サイアスの千日物語 三十四日目 その四十二
千人隊長ガーウェインは補充兵シェド・フェルを抱える両脇の
配下に目配せをし、シェド・フェルを自由にさせた。
シェドは単に腕を抑えられていただけで拘束具の類は一切なく、
二、三度腕を回して調子を確かめた後、相変わらず
引き攣った笑いでその場に立ちすくんでいた。
「手荒な真似はしていない。流石に装備は取り上げたが」
ガーウェインの言を受け、
配下の一人がシェドに細身の帯剣と短剣を返した。
「……はは、どもっす……」
シェドはそれらを受け取ると手早く身に着け、
さらに差し出された封蝋の施された筒状の書面をも受け取って、
おっかなびっくりデレクの前へと進んだ。
「……ありのまま、今起こったことを話すと」
デレクはすごすごと寄ってきたシェドの手から書面を抜き取り、
封蝋と宛先を確認した。封蝋の刻印はトリクティア政府、
脇に記された宛先は中央城砦参謀部だった。
「……俺は先手を打って人質を取ったと思ったら、
いつのまにか人質を返却されていた……
……何を言ってるか判らねぇとは思うが」
デレクはすぐ背後まで詰めていたルジヌに右肩越しに書状を手渡し、
「俺も何言ってっか、わかんねーよ」
空いた右手をそのままに、シェドの脳天にチョップをかました。
「ぐぇあ!」
デレクの一撃はずいぶん軽いものではあったが、
シェドは緊張の糸が切れたのか涙目となり、大口手足も真っ青な動きで
デレクの背後に回り込もうとし、右に進んで兵士にデコピンを食らい、
慌てて左に進んでもう一人の兵士にこめかみをグリグリされ、
悲鳴を上げつつなんとかすり抜けたところを、待ち構えていた
ジト目のルジヌに全力で頬をつねり上げられた。
「い、いひゃいいひゃいいひゃい! もひぇるぅぅぅううぅ!?」
ルジヌはポイ、と投げ捨てるように手を放すとシェドの脛を蹴りつけ、
きゃんきゃん喚くのをまったく無視して書面に目を通し始めた。
「ッハハハハハ!
独断で外交問題にすらなりかねぬ真似をして、かつしくじって
捕えられたとあっては、普通はその程度では決して済まぬぞ?」
千人隊長ガーウェインは岩を砕いたような顔で大笑いしていた。
配下も釣られて笑い、デレクらはため息をついて苦笑いしていた。
「はぁ…… かっこ悪ぃ。こいつには首輪が要るだろうなー。
それでガーウェイン殿、この馬鹿は一体なにをしでかしたので?」
「うむ、当営舎の武具倉庫に潜入して、
弓の弦を隠したり鎧の留め金を抜き去ったりと、
まぁ小細工に勤しんでいた。先刻出撃した部隊が
現場で気付いて大参事、というのを狙ったらしいが」
ガーウェインの言をデレクが引き継いだ。
「……お前なー。
兵士が普段どんだけ必死で手入れしてると思ってるんだ。
装備の出来栄えがそのまま生死に関わるのに、
小細工されて気付かない訳ないだろ……
そもそも出撃控えた連中なら各自持ち出して私物化して、
早い段階から身に着けてるぞ。お前がいじくってたのは
出番のない在庫の類だよ」
デレクは嘆息交じりでそう言いつつ、結果としてガーウェインらが
防具を身に着けていない理由の一つになっているのなら、
あながち無駄でもなかったのではないかと考えていた。
「ガーウェイン殿、先刻出撃した部隊がどうとか言われたが」
デレクはガーウェインにそう問うた。
「……未明に城砦からアウクシリウムへと、
最初の輸送部隊を出すことになっているのだが、
その慣らしと称して護衛小隊が一つ荒野へ出ている。
歩兵22名騎馬3騎だ。指揮官の名はヴォイディング。
先日アウクシリウムで合流してきた新参の百人隊長だ。
配下は揃って悪党面でな。直属の配下には極力関わらぬよう
指示し、同時に全部隊員の身元を照会しなおした。
ヴォイディング小隊の構成員は全てクロだと断言していい」
「ガーウェイン殿、そりゃ本国は承知してるのかい」
「城砦に到着次第開封するよう言われていた書状がありましてな」
「ハハ、どいつもこいつも食えねーな」
「まぁ会食ついでの駒遊び程度にしか現場を見ておらぬ
連中の意向など、律儀に聞いてやる義理はない。
我々としては悪事の片棒を担がされたのだけが無念でならぬわ」
ガーウェインは吐き捨てるようにそう言い、姿勢を正した。
「いずれにせよ、我らトリクティア機動大隊が
城砦からの信頼を踏みにじる結果をもたらしたのは紛れもなき事実。
我ら駐留騎士団は速やかに武装解除し貴殿らの査察を全面的に受け入れ、
その結果に黙従することをここに約す。存分にお改めいただきたい」
ガーウェインは敬礼し佩剣を鞘ごとデレクに差し出した。
ガーウェインの配下や歩哨も一様にそれに倣っていた。
「それには及びませんガーウェイン卿。
後程参謀部にお出で頂き、顛末書の供出と二、三口頭での諮問を以て
この件については沙汰やみとなりましょう」
ルジヌは目を通した書状をデレクに手渡しつつそう言った。
「ヴォイディング小隊とやらも、生きて戻ることはありますまい」




