サイアスの千日物語 三十六日目
早朝。隣室から漂う紅茶の香りで目覚めたサイアスは、
寝ころんだまま猫のように伸びをしてぐにゃりと脱力し、
二度寝に入ってもぞもぞとまどろみ、至福のひと時を
堪能しているとずるずると強引に引きずり出された。
寝ぼけ眼で見やった先には案の上、眼を吊り上げたロイエの顔があり
「またか……」
とうっかり口走ったために酷い目に遭わされた。
「朝っぱらからくすぐり攻撃とは卑劣な……」
しばしの後、何故だか勢揃いしている隊の面々に
生暖かい視線を向けられながら、サイアスは卓に着いて
デネブの煎れた紅茶を口にした。
「『一日ゆっくり休め』と命じられて、
律儀に丸一日眠りこけるヤツを見たのは、流石の俺も初めてだぜ」
ラーズがニヤニヤと笑いつつそう言った。
「……丸一日?」
サイアスは徐々に目覚めつつ問い返した。
「丸一日、以上ね。二日後の朝だもの」
いつの間にかサイアスの隣で紅茶の器を手にしていたニティヤが応えた。
「二日後…… ブーク閣下からの書状は」
戦闘後の翌夕刻、すなわち先日の夕刻に受け取るはずだった
褒賞に関する書状の件を思い出しサイアスはそう問うた。
「預かってるわよ! あとニティヤの備品の手続きとか諸々、
私が全部やっといたわ。あんた、ちょっとは感謝しなさいよ?」
サイアスの向かい側でロイエが胸を張ってドヤ顔で答えた。
傭兵団の事務庶務を一手に取り仕切っていたという
ロイエの手腕は伊達ではないようだった。
「おー、凄いな。今後とも宜しく」
サイアスは感嘆しつつ身も蓋もない発言をし、
反撃が飛んで来る前に、とロイエの紅茶の器に
ツルリと薄皮を剥いたカエリアの実を落とした。
「……!? こ、これは新しい……」
ロイエの興味は一瞬でそちらへと移り、
しばし上機嫌で紅茶を嗜んだ。サイアスは玻璃の珠時計で
時間を確認しつつ、ロイエの差し出した書状を確認した。
時刻は7時過ぎというところだった。なんでこんな早くから
集まっているんだ、とサイアスは暫し訝しんだが、もしかしたら
心配をかけていたのかも知れない、と思い直し、
多少しおらしい態度になった。
「少し疲れが溜まっていたかな。心配かけたね……
それで書状は、と…… ふむ」
サイアスは第三戦隊長からの書状に目を通し、
内容を掻い摘んで説明しだした。
「まず、今回のグウィディオンと私掠兵団の一件は、
本来はトリクティア政府からの密命によるものだったらしい。
しかし手違いで密命自体が届かず、結局独自解決になったそうな」
「何よそれ…… 迷惑な話よね!」
ロイエが紅茶を楽しみつつそう言った。
「まぁね。もっと上手い手は有ったんだろうけど。
で、それで、密命自体は果たしたことになるので、
トリクティア政府から城砦への報奨金が出るそうな。
グウィディオンらの首に掛かっていた懸賞金と合わせ、
金貨100万枚。 ……都市一つの年収並みだね」
ブホッ、とラーズが吹き出し、慌てて
手ぬぐいで零した茶を拭いた。
「まぁここではお金は邪魔なだけだから、物資等要りような
ものに換えて支払われるらしい。それで城砦としては
今回の件で実働した者に勲功で大盤振る舞いするのだとか。
具体的には、荒野に出張って戦闘したサイアス特務隊には
眷属撃破の分も合わせ、勲功20万を与えると書いてある。
このうち閣下はグウィディオンの乗っていた名馬を、
セメレーは従者の乗っていた軍馬を受け取ったので勲功は辞退。
ランドには別途報酬を出した、と。なので、
私とデネブ、ニティヤ、ラーズの4名で20万を分けろ、と」
「無茶苦茶だなおぃ……」
ラーズは桁違いの報酬のやけにざっくりとした扱いに
思わずため息をついていた。
「私は別に要らないわ。仇を取れただけで満足よ」
ニティヤはにべもなくそう言った。元々復讐のために
莫大な財産をあっさり手放した程であり、こういったものには
まるで興味がない様子だった。
(私は備品さえあれば十分です……)
その特異性ゆえか、デネブもまたニティヤ同様関心を示さなかった。
「俺ぁ呑み食いできて弓が撃てりゃ、後のことはどうでもいいや。
大将が貰っとけよ。んで俺らの生活の面倒みてくれりゃ
それで願ったり叶ったりなんじゃねぇか?」
ラーズは「魔弾の射手」の異名を取った名うての個人傭兵であり、
欲しいものは全て手に入れてしまった後の様だった。
「皆が本気でそう言っているのならそうするけれど」
サイアスはそう言ってデネブやニティヤ、ラーズを見た。
3名とも、判り切ったことを聞くなといった風であり、
「判った。じゃあ早速使うかな……」
サイアスはそう言うと、デネブに紅茶のお代わりを求めた。




