
ラーズはそこで一息つき、ため息交じりに続きを語った。
「自慢しようと戻ってきたら、半日と経たねぇうちに
軍団規模の年収を使っちまったヤツが居た……
とまぁ、そういう訳だ」
いまだ戦乱の火種燻る東方諸国を除けば、
平原諸国で常備軍を有する例はそう多いものではなかった。
また最大規模の常備軍を有する平原中央の三大国家においても
西方諸国連合国間での相互不可侵条約があるため対人用の軍備は
最小限度であり、兵務も専ら治安維持や物資輸送が主体となっていた。
ロンデミオン防衛の対価として拠点の提供を受けていた
ロイエの属した傭兵団は、職務も待遇もこうした常備軍の実情に
かなり近い性質のものであった。
ロイエは父の率いる傭兵団の実質上の経営者であり、
そのため金回りに関しては日々気苦労を重ねて過ごしていた。
ロンデミオン傭兵団は十二分な生活環境を提供されていたため
金銭的な実入りはかなり控えめであり、傭兵団全体での年益が
勲功換算で5000から7000といったところであった。
つまり額面のみ比較した場合、サイアスはロンデミオン傭兵団の
実に10年分の年益をほんの数時間で消費したのであった。
「数字だけ比べても意味がない」
サイアスはにべもなくそう言った。
「まぁな…… 実際とんでもねぇ仕事をこなしてるからな。
とはいえ、あいつが上司の放蕩振りに衝撃を受けて
泣きながら逃げてったのは事実でだな」
「この後猛反撃が控えてるのも事実なんだぜ……」
ラーズはさも恐ろしげにそう言った。
「猛反撃? 泣いて帰っただけ……
で済む訳ないか……」
サイアスは徐々に深刻な状況に気付き始めた。
「当ったり前ぇだろ。あいつはプロの傭兵だぜ。
不利と見たら一時撤退、戦線縮小して立て直し。
後に機を見て大規模反攻、てのは鉄板中の鉄板だろうよ。
さらに、泣かされたら泣かし返す。こいつも鉄板中の鉄板だ。
理屈じゃねぇぜ。目には目をってヤツだ。傭兵の流儀だな。
つまり俺らの命は風前の灯。まさに是非も無しって感じだ。
ぶっちゃけ大将より俺がやばい。大将に勲功を預けるよう
提案したのはこの俺だからな」
「ふむ…… これは由々しき事態だな……」
サイアスは腕組みしつつ重々しく頷いた。ニティヤはその脇で
ベリルとあやとりをして遊んでおり、デネブは食器を荷台に乗せて
食堂へ返却しにいった。
「よし…… 軍師ラーズよ、策を示せ」
サイアスは厳かにそう言った。
「おぅ、憚りながら進言するぜ。
ここは残りの勲功のうち10万をロイエに預け運用を委ねるべきだ。
あぁいう粗暴なヤツぁ、でかい仕事を預かると
途端に大人しくなるもんさ。元々経理担当だったらしいし、
そりゃもうきっちり管理運用してくれるだろうぜ」
「ふむ。残り全額預けなくていいのかい」
サイアスはラーズにそう問うた。
「馬鹿言うなよ。ツケがやり難くなっちまう。
カカァでもねぇのに呑む度ガミガミ言われてたまるかよ」
ラーズは肩を竦めてそう言った。
「10万に加えて1万を機密費として一緒に渡すのはどうだい。
使途一任としておけば、晴朗なれど波高し、も乗り切れるんじゃ」
「どっから何を受信しやがった……
だがあいつにそんな、生贄だか賄賂だかって真似は……
うむ、抜群に効くだろう。間違いねぇ」
ラーズは深く頷いて請け合った。
「じゃあちょっと一筆書くからベリルに届けて貰うとしよう。
ベリルお願いね、氷菓あげるから」
サイアスはそういうと広間左方の書き物机へと向かい、
サラサラと書面をしたためた。その後サイアスは
ベリルとロイエの分の氷菓を冷蔵箱から取り出し、
カエリアの実も二つ付けて手渡した。
結果として、効果はまさに覿面であり、ロイエは
「もぅ仕方ないわねぇ。ほんと、私が居ないと駄目なんだから!」
などとのたまいつつ、上機嫌で午後の訓練へと向かった。
サイアスとラーズの身の危険は、これにて何とか回避できたのだった。




