サイアスの千日物語 三十四日目 その二十九
「……何だかすっかり出そびれちゃったけど」
ひとしきり騒いだセメレーの影から、セメレーより頭一つ大柄な
男が現れた。その頭には痛々しく包帯が巻かれていたが、
挙措はしっかりしているようだった。
「ランド。もう良いのかい」
サイアスは気遣わしげにランドを見た。
ランドは照れ臭そうに頬を掻いていた。
「あー、もうバレちゃってるか……
まぁそうだよね。大騒ぎだったし。
怪我の方は平気だよ、もう何ともないんだ。
凄いよねー、結構派手にやられたはずなのに」
「あちらがこうも露骨に動くとは考えていなかったんだ。
危険な目に合わせて申し訳ない」
サイアスはランドに謝罪し、ランドは大慌てで手を振って否定した。
「や、やめてね? こっちが勝手に首突っ込んだだけだからね?
全然サイアスさんのせいとかじゃなくって、僕自身の気持ちの問題で、
何か動かないと気が済まなくなって、さあやるか、ってときに
いきなりでね…… しかも何があったかよく覚えてないんだよ。
いやはや情けない……」
ランドはそう言ってシュンとした。
「まぁアレは流石にどうしようもねぇぜ。典型的な待ち伏せだ。
扉を開けるやいきなりガツンだからな。んでこいつをぶっ飛ばした後、
とって付けたように乱闘開始しやがった。
単純に、もっと前から狙われてたんじゃないか? こいつ」
「ラーズ? 現場に居たのかい」
サイアスはラーズの登場にやや驚いた。
もっとも表情は常と変らぬままだった。
「あぁ。俺は食堂の中に居たんだよ。んで外からこいつと
あの騒がしいのが近づいてくる声がしたから、入り口の方を
眺めてたんだがな。中に居た数人の野郎がこいつらの声に反応して
目配せしてな。扉の両脇で待機して、開くと同時に死角から挟撃だ。
なかなか手慣れたもんだったぜ。筋金入りの追剥って感じだ。
むしろ食堂でよかったんじゃねぇか?
人目が無けりゃ消されてたぜ。きっとな」
「シェドはどうなったか知っているかい?」
サイアスはラーズにそう問うた。
ランドも思い出したようにはっとしていた。
「あいつはまた見事なもんでな。不意打ちを綺麗にかわして人を呼んで、
乱闘に巻き込まれないよう、ランドを広場まで引きずっていった。
ちょいとして警邏の兵士がやってきて10人くらいふん縛ったんだが、
あいつはいつの間にかいなくなってたな」
「ふむ…… どこへ行ったかな」
「さぁな。やり返そうにも殴った相手は捕縛されてるしな。
なんぞ思い当る節でもあったかねぇ?」
ラーズはそう言って頭の後ろで手を組んだ。
「それで、ラーズ自身は、何故今ここへ?」
サイアスはラーズにもっともな問いを投げかけた。
「おぃおぃ、興味があったら来いっつったのはアンタだぜ、大将」
そういってラーズはニヤリと笑った。
「ま、座学で暴れる馬鹿はでるわ、飯時に乱闘騒ぎは起きるわ、
しかもあんたらは午後の訓練に居ないわとなりゃ、誰だって
こいつぁなんかあると思うぜ。ほんで一番需要のありそうなタイミング
で売り込みにきたってわけだな。まぁいっちょ面倒みてやってくれや」
「そうか。流石はラーズ。頼もしい限りだ。よろしくお願いする」
サイアスはそう言って笑い、頷いた。
「おぅよ。得物は弓だ。もう知ってるよな……
矢の数しか仕事はできんが、遠近関係なく撃ちまくれるぜ。
遠間の方が愉快な撃ち方でやれるけどな。
閣下みたいに『徹し』はできねぇが、まあ役には立つさ」
ラーズはそう言ってもう一人の兵士にサイアスの注意を促した。
第三戦隊からやってきたらしいその兵士は、皮革の胸甲に手袋ブーツと
いった一般的な弓兵の兵装であり、サレットを目深にかぶり、
手には立派な大弓を備えていた。ラーズの用いる合成級の二倍はあろうか
というその大弓は上下非対称の複雑な曲線を描いており、
箙に収められた矢は一際大きな矢羽を具えていた。
サイアスは暫しその人物を見つめていたが、
「……えっ?
まさか…… 閣下、ですか?」
と驚きの声をあげた。
「……ラーズ君、ダメじゃないかばらしては……
やれやれ、もっとびっくりさせたかったというのに」
そういってサレットを取って顔を露わにしたのは、
第三戦隊長にして城砦騎士、クラニール・ブークその人だった。
「なんと第三戦隊長閣下ではござらんか! どうしてこちらに!?
このセメレー、今の今まで気づきもしませなんだぞ!」
セメレーはそう言って声を張り上げ絶句した。
「ありゃ、閣下だ。本物、だなー……」
デレクも呆気に取られ、慌ててブークに敬礼した。
「まさか閣下自らがお出でとは私も考えておりませんでしたが……」
ルジヌもまた驚きを隠せずそう言った。
「ははは、何を言っているルジヌ君。
『腕利きを用意させて貰う』と言ったろう?
第三戦隊で腕利きといえば、まず私ということになるだろうね」
ブークはそう言って楽しげに笑い、サイアスに向かって微笑んだ。
「サイアス君。約定通り、君の力となろう。
このブークの弓、望むがままに使ってみたまえ」




