サイアスの千日物語 三十四日目 その四十
護るべき対象を攻撃され、
声なき叫びをあげてデネブは怒り狂っていた。
その感情は挙措に如実に反映され、動きの一つ一つに荒々しさが
見え始めた。しかし逆上してはいても、戦況を顧みず振る舞うほど
我を忘れてはいなかった。サイアスに報いる最善の方法は、
隙のできた大口手足を確実に仕留めることに違いないからだった。
薙ぎ払いをサイアスによって防がれたために
身体の回転を半端な位置で止められ、その側面を曝した
大口手足に対し、デネブは右足を引いて槍を腰だめに構え、
右足で踏み込みざまに突き出した。ズン、と震脚で大地が揺れ、
同時に細身の鉄槍が根本まで大口手足の脇腹に刺さり、
穂先が反対側面から飛び出した。デネブは手前に残った槍の柄を
体当たりしつつ押し上げて、てこの原理で強引に大口手足の姿勢を崩し、
次いで左腰の剣を右手で逆手に抜き放つと左右に振り回して
数度斬り裂き、さらに手当り次第滅多刺しにした。
その頃にはセメレーも加勢して、雄叫びを上げつつ怒りに任せて
肢を全て斬り落とし、残った胴を二人で競うように斬り刻んだ。
「おぃおぃ、もう死んでるぜそいつ……」
狂気すら感じる両者の剣撃に
流石のラーズも引き気味にそう言った。
「あとな…… 大将ならピンピンしてるぞ。
こっちもえらく機嫌が悪いがな……」
その一言に慌てて振り返ったデネブとセメレーが見たものは、
ぶつぶつと呟きながら小具足を外す土まみれのサイアスの姿だった。
「……重い! 受け身に失敗した……」
サイアスは吐き捨てるようにそう言って小具足を引き剥がし、
引き剥がしてはどさりと地に捨てた。銀月の雫の如き鈍色と銀白色の
その鎧は、今や土と埃に塗れていた。
サイアスには大口手足の薙ぎ払いがはっきりと見えていた。
デネブの反応が間に合わぬとみたサイアスは、致命となりうる
薙ぎ払いの勢いを殺ぐべく間合いに飛び込み、ホプロンを叩き付けつつ
受け止めて、過剰な衝撃を逃がすべく自ら身体を宙へと浮かせた。
先日の北往路での大ヒル戦で見せた緊急回避を再現すべく動いたのだった。
ただ、思惑通りに薙ぎ払いを止め、
自ら吹き飛んでその勢いを殺したまでは良かったのだが、
その後華麗に一回転して足から着地しようとしたものの、
鎧の重さと薙ぎ払いの威力不足、そして両者からくる高度不足で
身体の回転が足らず、べちゃりとうつ伏せに地に落ちて、
無様に弾んで転がった、とまぁ、そういうことだった。
「対人戦が終わった時点で小具足を外すべきだった……
あぁ頭にくる。あぁ忌々しい!
できそこないでも刻んで憂さ晴らしするか……」
サイアスは見目麗しい外見に相応しく、かなりの綺麗好きだった。
着地に失敗して無様に地に落ち、新品の鎧が土塗れとなった屈辱は、
薙ぎ払いを止めた左手や強撃を放った右手以上にサイアスに苦痛を与えた。
サイアスは半ば割れたホプロンを捨て、取り落とした八束の剣と
松明を拾い上げて剣呑なるジト目で南方を見やったが、
そちらはブークとランドによってとっくに焦土と化しており、
赤く焼けた地面が煙を上げ、もはや動くものの姿は無かった。
「……こうなったらグウィディオンでいいか……」
とサイアスが呟くと、
(……怒るわよ?)
とニティヤの声が耳元で響き、サイアスはため息をついて諦めた。
両手剣を地に突き立て、サイアスの様子を腕組みしつつ眺めていた
セメレーは、腹を抱え実に愉快気に笑い出した。
「くっ、あははははは!
おしとやかで控えめなお利口さんかと
思いきや、なかなかどうしてお茶目だな、サイアス殿!」
「むむ……」
サイアスは土まみれのコートオブプレートをポーチから
取り出した布で必至に拭いつつムスっとしていた。
「ははは! 元気があってよろしい!
それくらいの負けん気がないといかんな!」
先刻のキレっぷりはどこへやら、
セメレーはすこぶる上機嫌となっていた。
一方デネブはおずおずもじもじとしていたが、
サイアスに近寄ると、
(ごめんなさい。私のせいで、ごめんなさい……)
と帳面に書き、頭を垂れてうなだれていた。
「え……? いやデネブのせいじゃないよ!
自分の見積もりが甘かっただけだから。怪我もないし気にしないで」
サイアスはデネブの様子を見てようやく冷静さを取り戻すと
慌てて微笑んでデネブの肩を抱いてなだめ、なだめつつも
内心は別のことを考えていた。
戦局や戦術を的確に理解し初見の敵への冷静な分析をも果たす
軍師や将軍のような戦闘前半のデネブと、怒りの余り逆上して
屍を斬り刻み、今はこうして謝罪し消沈する戦闘終盤以降の
子供のようなデネブ。果たしてこれは同一人物なのだろうか、と。
デネブの中に以前から感じていた違和感をさらに強く感じつつ、
サイアスはおぼろげながらではあるが、デネブという存在の本質に
一歩近づいた気がしていた。




