サイアスの千日物語 三十四日目 その二十六
「ねぇサイアス。暗殺者って、何かしら」
ニティヤは寝台に腰掛け、
紫に輝く特徴ある黒の瞳をサイアスに向けて首を傾げた。
「暗殺する人」
サイアスは即座に機械的にそう答えた。
「それはそうでしょうね。
じゃあ、暗殺って、何なのかしら」
ニティヤは口元に仄かな笑みを浮かべ、
サイアスの表情を楽しんでいた。
「……秘密裡に対象を殺害する人?」
「不正解。認識が甘いわ」
「むむ」
「要人や貴人といった特定の対象を、
密議に基づき専ら不意打ちを以て殺害するのが暗殺。
謀殺ともいうわ。そしてそれを行う実行犯が暗殺者。
バレないよう『秘密裡に』やるのは準備よ。後は成り行き任せね。
だから暗殺者は誰彼構わず殺したりはしないし、
必ずしも闇に紛れてこっそり殺す必要もないわ。
対象やその周囲の不意が衝けるなら、白昼堂々衆人環視でも問題ない」
「ふむ」
「私はトリクティアの占領政策の末端を担って悪事の限りを働いた
メロードの豪族・グウィディオンを殺すことだけを目的に
2年間を費やして準備した、グウィディオン専門の暗殺者なの。
グウィディオンとその一党以外の他者を目的にはしていないわ。
……手段にはするけれど」
ニティヤはそういって目を細めた。
ニティヤはマナサによく似た妖艶さを醸し出していた。
「ふふふ、手段にするというのは半分冗談よ。
半分だけ、ね。それにね、師匠はこう言っていたわ。
『人を殺した者には臭いが付く』って。
『人殺しには人殺しの臭いが判る』って。
私がグウィディオンを殺す前に他の誰かを殺したら、
グウィディオンに接近する前に臭いで気づかれることに
なるでしょうね。だから暗殺が成功するまでは誰も殺さないの」
「なるほど…… それが暗殺者、ひいては暗殺業者の発想か……」
サイアスは深く頷き関心を示していた。
「えぇ、そうね。
王侯貴族や要人は暗殺を受けることを前提に備えているから、
経験豊富な暗殺者はむしろ分析されてしまって難しいわ。
暗殺回数と暗殺成功率は反比例する、と言ってもいいでしょうね。
だから前歴のない者を一回限りの使い捨ての駒として使うの。
相手の警戒を欺いて不意を打つためにね。」
「使い捨て……」
「暗殺者の安否なんて、端から一切考慮されていないわ。
捨て身で仕掛け、成功させる。そして依頼者や組織の存在を
明かすことのないように、自害するか殺害されるの。
優れた技量を獲得した者に贈られる『マナサ』や『ニティヤ』は
ただの名跡。中身はその都度コロコロ変わるものなのよ。本来はね……」
「……」
「あぁでも、当代マナサは凄いのよ。
目標も依頼主も関係者全て、皆殺しにするから。
だからマナサに動く切っ掛けを与える者はいても、
後には誰も残らないの。当然追っ手もかからないわ。
当人はそのうち飽きちゃって荒野入りしたけれど」
「当代ニティヤは」
サイアスはニティヤを見つめて言った。
「グウィディオンを討った後、どうなる予定だったんだ?」
「私? 私はまたちょっと特殊なの。
私は両親の資産を代償にしてグウィディオンをこの手で殺すための
技術指導を受けた身。いわば名跡を買い取った『お客さん』だから。
闇社会は徹底的な実利・契約主義だから、わざわざ客に手を出す
ようなことはしないわ。お釣りにサファイアを寄越すくらいよ?
笑っちゃうわ…… もっとも、暗殺後の一切を考慮されていないのは
他の暗殺者と変わりないけれど」
「ふむ……」
「何にせよ、まずはあいつを仕留める。それが今の私にある全て。
そのあとのことは、不思議なくらい何も考えていなかったわ……」
ニティヤはそう言って足元に視線を落とし、
やがてその特徴的な瞳でサイアスを見つめた。
「でも、もし万が一生き残ったとしたら、
後のことは貴方が面倒をみてくれるのでしょう?
それならもう少し生きてみるのも悪くはないわ」
ニティヤはそう言って少し笑った。
シェーラとして生まれ、シェラザードとして育ち、
ニティヤとして生きてきたこの少女は、
サイアスが望むのであれば、そしてもしもそれが許されるのならば、
その数奇な運命の旅路をさらに進むと、そう告げていた。
「そうだね。それが良いと思う」
サイアスは微かに笑んで頷いた。
「自分で言うのもなんだけれど。
私はそれはもう、思い込みが激しいわよ?
絶対幸せにしてもらうわ。覚悟しておくことね……」
ニティヤはそう言って儚げに微笑み、すっと消えた。
「ふふ」
サイアスは小さく微笑むと書斎兼寝室を後にした。
「デネブ、ちょっと付き合ってほしいのだけれど」
簡易応接室に移ったサイアスは、デネブと共に剣聖剣技「旋」の形と
実戦での運用について、動作を交えて細かく確認しはじめた。
時折どこからともなくニティヤが姿を現し、特徴的な瞳と黒髪を輝かせて
二人の様子を見つめ、また消えていった。ようやくサイアスが
手がかりらしきものを実感するに至った頃、時刻は5時半を回っていた。
サイアスは玻璃の珠時計をデネブに預けた。そして1時間したら
起こしにくるよう頼んで書斎兼寝室へと引っ込み、
しばし仮眠を取ることにした。




