サイアスの千日物語 三十四日目 その二十二
「ベオルクよぅ。随分気を遣わせちまってすまんな。
まさかここまでの策とは思ってなかったぜ。立派なもんだ」
グラドゥスはしみじみとそう言った。
「何の。まだ上策が残っておりますぞ」
「これ以上の策か。見当も付かねぇが……」
「上策というのは、子々孫々、末代にまで
続いていくであろうこの村の永続的な繁栄を狙いとした
一策なのです。もっともこれは第三戦隊長の受け売りでして、
私が思いついたものではござらんのですが」
その時アルミナが使用人から受け取った茶色の瓶を恭しく抱き、
ベオルクの杯になみなみと中身を注いだ。
淡い黄金色の輝きを放つその液体は
七年前、村を開拓して間もない頃に最初に獲れた
ブドウで造った白ワインであった。
「おぉ…… 何と神々しい」
ベオルクは杯に揺れる黄金の波紋に見惚れていた。
ベオルクは大の甘党であると同時に無類の酒好きでもあった。
そのため常ならば甘い茶菓子と辛口の酒で対比を際立たせて嗜むのを
楽しみとしていたが、このワインに限っては話がまるで違っていた。
特級の果糖を芳醇に含むこの白ワインは、単独で
茶菓子を遥かに超える甘味を有し、さらに仄かな酸味、豊かな喉越しをも
矛盾なく具えた珠玉の逸品であり、通の間では
「ラインの黄金」と呼ばれ愛されていた。
「上策とはまさにこれ、『ラインの黄金』でございますよ」
「ベオルク様、まずは喉を潤してくださいませ」
グラティアはそう言って微笑んだ。
「ありがたや。頂戴いたします」
そういうとベオルクはグラドゥスとキン、と杯を合わせ、
するりするりとラインの黄金を飲み干し、あまりの美味に身震いした。
「言葉が継げぬ…… 感無量でございます」
8年前、荒野の支配者たる魔の一柱「冷厳公フルーレティ」を
撃破したサイアスの父ライナスは、その褒賞として騎士長の称号と所領、
そして受領と入植・経営のための1年間の休暇を城砦から与えられた。
その際ライナス配下にも同様に休暇が与えられており、
ベオルクも何度かラインドルフを訪れ、ブドウの収穫や
ワインの醸造を手伝い、束の間の平穏を楽しんだことがあった。
あの時のあのワインを、今こうして飲む。まさに感無量であったろう。
「うむ…… 不覚にも涙が漏れそうになりました。
しょっぱい涙がうっかり零れ落ちては折角の甘露が台無しです。
残りは後程頂くことにいたしましょう」
ベオルクはそう言って笑い、姿勢を正して策を語り始めた。
「先刻、城砦がサイアスの活躍を広報に活かそうとしていると
申し上げましたが、上策とはまさにそれに相乗りする形で
当ラインドルフの名産品を大々的に生産する、というものなのです。
サイアスの名が広まれば、当然その故郷であるラインドルフの名も
広まります。この地は元々『川の乙女』の伝承や『水の文明圏』との
結びつきもある古式ゆかしい地。さらにライナス戦隊長をはじめ、
今ここに居られるお三方のような傑出した名士の住まいでもある。
吟遊詩人の類はこぞって取材にくるでしょうし、酔狂な旅好きなら
自らこの村へと足を運び、英雄の足跡をその目で見ようとするでしょう。
わざわざこの地まで足を運んだものであれば、
記念の品の一つも欲しくなるはず。英雄に縁のある何がしかを
手に入れ、持ち帰ろうと思うのも無理からぬことです。
そこでそういった人々を喜ばせ、かつ城砦の宣伝ともなるような
名産特産を用意することで、城砦とサイアスの名を高めつつ村も
潤うといった結果を導けるやもしれません。
例えば今は知る人ぞ知る銘酒である『ラインの黄金』を
『銘酒・歌姫』といった風に改名し、入植者を使って生産規模を上げ
市場を潤せば、まず確実に成果が返ってくるでしょうし、
小麦を用いてワインのつまみの菓子などを作り、
『銘菓・城砦クッキー』などとして売りだせば
これまた城砦の名を広めることにもなるでしょう。
こういった形で、村民が間接的にではあれ
城砦に貢献するところとなれば、アウクシリウム同様特例として
補充兵の提供を免除される可能性があります。
まぁ可能性というか、そうなるよう我々が動きます。
つまりこの策が現実化し、さらに成果を上げたなら、
ラインドルフは当代のみならず子々孫々の代に至るまでの
繁栄を手にし、いずれはラインシュタット、
いやラインラントと呼ばれるまでに発展するやも知れません。
これが上下策のうちの上策。いわば国家百年の計ですな」
ベオルクが一息に話を終えると、
グラティアやアルミナは感嘆と喝采を与え、
グラドゥスは破顔一笑し膝を打って喜び、頷いた。
その後ベオルクは再び杯を手にし、ラインの黄金を楽しんだ。
グラドゥスはニヤニヤしつつ瓶を手にし、ベオルクの杯に次々と
銘酒を継ぎ足してやり、ベオルクは嬉しげにするすると
ラインの黄金を飲み続けた。
「かたじけなや。副長に酌をさせるとは
とんだ御無礼をお許しいただきたい」
ベオルクはそう言って笑い、
「思ってもねぇこというんじゃねぇよ、こいつめ」
グラドゥスもまたそう言って笑った。
「よし、『ラインの黄金』は今日を限りに改名だ。
今後は『銘酒・歌姫』でいく。名づけ親はお前ぇだ。
今年のラベルは全部お前ぇに書いて貰うぜ、ベオルクよ」
「おぅ、これは酒飲みの誉れでございますな。
たっぷり休暇を取って参りますぞ。そのときはサイアスも
連れて参りましょう。まぁアレにはそれまでにみっちり
馬術を仕込まねばなりませんなぁ」
「そうだわベオルク様、是非サイアスに楽譜を届けてくださいませ。
新しい曲を覚えさせましょう。練習を欠かさぬようご指導くださいね」
「では私は楽器を用意いたします。語学書や詩文集もお付けましょう。
いっそ作詞作曲もなされるように。あぁ、坊ちゃんのお好きな
動物誌や鉱物誌もご用意しないと」
「俺はそのうち送るつもりで剣術書を用意してあるぜ。
絵も字も図面も俺ちゃんの手書きだ。あいつめ、
泣いて喜ぶんじゃないか?」
「いやはやこれは…… サイアスに恨まれそうですな。ハハハ」
ベオルクはそう言って楽しげに笑い、一同は暫しなごやかに談笑した。
「ラインの黄金」のモデルは実在する白ワインで、一般には
「貴腐ワイン」と呼ばれています。なかでもドイツはヘッセン州の
「ラインガウ」のものが世界三大貴腐ワインの一つとして著名であり、
日本でも楽しむことができます。興味のある向きは是非ご賞味ください。




