サイアスの千日物語 断章 古城にて
平原の西の果てに位置するアウクシリウムの北東には、
平原北部の峻険たる山々から連なる高地があり、
高地には付近一帯の水源となっている湖があった。
かつて湖畔にはウィヌムと呼ばれた街があったが、
今は朽ちゆくだけの廃墟となっていた。
湖の中央にはいくつかの島が浮かんでおり、
そのうち最も大きい島には古びた城館が佇んでいた。
湖畔にも島にも艀や舟は無く、その古城も既に主無き
廃墟の一部とみなされていたが、噂によると
古城では夜な夜な鬼火が飛び盛っており、
近隣住民は怯えて湖畔にすら近づこうとはしなかった。
曰く、あの島には魔が棲んでいるのだ、と。
「あぁ、よく寝た。今は一体何時だろうか」
古城の一室で一人の男が眠りから醒めた。
一見、壮年の貴人のようだが、注視するとどこかしら
違和感があった。一言でいえば浮世離れしていたのだ。
「おはよう御座いますご主人様、
就寝されて三日目の夜で御座います。
臭いのでさっさと湯浴みをしてください」
寝台の脇にいた使用人らしき人影が答えた。
異様に肌が白く目が赤い。そして口が悪い。
「とりあえず食事の用意をしてくれたまえ」
「御座いません」
「御座いません、とは」
「食品に在庫が御座いません。
三日前に用意した夕餉は湖の魚にあげました」
「いやいや、まだまだ備蓄はあったろう。
そいつは何処へ消えたのだ」
「大変美味しゅう御座いました」
「左様で御座いましたか…… まぁ良い、
とっとと魚でもとってきてくれたまえ」
「食後の運動は身体に悪う御座いますのでお断りします」
「食したばかりとはふざけたヤツめ。お主はそもそも
食事の必要がないだろう。何故なけなしの備蓄を滅ぼすのか」
「食事ばかりか睡眠の必要も御座いません。にも関わらず
何度も寝所に連れ込まれ、常々疑問に思っていたところです」
「げふんげふん、それは若気の至りというものであって、
悪いのは若気。私はちっとも悪くないのだよ」
「若気の至りと言えば、お客人がおこしですが」
「どういう繋がりだ。で、何方かな」
「メディナ様でございます」
「それはいかん。私は急用ができたので休養する。
あとはお主に任せた」
「ちなみにこの部屋でお待ちですが」
「おぉメディナ殿ではないですか! 今日もまた一段とお美しい!」
「あら、茶番はもう終わり? にしても恥も外聞もない変わり身ね」
窓際のテーブルではメディナが茶を喫していた。
窓の外では暗い水面が夜空を映して輝いていた。
「何を言われますか、美しいものは美しい。
これぞ我が赤心にして魂の叫びでございますとも。えぇ」
メディナは肩をすくめた。
「ま、何でもいいわ。今日はちょっとお願いがあって来たのよ」
「メディナ殿の願いとあらば、何なりとも」
「素敵な返事ね。では早速お願いするわ。
最近店によく来る子のことを『視て』欲しいの」
「ふむ? メディナ殿の仰せとあらば喜んで。
しかしわざわざ私に依頼する程の御仁なのかな」
「普通の子ではない、とは思うわ。個人的にも気になるし」
「あぁ、メディナ殿は若者が大好きですからな。
線の細い美少年など特に」
「あら、少女や幼女に偏執的な情熱を燃やす貴方ほどではないわよ?」
「メディナ殿、左様に激しく外聞をはばかる表現はお止め下され。
……おいお主、何故短剣を握り締めておる。そして何故切っ先が
我が心の臓を狙っておるのだ」
「地上から邪悪を滅するために御座います」
「今は堪えなさい。私の依頼が済んでからね。
あら、それなかなか良い短剣ね、貰っておくわ」
「……三日も徹夜して造った真銀製の逸品なのですが」
「そうなの? ご利益ありそうね」
メディナはさっさと短剣を仕舞い込んだ。
「……して、対象の御名前は」
「サイアス。サイアス・ラインドルフよ。
判る範囲で一通り視て頂戴」