サイアスの千日物語 三十四日目 その十
「ニティヤ、か。マナサが目を掛ける程となれば、
まず相当の者だろうな……」
ローディスが呟くようにそう言った。
「マナサ殿は確か、平原に居た頃は
『皆殺しのマナサ』と呼ばれていたとか」
ブークもまた低い声でそう言った。
「マナサはたった一人で二つの王国を三夜のうちに
滅ぼした女だ…… 幸い味方だが、敵にまわせば危ういぞ」
ローディスはどこか楽しげにそう言った。
「それはまた、凄いですね」
サイアスは感心してそう言った。単なる感心で済ませる辺り、
サイアス自身既に常識から遠ざかっていると言えた。
「……長らく争いを続けていた二つの小国があってな。
一方から相手方の王族を皆殺しにするよう依頼を受け、
マナサは一夜でそれを実行した。そして今際の際の獲物から
依頼主であった王とその一族を皆殺しにするよう依頼を受け、
これも躊躇なく一夜で実行した。もう一夜は移動と休憩に使ったそうだ」
「喧嘩両成敗ですね」
サイアスはそう言ってさも当然とばかりに頷き、
ローディスはそれをみて苦笑した。
「マナサも同じことを言っていたぞ……
まぁ、今はニティヤの話だ。その娘、マナサの一族で名跡を
継ぐ程となれば、並みの者が敵う相手ではないだろうな」
「グウィディオンとは違い、個人技によって潜伏しているとなれば、
発見も難しいと言わざるを得ないね。もっともサイアス君とは
友好的な接触を持っているわけか」
ブークは腕組みしてそう言った。
「サイアスさんは補充兵と共に訓練課程にあるとはいえ、
既に第四戦隊兵士。城砦側の人間です。
営舎の居室にまで現れておいて手を出さないというのは、
城砦側の人間へ危害を加える気がないという
意思表示であるとも読み取れます」
「私もその意見に賛成だよ。城砦とことを構える気なら、
目的を果たす前にわざわざ足の付くようなことはしないだろう。
まぁ、夜中に自室を出入りする暗殺者をわざわざもてなすような
物好きは、サイアス君をおいて他には居ない気がするがね……」
ブークは呆れ顔でため息をついていた。
「ニティヤは、何か罪に問われるのでしょうか」
サイアスはブークに問うた。
「現状、城砦関係者の間で不審死や失踪等の被害報告は出ていない。
サイアス君が居場所を提供しているお蔭で、
楽に潜伏できているのだろうね。こちらから刺激しない限り、
城砦に対して問題を起こすようなことはないだろう。
マナサ殿の話としては志願兵として入砦ということだったから、
そちらの規律違反で罪に問われる可能性はある。が、サイアス君が
部下として採用し、第四戦隊構成員ということにしてしまえば、
その辺りは全て不問にできるとも」
「おぉ、有難うございます。早急に対応いたします」
サイアスはブークに頭を下げた。
「なんの、この程度礼を言われるようなことではないさ。
ただ、ね…… その石が問題だ。食事の礼としては次元が違い過ぎる。
何かの謎かけなんだろうかね……」
ブークはそう言って、サイアスの手の上で豊かな青の輝きを湛える
大粒のサファイアを見やった。
「それほどの鋼玉であればまさに町一つ分の代価とすらなり得ます。
家宝、もしくはそれ以上の価値があるのではないでしょうか」
「命の代価、かも知れんな……」
ルジヌの言を受け、ローディスがそう言った。
「その石、ニティヤからサイアスへの形見なのではないか」
ローディスの言に一同は目を瞠った。
「形見……」
サイアスは茫然とその言葉を口にした。
「世話になった礼かそれ以上かは判らんがな……
グウィディオンとの対決が目前に迫り、死をも覚悟して、
自らの生きた証に、誰かに何かを遺そうと思ったのやも知れん。
愛刀や遺髪など、自身の一部というべき物を託す例は多い」
「……クッ」
サイアスは唇を噛みしめた。
「まだ間に合うだろう。動くなら夜だ。
グウィディオン一派が露骨に動いていると言うことは、
まだグウィディオンが生きているという証左に他ならん。
またグウィディオン側の活発な動きは、ニティヤの襲撃に備えて
のものだと考えることもできるだろう。
まぁ全て憶測の域を出ないがな……
サイアスよ。夜までにニティヤと接触を図り、短慮を思い留まらせろ。
グウィディオンはもはや城砦の敵だ。共闘でも何ら問題はあるまい」
「御意」
サイアスは厳しい目でローディスに返答し、敬礼した。
「うむ、ニティヤ君に関してはこれでいいだろう。接触できれば
グウィディオンに関する情報も得られそうだ。後は……」
その時、執務室側の扉からランドの確保に向かった兵士が
配下を連れて飛び出してきた。
「報告します!
食堂にて補充兵同士の乱闘騒ぎが発生、負傷者多数!
負傷者にはランド・ロンデミオンも含まれているようです!」




