サイアスの千日物語 三十三日目 その十六
かくしてサイアスは補充兵の群れの正面において
補充兵に右側面を見せる形で小さな板の足形の上に立ち、
即時性の査定へと備えていた。
サイアスの前方およそ10数歩といった辺りでは、
投擲役の兵士が卵の入ったザルを手にしていた。
また別の兵士たちがサイアスの後方及び左右の側面に
板と布でできた衝立を用意し、今回は見本であるため
左右の衝立を地に伏せて置いた。
「……」
正面約10数歩先に立つ投擲役の兵士を見つめながら、
サイアスは思案を重ねていた。
兵士の手にある卵は概ね手首から手指の付け根辺りまでの
大きさのものであり、サイアスまでの距離を考えた場合
おそらくは掬いあげるようにして放るのだろう。
そしてその場合の速度はどの程度か、衝撃はどれほどになるのか、
といったことをしきりに頭の中で演算していた。
「初回は飛来する卵の速さや位置が判らないため、
かなり不利な条件となってしまうが、サイアス君なら何とか
してくれるものと思っているよ」
本気なのかどうかはともかく、ブークは笑顔でそう言った。
サイアスは普段どおりの抑揚のない声で、
「問題ありません。宜しくお願いします」
と言ってのけ、柄付きのザルを身体の正面へ構えた。
それを受けて投擲役の兵士がサイアスに頷き、
さらにブークへと頷いてその声を待った。
「では、始めてくれたまえ」
ブークの号令に応じ、まずは一投目がなされた。
サイアスの予想通り、右手で下から掬い上げるように卵は投げられ、
まっすぐサイアスの左側面、およそ脇腹の高さ目掛けて
ほぼ直線的に飛んできた。かなりの速さだ。
速度はサイアスの予測を上回っていたが、反応が間に合わぬ程
ではなく、サイアスは弾道を予測してザルを構え、卵がザルに入る
寸前で膝をたわめ左手をやや下げるようにし、腰を僅かに左へと捻って
全身を風に吹かれる草葉のように柔らかくしならせて受け止めた。
卵は無事に網の部分へと収まり、巧みに勢いを殺したことで
割れることなく動きを止めた。
「はは、お見事。では続きだ」
ブークの言を受け、兵士はサイアスへと頷いて投擲した。
いきなり不意を打って投げるようなことはしないらしかった。
次はサイアスの右側面、丁度補充兵から見える側へと飛んできた。
サイアスは既にザルに収まっている卵と衝突して割れることのないよう、
受け止める前にザルを正面へ向けたままかるく横回転させ、既にある
卵をザルの背の部分に来るようにしつつ、身体を柔らかくひねって
受け止めた。卵は無事割れることなくザルに収まり、サイアスは
中身を確認しつつザルを身体の正面へと構えた。
二度目の投擲で、サイアスは卵が投げられてから体側に届くまで
およそ二拍かかることを分析した。また卵が左右どちらかに飛来するかは
概ね兵士の手を離れて一拍目で判断が付くということも読み取った。
大ヒル相手に回避をなしえた命懸けの分析力が活きたようだった。
続く三投目、四投目と無難にサイアスは卵を受け止めたが、
ふとザルをみやると既に卵でぎっしりとなっており、
どう受け止めても飛来した卵が既にある卵と衝突すると悟った。
これを無事に収めるにはどうすれば良いか、サイアスは五投目までの
僅かな時間でめまぐるしく頭を働かせて計算した。
サイアスの内なる思考などまるで解さぬとばかりに、
兵士は頷き、五投目が飛来した。
一拍の後、それが補充兵側へくると理解したサイアスは、
まず右手にザルを持ったまま、左方向へと身体を捻った。
そして卵の飛来にあわせて右へと身体とザルとを振り戻し、
飛来する卵から逃げるようにしてザルを動かしザルへと導き、
そのまま自身の背後まで腕をまわして、ぽい、とザルを放し
瞬時に左手に持ち替えて、左側から正面へと運び、
最後はザルの底を軽く右手で押さえつつ右下方へと屈みこむようにして
受け止め、無事に全ての卵を割らずに受け止めた。
おぉ、というどよめきが補充兵から漏れ、
サイアスはゆっくりと息を吐いた。いつの間にか頬を汗が伝っていた。
サイアスは1個たりとも割ることなく5個の卵を受け止めたザルを
ブークへと見せ、ブークは深く頷いてみせた。
「素晴らしい。初見でやってのけるとは大したものだ。
どうだサイアス君。たかが卵投げとはいえ、
なかなか手ごわかったのではないかな」
「はい。これを成し得た今、
飛来する矢をも掴める気がいたします」
ブークの言にサイアスは真顔で答えた。
サイアスは自身の回避と受け流しの技術が
さらに研ぎ澄まされた気がしていた。
「はは、できればいますぐ試させてやりたいところだが、
今日のところは我慢して貰おう。何、遠からず実演の機会がくるさ」
どうやら訓練課程の後半で実際にやらされるらしい、と
サイアスは悟った。もっとも宴の訪れにより、
訓練ではなく実戦で、となる可能性をも見越していた。
「さて諸君、見ての通りだ。
この卵投げが、実はとても奥の深いものだと理解して貰えただろう?
今日の課程の最後を飾り、諸君の夕食の質を賭けるに相応しいものだ。
まずはサイアス君の組の3名から。鋭意取り組んでくれたまえ」
ブークは補充兵全体へとそう声をかけ、ロイエらを筆頭に
器用の三要素の最後の一つ、即時性の査定が開始された。




