サイアスの千日物語 三十四日目 その三十三
「グゥッ! こいつもやべぇッ!」
残り23名となった私掠兵団はサイアスとセメレーに慄きつつも
漸くにして麻痺した頭が回り出し、未だ数で勝る点を恃みとして、
ならばとばかりに左方のデネブの方へと殺到してきた。これに対して
サイアスはデネブを見て頷き、デネブもまたサイアスを見て頷いた。
デネブは殺到する私掠兵たちに対し、細身の槍をくるくると小さく回して
応戦し、身体に届く攻撃を適宜撃ち落としつつジリジリと後退した。
野盗の類は攻勢に強く退勢に弱い。常に流れや勢いを敏感に感じ取って
戦うため、デネブ側が押し込めるとみるや途端に私掠兵団は強気となった。
カサにかかってデネブを押し切るべく人手と勢いを増して分厚く攻め続け、
サイアスやセメレーに対しては距離を取りつつ適宜反撃を狙う、
持久戦へと切り替え方針を徹底し始めた。
迂闊に攻めると要らぬ生傷が増えるため、サイアスもセメレーも無理に
踏み込もうとはせず、一方のデネブは防戦一方となり、猛攻を凌ぎつつも
ジリジリと後退を続けた。もっとも実のところ、私掠兵団の猛攻は
デネブを後退させてはいたが、欠片も手傷を負わせてはいなかった。
私掠兵団はそのことに気づき訝しむべきではあったが、
所詮は野盗には勢いが全て。攻勢の最中そこに思い至ることは無かった。
やがてサイアスを中心とした横一列の布陣は、セメレーが押し上げ
デネブが後退したために斜めに傾き、俯瞰した場合、私掠兵団の陣形は
サイアス側から見て左に大きく押し込まれた斜線へと姿を変えてきていた。
サイアスは脳裡に俯瞰図を描いて頃合いと判断し、デネブへと頷いた。
デネブはそれに呼応して後退を止め、槍を大きく旋回させて
敵を遠ざけつつその場に留まった。
またサイアスはセメレーにも頷いて見せ、既に冷静さを
取り戻していたセメレーはサイアスの視線を感じ意図を汲んで、
やはり派手に大剣を旋回させた後右八双に構えを取り、
敵を睨みつけ威嚇した。
こうして三角形に近いやや歪な斜線の陣形で硬直した私掠兵団は、
それでも尚も押し切ろうとデネブを攻めつつ、一方でそこはかとない
違和感を感じだしていた。しかし、時すでに遅しという他はなかった。
「我が剣を見よ!」
突如、戦闘開始からこれまでの間、ひたすら無言を貫いて
切り結んでいたサイアスが激しく叫んだ。
私掠兵団の兵士たちはびくりと反応して動きを止め、
無意識のうちにサイアスの掲げた八束の剣に目をやった。
サイアスが高々と掲げた剣、それ自体には何の意味もなかった。
切れ味鋭く抜群の耐久度をも誇れども、
畢竟ただの剣であり、一個の鉄塊にすぎなかった。
だがこの剣を掲げるという動作、そしてその結果敵が動きを止めた
という事実。この二つには決定的で致命的な意味があった。
「……御美事」
風に乗ってどこか楽しげな声が幽かに届き、
びょおう、とえもいわれぬ大きな音が響き渡った。
何事かと訝しむ隙も、異音に向かって振り向く余裕も、
私掠兵団には与えられなかった。斜線陣の左方、丁度側面である
東の方から黒いわだかまりが高速で飛来し、兵の群れを食い破った。
シュドドドドォゥンッ!
低く重く、鈍い音を立て、
私掠兵団の半ば辺りに詰めていた横並び10名程の兵が膝から崩れ落ちた。
崩れた兵は既に屍であり、そのうち左端のものには脇腹に小穴が
中程のものには大穴が穿たれており、そして右端のものに至っては身体の
右方が原型を失いドロリと崩れてしまっていた。
まるで理解の及ばぬ惨事の前に、私掠兵団は目を血走らせ口角を飛ばして
半狂乱となったが、再度びょおう、と音が響き、さらに同数近くが
同様の末路を迎えることとなった。辛うじて難を逃れた
10名に満たぬ兵たちは、東方で長大な弓を構える男の姿を見た。
その男は一般的な弓兵の装いながら、灰色の混じった黒い長髪を
後ろで束ねて垂らしており、放つ気配は粛然として、遠間にも直視し難い
威圧感を放っていた。この男こそは第三戦隊長にして城砦騎士の一人、
クラニール・ブークその人であり、放たれた大技は奥義「徹し」であった。
ブークは高い膂力と精密無比な器用さを以て五人張りの長弓「夕雁」を
操り、横並びに並んだ敵兵をまとめて貫いてのけたのだ。
つまりサイアスの掲げた剣とは、ブークへの射撃の合図なのであった。




