サイアスの千日物語 三十四日目 その三十九
まずセメレーが仕掛けた。
自身の前方で様子を窺う大口手足へと鎧を鳴らして駆け寄りつつ、
右脇構えの両手剣を右八双へと移行させた。
セメレー前方の大口手足はすかさず姿勢を低くし側面を取るべく隙を窺い、
もう一体は挟撃すべくそちらへ合流しようとした。
しかしデネブが槍を振って威嚇し、さらにラーズが牽制射で妨害したため
デネブ側の大口手足はそのまま一声吠えて後方へと引き下がり、
後方に散乱する私掠兵団の死体へと向かっていった。
大口手足は左右への機敏な動きで敵の側背を取り、前肢を上げて
上体を起こし、掴んで捕縛しそのまま食らうのを常としていた。
セメレーは左足を前にして頭部右側面で剣を天へと構えていたため、
剣撃の有効範囲もそれに準ずると判断した大口手足は
撓めた四肢を一斉に動かし、向きをセメレーへと保ったまま
自身の右前方へと恐るべき速さで滑るように動き、さらに背後へと
流れて無防備な背中を狙おうとした。
セメレーは大口手足の動き出しとほぼ同時に前足を右斜め前へと動かした。
右八双の構えは大口手足の左からの回り込みを促すための仕掛けであり、
大口手足の動きはまさにセメレーの予測通りのものだった。
セメレーは左足に合わせ右半身を時計周りに回転させ、
構えた両手剣を右手一本で振り下ろした。
大口手足は自らの機動性を逆手に取られ、
斜め下方へと時計周りに走る剣筋に自ら飛び込む羽目となり、
慌てて動きを止めたものの、右前肢をしたたかに叩き斬られた。
セメレーの両手剣はサイアスの剣ほど鋭利ではなく、
デネブの細身の槍ほど軽くも速くもなかった。
そのため片手による流し斬りではその破壊力は完全ではなく、
人の胴程もある大口手足の前肢を両断するには至らなかった。
もっとも人の腕に酷似したその右前肢は肘を中心に半ば粉砕され、
完全にその機能を停止していた。
セメレーは斜めに振り下ろした両手剣の柄を左手で握って右手から
取り上げ、右手はリカッソを掴んで短く振りかぶり、
大口手足に向かって右足を前にした上段の構えとなった。
そして右前肢を破壊され、重心が後方へと下がって起こし気味となった
大口手足の上体上部側面の、左前肢の脇の下へ剣を当てがい、
「ぬぅぅうんっ!」
と低く唸りつつ、渾身の力を込めて左肩口から体当たりを喰らわせ、
一歩、二歩と踏み込み進んだ。人の二倍の体躯を誇る
大口手足ではあったが姿勢が崩れた状態では満足に抗うことができず、
押されるままに上体を起こし、脇下から押し斬りに走る両手剣によって
吹き飛ぶ左前肢ごと仰向けに薙ぎ倒された。
ズシィン、と重々しい音を立てて倒れた大口手足は身の毛もよだつ大声で
絶叫したが、その大口にセメレーがさらなる一撃を叩き込み、
咆哮は断末魔となって消えていった。
「おぉ、御美事!」
サイアスは思わず感嘆の声を上げていた。
セメレーは人間の女性としては大柄で膂力もあるが
それはあくまで人の基準であり、荒野に棲まう魔とその眷属からみれば
他の者とさして大差ない範囲に収まっていた。にも関わらずセメレーは
卓越した読みと挙動を以て速度で上回る敵に後の先を取り、
崩しや組打ちの技法を巧みに活かして自身の二倍近い異形の体躯を
投げ飛ばしたのだった。サイアスはセメレーの戦い様の中に、
人が魔や眷属に挑むために必要なあらゆる要素が
凝縮されているのを感じていた。
一方私掠兵団の死体へと向かっていた残り一匹の大口手足は、
低い姿勢を保ったまま再びデネブへとにじり寄っていた。
先刻までとは異なって、その右前肢には死体からもぎ取ったと思しき
手槍が握られていた。三肢で動く大口手足の挙動からは左右への
敏速な回り込みが減少し、代わりに前方への直線的な突出が増えていた。
膂力と体重を十全に活かして、鋭い槍撃を繰り出し始めていた。
私掠兵団の手槍はデネブのものと異なり木製で、
人の身長と同程度の全長を持つ短いものでしかなかったが、
大口手足の巨体と膂力を以て振るえばその殺傷力は尋常ではなく、
重く速い突きにデネブは防戦一方となり、受け流すにも両手を用い
足場を固めねば満足にはいかず、次第に追い詰められ始めた。
回り込む動きが減ったことで、背後を取っての掴みかかりが
無さそうだと判断したサイアスは、右構えに槍を構える
デネブにとっての死角となる左斜め後方へと立ち位置を移した。
これによりデネブは後方へと下がりやすくなり、サイアス側へと
下がることで自身の槍で守備すべき範囲を限定できることとなった。
一見有利な状況を作れたかに見え、落ち着いて巻き返しを図るべく
サイアスやデネブが意識を切り替えようとした、まさにその時。
大口手足は身体を沈め、悪手をあざ笑うかのごとくに跳躍した。
全身をバネとして跳びあがった大口手足は胴体の底面にある
口でニヤリとデネブを見下ろすと、大地を揺らして着地ざまに
時計周りに回転しつつ右前肢の槍で神速の薙ぎ払いを仕掛けた。
デネブは前方へ逃げつつ振り返ろうとした。だが振り向いて槍を構え、
薙ぎ払いを受け止めるには、空を裂いて迫りくる大口手足の槍は速すぎた。
ゴッ、と鈍い音がした。
ついで金属が地に叩きつけられる音が二度、三度。
振り返ったデネブが見たものは、身代わりとなって槍を受け、
吹き飛び地に落ちるサイアスの姿だった。




