サイアスの千日物語 三十六日目 その十二
「……」
サイアスとデネブは十二分な距離を保ったまま、
食虫植物のごとき軍師ヴァディスの様子を窺っていた。
「むにゃむにゃ…… オイデ、オイデ……」
業を煮やしたのか、暫くしてヴァディスが呟いた。
「怖いです。というか起きてますよね?」
「いやいや、起きてナイヨ……」
「……」
「むにゃむにゃ、ハヨコイ……」
「帰りまーす」
サイアスはくるりと背を向け引き返そうとしたが、
「何だ可愛げのない。ちょっとくらい構ってくれ」
と声がして、むんず、と襟首を掴まれずるずると引きずられた。
「怖い怖い。それに痛い。何やってるんですかヴァディスさん」
「睡眠学習? まぁ眠りも学習には重要なのだよ。
ほら、『其は永久に臥す死者ならじ』というだろう?」
「絶対言わない。それ何か危険な香りがする」
「良い勘してるじゃないか。お前もこっち側にコイコイ……」
ヴァディスはサイアスを小脇に抱え頬をプニプニとつついた。
「怖いから! あとプニプニ禁止!」
「ちぇー」
ヴァディスは茶目っ気たっぷりに舌を出して肩を竦め、
プニプニつついた指そのままに、サイアスに向かいの椅子を示した。
「まぁ立ち話もなんだ、そちらの方も掛けたまえ」
ヴァディスは訳が判らず硬直していたデネブにも席をすすめ、
デネブはぎくしゃくとした動きでサイアスと並んでヴァディスの
向かいに着席した。ヴァディスは机に立てた紙をパタリと倒し、
別の面を上にした。そこには「執務中」と書かれていた。
「……何というか。ここの軍師は極度に個性的な方が多いですね……」
サイアスはため息交じりにそう言った。
「おやおや、誰と誰について言及しているのだ?」
ヴァディスはよく輝く亜麻色の髪を撫で整えつつ、
楽しげに微笑んでそう問うた。
「ルジヌさんのような謹厳実直を絵に描いたような方もいれば、
ヴァディスさんや軍師長のようなお困り様が居たり」
「っはは、お困り様ゆーな。
それにルジヌさん、ていつのまに親しくなったのだ?
あいつも酒が入るとそれはもう荒ぶるんだけどなぁ。
あと軍師長て…… ペラエノ様め、もう唾付けに行ったか」
ヴァディスは楽しげに笑いつつ、
やれやれといった風に両手を広げた。
「ペラ……?」
「そう、ペラペラなペラエノ様だよ。
ペラペラと軽ーい感じでよくしゃべるだろう?
あと胸もペラペラ薄ーい感じだしな」
「胸、て」
「あぁ気にしてるらしいから言うなよ?
貧乳ペラエノ様とか言ったら泣いちゃうぞ」
「誰が言うか…… というかヴァディスさんは
上官不敬に問われたりしないのですか……」
「軍師長自らが不敬の塊だからなぁ。
さっきも悪戯しに来たぞ。泣かしてやったけれど」
「あぁ、言ってましたね……」
「まぁ私もあの方も同じ症状だから、親近感が湧くらしい」
「症状?」
「眠り病」
「!?」
「? ……もしや」
ヴァディスは形の良い唇に人差し指を添え、
親指で顎を支えつつ瑠璃色の瞳でサイアスをじっと見つめた。
「よく見たら君も私もあの方も、髪の色以外は同じだな。
髪も輝度は良く似ている。傾向あっての症状だろうかね……」
サイアスは白金色の髪に瑠璃色の瞳、
ヴァディスは亜麻色の髪に瑠璃色の瞳。
そしてセラエノは金色の髪に瑠璃色の瞳であり、
肌は三人そろって乳白色だった。
「……眠り病について詳しく」
サイアスはヴァディスにそう尋ねた。
ここのところの異様な眠気にはやはり原因があったのか、
とサイアスは妙に納得してもいた。
「ふむ…… 何の用で来たのかは知らないが」
ヴァディスは小首を傾げ、微かに笑みを浮かべつつ
両手の指を合わせて机に乗せた。
「では今日は、魔力についての講義でもしようか」




