サイアスの千日物語 三十四日目 その四十四
「ブーク閣下、配下の非礼深くお詫びする。
帰還次第こちらでしかるべき罰を与えることといたす。
また閣下が証すのであれば、サイアス殿の言もまた真であろう。
であれば我らは急ぎ帰還し、上官の指示を仰がねばならん」
百人隊長ヴォイディングは特徴的な声でそう告げると、
両脇の2騎と共に馬首を返し、北東へと駆け去ろうとした。
しかしラ-ズが抜く手も見せずつがえた火矢を進路に放ち、
砂岩に紛れさせ仕掛けてあったマンゴネルの残弾を射抜いた。
火矢は数度放たれて、炎が上がり壁をなし、北東一帯を炎上させた。
合わせてセメレーとラーズが東方へ展開し、サイアスらが南に陣取り
西以外を抑え、西にはただ無辺の闇が横たわるのみ。
3騎は舌打ちしつつ結局その場で後肢を軸に旋回、ピルーエットを行い、
再び6名へと向き直り、何事もなかったかのように平然としていた。
「ははは、なかなかいい腕だ。度胸も悪くない。
しかしどこへ帰るつもりかな。城砦なら君らに門を開くことはない。
アウクシリウムも同様だ。もっとも夜の荒野を3騎で平原まで
駆け抜けるのは、流石に難しいと思うがね」
欠片も悪びれないヴォイディングら3騎に対し、
ブークは苦笑してそう言った。
「貴様らいつまで馬上に居るか! 閣下の御前ぞ!」
セメレーが騎馬3名に対してそう吠えた。だが単なる恫喝には
まるで動じず、3騎とも下馬する様子はなく、左右2騎は
申し訳程度に兜を取り小脇に抱えた。
ヴォイディングは錆びた声で
「戦地ゆえ馬上にて失礼する」
と応え、さりげなくしかし迅速に6名の様相を確認した。
南方中央にサレットを小脇に抱えるサイアス、西隣には長剣を持つ甲冑姿。
反対側には広く展開した女兵士がおり、その後方には火矢を放った男。
そしてサイアスらの後方にはとサレットを目深にかぶった
長身の男とブークが控えていた。
一通り確認したのち、ヴォイディングはゆっくりと兜の面頬を上げた。
面頬の中から現れたのは彫の深い顔立ちに切れ長の目を持ち、
目の周囲の皮膚に無数の亀裂が入った、それでいて活力に溢れる
どこか人間離れした年齢不詳の男の顔であった。
「ようやくご尊顔を賜ったわけだが、
私は君の顔を見るのは初めてだ。君は私を知っている風だったがね」
「面と向かって相対したことはござらぬ」
ヴォイディングは感情を表さずにそう言った。眼窩には
獄炎と吹雪が吹きすさぶかのような光を宿していた。
「なるほど、そういうものかも知れないね。
……さて、一通り役者も出揃った。
お名残惜しいがそろそろ幕だ。最期の見せ場を迎えるとしよう。
君と『面と向かって相対した』ことのある人物に、
君の正体を語ってもらおう」
ブークはどこか芝居がかった口調でそう言うと、
脇に控えるサレットを目深にかぶった長身の男に頷いた。
男はサレットをゆっくりと外し、素顔を曝して
燃えるような目で前方の騎兵、百人隊長ヴォイディングを睨みつけた。
「!? ……どういうことだ」
ランドの姿を認め、明確に感情を表したヴォイディングに対し、
ブークは笑顔で語りかけた。
「どういうことか? 遺憾ながらそれは機密だ。
ともあれ紹介しておこう。君が滅ぼしたロンデミオンの領主。
ロイド・ロンデミオンの嫡子、ランド・ロンデミオンだ」
左右の2騎は動揺を隠せず、ヴォイディングと名乗る中央の1騎は
不動を保ちつつも愕然とした表情でランドを見つめていた。
自らの命で深手を負わせ、少なくとも意識不明の重体のはずのランドが
今ここに五体満足で平然と立っているのだから、
その驚きたるや言語に絶するものであろう。
「追いつめたぞ…… グウィディオン」
ランドは溢れかえる感情をどうにか押し殺し、
声を絞り出すようにしてそう告げた。
「地位や戸籍は金で買えても、知識や経験はそうもいかぬ。
所詮は鼠賊、栄誉ある百人隊長は務まらぬよ。
ゆえに露見したのだ、グウィディオン」
ブークは冷厳な表情でそう言った。
「長期の潜伏に粗暴な部下は邪魔なだけだ。
だから敢えて遅参して、我々の手で始末させた。
そういうことだな、グウィディオン」
続けてサイアスがそう言った。
「賊徒と言えども配下を裏切り囮とし、自らは逃げの算段か。
どこまでも浅ましく卑劣な奴め。逃がしはせぬぞ、グウィディオン!」
さらにセメレーがそう吠えた。
「チッ!」
成しうるあらゆる選択肢を潰されて、左右の騎兵は自棄となって
手にした槍を繰り出そうとし、グウィディオンは鎌槍を振りかぶった。
しかし左右の兵はデネブの投げた剣とラーズの放った矢に眉間を貫かれて
どう、と地に落ち、グウィディオンの持ち上げた右手首には
前触れもなく光の筋が走り、次いで鮮血が溢れ、
手首は武器ごとぼとりと地に落ちた。
「グォッ!?」
グウィディオンは呻き声を上げ、左手で右手首を抑えようとしたが、
そちらも同様の末路を辿った。訳が判らず苦痛に呻く
グウィディオンの下に、どこからともなく声がした。
「『放り込め』という声に続いて降ってきた家族の首。
絶望に見開かれたその眼差しが、今もこの眼に焼き付いている」
溢れる感情を押し殺し、押し殺しつつも溢れる感情に
語尾を震わせつつ、女性の声が荒野に響いた。
再び光の筋が迸り、今度はグウィディオンの右膝を赤く染め、
支えを失ったグウィディオンは落馬した。
「燃え盛る屋敷から、私だけはと逃がした二度目の両親。
その眼差しを私は生涯忘れることはない」
再び声が震え、地に落ちたグウィディオンの左膝に鮮血が迸り、
グウィディオンは野獣の如き咆哮を上げた。
「お前は私の家族を二度殺し、私の町を二度焼きつくし、
多くの命をただ愉快気に殺してまわった。
報いを受けよ、グウィディオン」
ニティヤの言葉を風が運び、最後の一筋が夜気を裂いた。
数年に渡って平原東部を荒らしまわり、集落や小村、町に攻め入り
これを焼き、破壊と略奪の限りを尽くし、
人の生活圏に甚大な被害を与え続けた人の形をした災厄。
魔とも眷属ともつかぬ悪意に満ちた殺戮と退廃の使徒、
メロードのグウィディオンと私掠兵団はこうして一人残らず討伐され、
ただ悪名のみを残して歴史の舞台から姿を消した。




