サイアスの千日物語 三十四日目 その三十五
左右両翼として展開していたセメレーとデネブは、
再びサイアスの直近後方へと戻っていた。サイアスは
前方の私掠兵残党を見据えつつ、後方のラーズに声をかけた。
「ラーズ、セメレーとデネブの外傷の確認を」
サイアスはセメレーとデネブに自己申告はさせなかった。
どちらも聞かれれば大丈夫としか言わないだろうからだ。
「セメレー兵士長は若干装甲に傷がある。外傷はないな。
デネブは完全に無傷だぜ。あんだけ打ち込まれてよくもまぁ」
ラーズはそう言って肩を竦め笑った。
「ラーズよ、サイアス殿の外傷はどうだ」
セメレーはラーズにそう問うた。こちらも同様に、
サイアスの自己申告を認める気はないようだった。
「ほぼ無傷だな。小手や脛当てにひっかき傷程度だ。
まともな攻撃は一発も貰っちゃいなさそうだぜ。
斬り込みの際に流れ刃なり敵の装甲なりが掠ったんだろ」
ラーズは呆れ顔でそう言った。
「ラーズ、残矢は?」
サイアスは常通り無表情にそう問うた。
「持参したのが10、矢盾から抜いたのが5だな。
連中の鏃はごく普通のシロモンだ。
持参分はカタブツ用の鏨矢だぜ」
「判った。弱点調べは普通の矢で頼む」
「ほいよ。さぁて、何が来るかねぇ……」
戦闘を放棄し武器を捨てて座りこみ、
名誉を重んじる連中が好む寛容やら温情やらを期待して、
私掠兵団の残党はサイアスたちの様子を窺っていた。
しかしサイアスたちは既に崩壊し制圧の容易い残党に
接近し対処しようとはせず、目だけは離さぬよう注意しつつも、
集って何事か話しこんでいた。
残党衆は東方の様子をも確認した。
東方から強烈無比な矢を射込んで兵団を半壊させた弓兵は、
こちらをじっと見据えてはいるものの、弓を構えてはいなかった。
また弓兵の脇では別の男が台車に取りつき、
しきりに何がしかの作業をしていた。
私掠兵団の残党は、釣りかも知れぬと警戒心も露わに
そうした様子を凝視していたが、やがて辛抱が効かなくなり、
誰からともなく呟いた。
「どっちも弓を構えてねぇな……」
「あぁ。逃げるなら今だ」
一旦判断が固まると、とにかく速い。元より手足が先に動く連中だ。
私掠兵たちは敵方を見据えたまま引っ手繰るように武器を拾い上げ、
座り込んだ姿勢のまま転がるように動きだし、脱兎のごとく逃走した。
いや、逃走を開始しようとした。実際には数歩北へと動いただけだった。
数歩の後、先頭の1名が、左方からぬっと伸びてきた
人の胴ほどはあろうかという二本の大腕に捕えられ、
抱きしめられながらめりめりと貪り食われた。
「ヒ、ヒィッ!?」
後ずさった私掠兵の数歩後ろでも前方同様の音がした。
慌てて振り返った先では2名の兵士が同様の末路を迎えていた。
そして千切れ血塗れて滴り落ちる武器や鎖帷子の断片の先を、
その私掠兵はゆっくりと見上げた。
兵士が見たものは、人の二倍はあろうかという、腹の突き出た固太りの
人体に似た何かであった。その胴体は前方下半分が膨れ上がっており、
上部側面にはごつい大腕が一本ずつ生えていて、兵士の残骸を
力強くしっかりと抱きかかえていた。
また厚みのある胴体の下部やや後方側面には、やはり上部とよくにた
大腕が生えており、左右の下腕を足代わりにして
大地をしかと掴んで立っていた。
人間離れしてはいるが、遠目に見たならば手足の異様に発達した
蟹股の肥満した大男、と呼べなくもない外観を、その生き物は保っていた。
だが間近で直視した私掠兵には、腕以上に奇異な特徴が厭が応にも
網膜に焼き付いて剥がせなかった。
その人型の上部には頭が無かった。
そして胴体であるらしき巨大な肉塊の前面上部、
人でいう鎖骨の窪み付近にはぎょろりと血走った眼が付いており、
胸にあたる部位には圧し潰した様な鼻が。
さらに下方、丁度膨れ上がって垂れた腹に当たる辺りには、
上下に大きく裂け、捉えた兵士を咀嚼する巨大な口が具わっていた。
首無しの、胴体に顔がある大男と見るか、
巨大で歪な人の顔に四本腕の生えた化け物と見るか。
それは見るものが望むままに判断して問題の無いところだろう。
もっとも大抵の場合、判断が追いつく前にごつい大腕に抱きしめられ、
意識ごと圧し潰され喰らい千切られてしまうだろう。
私掠兵たちは慄然たる悪夢の凝固した存在を前にして、
虚ろな目でなすすべなくぼんやりと立ち尽くし、
一人、また一人と捕えられ喰らわれ始めた。
「あれは?」
サイアスは前方の惨劇をまるで無表情に眺めながら、
すぐ右隣りで顔をしかめるセメレーに問うた。
「我々は『大口手足』と呼んでいる。概ね見たままだな。
特徴も同様。荒野の生き物としては判りやすい部類だ。
平均的な戦力指数は6とされている。人型で武器を持たぬゆえ
そこまで強大な数値ではない。が、連中、拾った武器は扱えるぞ。
油断はせぬ方がいいだろう」
「計3体。戦力指数の合計は18か……
いや、南方に砂塵。 ……あれはできそこないだ。10は居る。
さすがに川の連中は来ないだろうが、羽牙にも警戒が必要だろうね」
荒野は魔や眷属の棲家であり、夜は魔や眷属の闊歩する時間である。
城砦から離れた荒野の只中において、これだけの血肉を撒き散らしたのだ。
もともと周囲で様子を窺っていたものは飛び出してくるだろうし、
臭いに敏感な連中はこぞって駆けつけることだろう。
眼前で繰り広げられる私掠兵たちにとって二度目の惨事は、
荒野では至極当然の事象でしかなかった。




