サイアスの千日物語 三十六日目 その十六
居室に入ったサイアスは、まずその広さに驚いた。
元々個人用としては十二分な広さがあった簡易応接室は
左右の壁がぶち抜かれ、詰め所の三割程度の横幅にまで拡張されていた。
中央一室と、左隣り、つまり元の部屋の応接室は完全に繋がった
広間となっており、右寄りには大きな楕円形の卓が置かれ、
左方壁際には書棚や書き物机、ベリル用の調合机などが並んでおり、
ここで一通りの隊務をこなせるようになっていた。
向かって正面、三つの扉を持つ書斎兼寝室側の壁際には
ソファーが壁伝いにずらりと設置され、どれも甲冑姿のデネブが
そのままごろりと寝転がれる程の大きさであった。
右方は元の間取りとほぼ同様だが、洗面所や浴室は二倍の規模に
再設計されており、特に湯殿は香木を用いた贅沢な造りになっていた。
「……おかえりなさい。すっかり広くなったわね」
サイアスが居室の激変ぶりに茫然としていると、
どこからともなくニティヤの声が響いた。
「ただいま。凄いことになってるね……」
「そうね。私も戻ったらこの有様で驚いたわ」
中央の書斎兼寝室の扉が開き、ニティヤが姿を見せた。
兵服は支給されたはずだが、いつもと変わらぬ墨色の衣を纏っていた。
「マナサに会ってきたの。貴方に是非お礼がしたいと言っていたわ。
後で姿を見せるのではないかしら。今は外出しているわね」
マナサの外出とは、すなわち荒野での特殊任務であろう。
ここのところマナサはかなり忙しく動き回っているようだった。
「マナサに部屋着を分けて貰ったの。着替えてみたいわ。
ねぇ、折角だからお湯を使わせて貰っていい?
貴方の後でも良いのだけれど」
「いいとも。ゆっくりするといい。
じゃあ私は食事の手配をしてくるよ。デネブ、留守番をお願い」
デネブはソファーに寝そべり足をぷらぷらカチャカチャさせていたが、
サイアスと目が合ったため慌てて起き上がり、コクコクと頷いた。
「出来立てなのに悪いわね。それじゃ、お言葉に甘えるわ」
ニティヤはしっとりとした口調ながらも
嬉々として抑揚を隠せず、鼻歌交じりで準備に向かった。
食堂に向かったサイアスは厨房に声をかけ5名分の昼食を頼み、
別途果実酒割りを頼んで溜まっていた兵士たちと雑談しつつ堪能した。
その後出来上がった料理を厨房から借りた荷台で運び、デネブと共に
卓に並べ終わった辺りで居室の外が騒がしくなった。
どうやらロイエらが戻ったようだ。
「ちょ、ちょ、ちょっとこれどういうこと!?」
扉を開けたロイエは余りの様変わりに絶句し立ちすくんだ。
ベリルは驚愕の余り引っ繰り返りそうになりロイエにしがみ付き、
ラーズは口笛を鳴らしつつ早速卓に着いた。
「おかえり。食事運んでおいたよ」
サイアスはロイエにそう告げ席につくよう促した。
「あんたちょっと説明しなさいよー!」
ロイエは半ば以上混乱してそう言った。その時
「賑やかね。まずは食事して一息付いたら?」
と洗面所からニティヤが現れた。
「う、うわっ、お姫様がいる……
わ、私の美女ランキングがやばい……」
ニティヤは普段の墨色の衣ではなく、青や紫、赤や桃色に
染め上げられた衣に身を包み、同じ染め具合の肩掛けを纏って
質素だが一目で上物と判る品の良い腕輪や髪飾りを身に着けていた。
漆黒の髪は潜伏中に失っていた艶を完全に取り戻して夜空の様に輝き、
彩度の増した紫の瞳は乳白色の肌と競う様に映え、
神秘的な光を湛えていた。あらゆる要素が美という意志の下に調和し、
さながら名画か彫刻かといった風情であった。
「おぉ、凄ぇな……
これがあのグウィディオンを寸刻みにした暗殺者だとはねぇ。
まぁ、か弱さ儚さの類は欠片も無ぇけどな」
「褒めているのか貶しているのか、よく判らない感想ね」
ニティヤはロイエやラーズの反応を他人事のように受け流し、
さも当然といった風にサイアスの隣に陣取った。
「何てこと…… 城砦美女ランキングが三位まで埋まってしまったわ」
ロイエはぐらりと揺れて後ずさりつつ呟いた。
「ほぅ、どういう順位だよ」
ラーズは早速果実酒割りを口にして、ニヤニヤしつつそう問うた。
「一位はあの軍師の人よ、サイアスの姉とかいう。確かヴァディス様?
二位はお姫様モードのニティヤね。そして三位はあんただサイアス!」
ロイエは苦々しげにそう言ってサイアスにビシリと指を突き付けた。
サイアスは我関せずとばかりにデネブの煎れた茶を喫し始めた。
ロイエはなおも狂乱していたが、卓上に並んだ改築祝いらしき
豪勢な料理の数々に目がいくと、一時的に正気を取り戻した。
食欲の充足は常に最優先事項らしかった。
空腹だったロイエは暫し大人しく食事を堪能し、その後デザートまで
頬張ってほっと一息付いたのち、思い出したように騒ぎ出した。
「それでこれは一体どういうことなのよ! 説明しなさいよね!」
「改築した」
「見りゃ判るわよ! そうじゃなくて、あんたその費用どうしたの!」
「今朝の勲功を使った」
「……いくら使ったのよ」
ロイエは恐る恐るといった風にサイアスに尋ねた。
「改築だけで5万。他にも色々と」
サイアスは抑揚なく事務的に答えた。
「!!!!!!?」
ロイエは驚愕に目を見開き、
口をパクパクとさせてワナワナと震えだした。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと、あんた、ねえ……」
ロイエはうまく言葉を継げなくなり、
サイアスは珍獣を見るような目でロイエを見ていた。
「ご、ごご、ごまんって、5万てあんた……」
「全部合わせて7万弱だけど」
サイアスはしれっとそう告げ、ロイエは声にならない悲鳴を上げた。
「あら、まだ半分以上残っているのね」
ニティヤがさらっとそう続けた。
「こ、こ、この……」
ロイエの揺れはどんどん大きくなっていた。
「どうかしたの」
サイアスは茶をしばきつつ興味なさげにそう問うた。
「この馬鹿ぁああっ!! うわぁああああーっ!!」
ロイエは泣き叫びながら自分の部屋へと走りさった。
「何だあれ」
「さぁ…… どうしたのかしらね」
サイアスは怪訝な顔をし、ニティヤは特に気にせず茶を楽しんでいた。
ベリルはおろおろし、デネブは後片付けに夢中であり、
ラーズは一人、ただただ頭を抱えていた。




