サイアスの千日物語 三十四日目 その十九
城砦領であり、元城砦騎士長の所領でもある開拓村ラインドルフは
城砦をモチーフにして設計され、建設・開拓されていた。
村は北東から南西へと緩やかに傾くライン川に沿うように
造られており、川沿いの一帯は麦やブドウ等の畑となっていた。
特にこの地域で獲れるブドウには格別の甘味があり、少量ながら
生産される白ワインはこぞって高値で買い取られていた。
村の門をくぐるとすぐに小規模な厩舎と物見櫓があり、
その奥には川側に資材置き場と食糧庫、反対側に行商用の
取引所が設置され、両者の間を村の中心部へ向かう目貫通りが走っていた。
村の中心部には大きな広場と井戸、集会所等が設置され、
広場の西一帯は農地と作業所、東は村人の住居。
南側には本館と呼ばれるラインドルフ家の庭と屋敷群があり、
サイアスの母グラティアや代官グラドゥス、家宰アルミナ等々の
領主一家や特に親しい縁者等が起居していた。
人口300弱といったラインドルフの中央広場には
4、50人が入れる規模の集会所があったため、流民に身をやつしていた
ロンデミオン傭兵団の残党たちはそこに通された。屋根のある建物で
村人が大騒ぎで炊き出した食事や湯を潜らせて絞った布などを
与えられた残党たちの中には張りつめた緊張が途切れて
へたり込む者も多く、子供たちは泣き出したり眠りこけたりしていた。
グラドゥスとベオルク、そして大柄の猛獣は集会所を後にし、
本館へ向かって歩き出していた。
「しかしサイアスに部下なぁ。まだ訓練課程の途中じゃねぇのか?」
「時期的にはそうなのですが、アレは既に第四戦隊所属の
兵士となっております。階級としては城砦兵士長ですな」
ぶほっ、とグラドゥスが噴き出した。
「おいおい、そいつぁ一体……」
「ふむ、気になりますか。そうでしょうなぁ……」
ベオルクは自慢のヒゲを撫で付けつつドヤ顔でそう言った。
「……おいベオルク。忠告しとくぜ。
うちの女どもの前でその『勿体ぶりヒゲ』はやめとけ。
あいつらサイアスを城砦に取られてイライラし通しでな。
そんなドヤ顔見せてみろ、次の瞬間にゃあバッサリだ。
お前ぇのアゴとヒゲはきれいさっぱり泣き別れだぜ……」
「!? 何と恐ろしい…… 忠告痛み入りますぞ」
ベオルクは身震いして姿勢を正した。
「そうでした。先日のアルミナ殿のご活躍の件ですが」
「あー。流石に噂になるわなぁ…… 連合軍でなんか言われたのか?」
「グウィディオンの残党を始末した褒賞として、
ラインドルフに所領加増の沙汰だそうです。
ゆえに連中を連れてきたというのもあります」
「ほへー…… 確かトリクティアとフェルモリアから
追われてたんだっけな、そのグイなんちゃらと一味ってのは。
肝心の親玉はどこいったんだ?」
「どうも補充兵に紛れて城砦へ来ておるようです」
「マジで…… 手は打ってんのか?」
「ローディス閣下と第三戦隊長がうまく処理することでしょう。
一応サイアスにも調査任務を与えておりますので、
また伝説が増えるやも知れませんなぁ」
「伝説て。 ……あいつは一体何をやっとるんだ」
グラドゥスは頭を抱えた。
「我々元第二戦隊の『紅蓮の愚連隊』も大概ではありましたが……
サイアス隊はさらに洒落になっとりませんぞ。確実に後世に
名を残すでしょう。騎士には必ずや。もしかしたら」
ベオルクは遠い目をして微笑んだ。
「戦隊長を超えてくれるやも知れません」
グラドゥスとベオルクは本館前の庭で猛獣と別れ、
屋敷に入り応接室へと向かった。
「あらベオルク様。御機嫌よう。
使いであればサイアスを寄越して下されば宜しいのに」
グラティアは開口一番そう言い放ち、脇ではアルミナが頷いていた。
「はは、これは手厳しい……
奥方様、アルミナ殿もご機嫌麗しゅう。
サイアスの馬術ではまだ荒野を超えてくるのは
難しいかと存じます。当人に修練を命じておきましょう」
「なるほど、確かにそうですわね。失礼しました。
それで此度はどういったご用件でしょうか。
もしやサイアスの身に何か……」
かつては絶世の美女として広くその名を知られたグラティアは
いまだ容色衰えぬ切れ長のジト目でベオルクを見据えた。
グラティアに呼応してアルミナが殺気を放ち出し、
ベオルクは肝を冷やしていた。
なおグラドゥスは来客用のワインに手をだしていた。
「滅相もござりませんぞ!
奥方様、アルミナ殿も! どうか平に、平に願います」
ベオルクは必死になだめつつ封書を二通差し出した。
「こちらは先日サイアスがしたためた手紙にございます。
それとこちらはサイアスの活躍に関する城砦から連合軍への
報告書の写しです。ささ、どうぞご覧になってくだされ……
副長、それは私の茶菓子ではござらんか! 何故食うのです?
御自身の分はどうされた!?」
「もう食った」
「御無体な! 私が甘党なのは御存知のはずだ……!」
ベオルクはグラティアやアルミナへの恐怖と
昔馴染みのグラドゥスの相変わらずのやんちゃ振りのせいで、
いつになく興奮しているようだった。
「……アルミナ」
手紙と書状に目を通していたグラティアが
欠片の感情も感じさせぬ声で家宰の名を呼んだ。
グラドゥスの手から茶菓子を引ったくろうとしていたベオルクや、
すでに半分口に入れていたグラドゥスが凍りついた。
「はい、奥様」
アルミナは困った男たちを睥睨しつつ主に応えた。
「ベオルク様にあるだけ全ての銘菓をお出ししなさい。
7年もののワインもご用意するのですよ」




