サイアスの千日物語 三十四日目 その四
「ハッ、親の七光りか!
道理で兵どものウケがいいわけだぜ」
吐き捨てるような声が第一会議室に響き、
周囲の空気が凍りついた。デネブがグラリと揺れ、
ロイエがガタリと席を立ち、シェドの方へと向き直った。
「!? ちゃう!! 俺ちゃうぞ!!」
シェドは慌ててブンブンと手を振り否定した。
シェドの隣の席にいたランドはその証言を頷きで肯定しつつ、
後方の席で冷笑する一人の男を指差した。
「静粛に。着席なさい、ロイエンタールさん。
かような妄言に取り合ってはなりません」
ルジヌは抑揚のない声でロイエを留めた。
「ハッ、妄言ときたか。教官自ら贔屓してりゃ世話ねぇな!
所詮は女、美少年には弱いってか」
男はさらにルジヌにまで噛みつき、補充兵たちはどよめいた。
補佐役の兵士数名がさっと動き、男の席を囲んだ。
「処分する前に誤解を解いておきましょう。
表1下欄に記載の通り、城砦騎士の称号は世襲ではありません。
城砦騎士団における騎士とは純粋なる戦闘能力への評価に過ぎず、
当人のみが保有する尊称です。
称号自体はいかなる世俗的権能をも有さず、
城砦内での指揮系統に対してのみ、影響を与えます。
つまり騎士の子はただの人の子。
ただの人の子が騎士となれるかは、当人の努力次第です」
ルジヌは感情の欠片もない声で淡々と語った。
「サイアスさんが城砦で一定の評価を得ているのは、ひとえに
実戦での活躍ゆえです。ここでは魔と眷属との戦闘が
あらゆる価値を決定付けているのです。この辺りは他の方には
いずれお分かりいただけるでしょう」
「へっ、そうかよ。それはそれは」
男はなおも懲りずに斜に構えていた。
補佐役の兵士たちは左右及び後方から一斉に男を取り押さえ、
帯剣を取り上げ後ろ手に縛り上げて起立させた。
男は各部に革の追加装甲を施した鎖帷子を着用していた。
サイアスはこの男の顔に見覚えがあった。
訓練課程初日の午後、講義後にとある男がサイアスの元へ
事情の確認にきたことがあった。その折豪奢なケープを纏った
身なりの良い男のもとに、この男は居た。
「任務妨害並びに上官不敬の現行を以て捕縛し、
参謀部の権限に基づき略式裁判を執行、処分を決定します。
判決。有罪。更生の余地なし。武装及び携行品の一切を
押収後軟禁、夜の訪れと共に城外退去処分とします」
魔や眷属の跋扈する夜の荒野に装備一つなく放り出す。
これは死罪と同義とみて差し支えないものだった。
ルジヌは男を一瞥して機械的にそう言い渡し、
兵士たちに頷いた。兵士のうち2名が男を連れて
出て行った。残された補充兵たちはあまりの展開に
茫然としていたが、サイアス隊をはじめとする
数名の反応はやや特殊だった。
ロイエは無言で男を睨みつつ、
その装束や特徴を記憶と照合し、既知の傭兵や
傭兵崩れではないか確認を取っていた。
デネブは帯剣に手をかけ、男が暴れた場合即座に
抜き打ちできる体制を整えていた。そして当事者である
サイアスは、怪訝な顔で男を見やり、次いでルジヌを見つめた。
ルジヌはサイアスに含みをもった頷きを返し、
再び教壇へと戻っていった。
シェドは何やら呆気にとられて茫然としていたが、
小声で何事か呟くと気を取り直して資料へと目をやった。
ランドの表情からは普段の柔和な印象が消え、
目には危険な光が宿っていた。それはサイアスへの
侮辱に対する憤りよりも、より根深い何かがあるような、
そんな印象を持たせる表情であった。
「講義が中断し時間を取ってしまったことをお詫びします。
それでは講義を再開します。再度資料の表1をご覧ください」
ルジヌは何事もなかったかの如くそう言い放ち、
補充兵たちもこれ以上この件を取沙汰するのは得策ではないと
判断したのか、静かにその言に従った。この件は血肉を削り
命を奪い合うのが常態である荒野においては、さざ波にすらなり得ぬ
ほんのわずかな、極めて些細な波紋の一つでしかなかったが、
補充兵や城砦を取り巻く空気には、形容しがたい焦燥感のような、
遠方から漂う煙の臭いのようなものが徐々に確実に混じりだしていた。




