サイアスの千日物語 三十四日目 その三十二
「平原の希望たる補充兵に紛れ、敢えて悪事を働き放逐され、
死んだふりで平原に戻ろうとは、
ひとでなし、ろくでなしにして生きる価値なし!」
セメレーは尚もご機嫌で口上を述べていたが、
何やら前方が騒がしいのに気づき、舞飛ぶ首を見て血相を変えた。
サイアスは今度は別の位置へと進んで行ったが、これを迎え撃つ
私掠兵5名に囲まれ、武器を振り下ろされようとしていた。
「禽獣グウィディオンと配下の餓鬼共よ!
自らの犯した罪を数えよ! 散々に殺してきた罪なき人々の怨嗟を聞け!
この世のいかなる国の民も、貴様らの生を、許しは、せ、ぬぬぬ……」
セメレーは前方の血戦とサイアスの危機に対し、
焦燥感と戦意を抑えがたい程に募らせていた。
デネブはサイアスを信頼しきっているのか、まるで動かず
ただ自身の前方の兵のみを見据え、
ラーズはどさくさに紛れて北へ逃げようとする者に
適宜矢を射込んで物理的に停止せしめていた。
サイアスは迫りくる敵とその刃を前に、まるで世界が止まったかのような
錯覚を抱いていた。すべてがゆっくりと動く中、自分の意識だけが
加速して飛び交い、新たな選択肢を次々と生み出し、
映像として両の眼に映しだしていた。
前方、斜め前方左右、さらに斜め後方左右から
私掠兵が殺到する段になっても欠片も慌てることはなく、
現実の光景に重ねるようにして、敵の挙動と刃の攻撃線が実線となって
描き出され、その狭間で自分が取るべき未来の挙動をも
虚像として写し出し、整合性を確かめつつ像をなぞるように実際に動いた。
サイアスはまず、前方から突き込んでくる手槍の一撃を
踏み込む右足の背後に左半身を隠すようにして軸をずらしつつ避け、
避けざまに旋を放って前方の首を斬り飛ばした。
次いで伸ばした剣が戻る反動をそのままに、手首を返しつつ右膝から
力を抜き、前によろめくようにして下方へ向かって体重を乗せ、
右の兵士が打ち下ろす、剣を持つ手の肘を斬り飛ばした。
さらに下方へ撓めた身体が膝から伸び上がる勢いのままに
小さく円を描くようにして手首を回し、裏刃を左方へと掬い上げ、
薙ぎ払いを仕掛けてくる左の兵の左足の膝を裏から斬り飛ばし、
つんのめる兵士の左腕を自らの左手で掴んで引き倒した。
脚を失った左方の兵は均衡を失い、横殴りの右手の剣共々、
成すすべもなく地面に衝突した。
続けてサイアスは裏刃を振り上げた八束の剣の柄を逆手に持ち換え、
右足を引きつつ柄頭を左手で抑えて剣を右後方へと突き出し、
右後方から上段へ打ち込みにきた兵を串刺しにした。
そして死体と共に崩れ落ちる八束の剣から両手を放し、
繚星に手をかけ抜き打ちを準備して、左足を軸にして時計周りに反転。
左膝を地に付け片膝立ちとなって繚星を抜き付け、
手槍を振り上げ刺突しようと殺到していた
左後方の兵の上半身を鎖帷子ごと両断して吹き飛ばした。
……あぁ、そうか。これが「旋」なんだ。
旋回させるのは自身を軸とした力の流れ。手首の返しや刃の挙動は
その延長、単なる表象に過ぎないんだな……
こうやって旋は表裏一体となり、幾つもの旋は円になって、遍く敵を穿つ。
そして円は無数に連なって、やがて連撃へと昇華する。そういうことか。
命のかかった実戦で学び得るものは、やはり甚大にして膨大であった。
サイアスは「旋の表」を繰り出すうちに「旋の裏」をも体得し、
表裏一体となった旋の本質「円」を理解して、新たな
剣術の境地と新技能「連撃」の萌芽を開眼するに至っていた。
永劫にも感じられた時の流れは、その実僅かに四拍でしかなかった。
たった四拍のうちに、四方から殺到しサイアスを押し殺そうとした
5名の兵は物言わぬ屍へと成り果てた。戦闘開始から僅か数分。
44名のうち実に10名がサイアスに斬り捨てられ、乱戦のどさくさに
紛れて北へ逃げようとした4名がラーズによって射抜かれた。
荒野の夜気に濃厚な血臭をはらませ、私掠兵たちの声にならない
恐怖と驚愕の叫び声が響き、死闘はなおも続いていた。
無言で機械的に死を振り撒くサイアスの剣技とその不気味さに、
残り30名となった私掠兵団は恐怖し委縮し硬直していた。
サイアスはそんな中悠然と繚星を血振りし、懐から出した布で
丁寧にぬぐった上で鞘に戻し、死体に突き立った八束の剣を引き抜いて
スタスタと味方の方へと戻りだした。その様にはっと我に返った
私掠兵たちは顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげた。
「クソッ!! 舐めやがって! 撃て、射殺せェッ!」
誰ともなくそう叫んだ私掠兵団の射手たちは、一斉にサイアスの
背中目掛けて矢を放った。しかし大ヒルの一撃や鑷頭の噛みつきさえ
避けてのけたサイアスにとって、わざわざ号令をかけた上で
現在地目掛けて飛んでくる矢を避けることなど、
まるで造作もないことだった。
サイアスは放たれた7矢のうち6矢をふらりと斜めに動いて避け、
避けた分はサイアスの正面にあった矢盾に刺さった。
また振り向きざまに左手で一矢を掴み取り、さらに元の向きへと
向き直ったサイアスは、掴んだその矢をラーズへと放り投げた。
「っははは。見てて楽しくなっちまうな、大将よ」
ラーズは実に楽しげにそう言うと、飛んできた矢をそのままつがえ、
私掠兵に向けて射返した。私掠兵の一人が眉間に矢を突きたてられ、
どさりと音を立て仰向けに倒れた。
セメレーはサイアスとラーズの一連の立ち回りを、口上を述べつつ
プルプルと身体を震わせてみていたが、サイアスが自分を見やり、
肩を竦めて微笑んだため、ついに我慢の限界を超え、
「クッ…… 以下りゃぁあああくっ!!」
と吠えて敵陣に突っ込んでいった。
一見やけっぱちに見えたせいか、それともサイアスへの恐怖から
解放されたせいか、私掠兵団はへらへらと余裕の笑みすら浮かべつつ
セメレーに向かって襲いかかった。6名の兵が3列横隊で
セメレーへと詰めていったが、6名全てがほどなく短慮を死んで後悔した。
セメレーは両手剣をたかだかと掲げつつ殺到すると、
「デェェェェェエィイヤァァァアッ!!」
と雄叫びを上げつつ右上段から打ち下ろした。
前3名のうち右端の兵が首への打ち込みとこれを断じて
防御の構えを取ったが、セメレーの剣筋は稲妻のごとく鋭角に方向転換し、
袈裟から逆方向へ走り、さらに袈裟に戻って斜め下、無防備な膝下へと
吸い込まれていった。
次の瞬間、6本の足が地に四散し、3つの胴が宙を舞った。
セメレーは父譲りの下段切りをさらに昇華させた必殺剣「紫電」を決め、
薙ぎ払いの勢いそのままにぐるりと敵に背を向けた。
敵の後列3名は前衛の末路に絶句しつつも勢いを止めることをよしとせず、
マントに覆われたセメレーの背中に三者三様に殺到したが、
これはセメレーの予測通りであった。
セメレーは斜め左に踏込みざま身体を反転させ、跳びあがりつつ
強烈無比な横薙ぎを放った。殺到した3名の首は
斬り飛ばされるか潰されるかして、新たな3つの死体が出来上がった。




