サイアスの千日物語 三十三日目 その九
コツコツと、上階から聞こえてきた足音に
ロイエは振り向きもせず、
「おそーい、いつまで待たすのよっ。
朝ご飯抜きだったんだから、ちょっとは気を使いなさいよね!」
と愚痴り気味に声をかけた。
足音はロイエの意向とは違う返事をした。
「……サイアスさんならすぐに来るでしょう」
降りてきたのはルジヌだった。ロイエはその声に硬直し、
「ひゃいっ! ありがとうございましゅ」
となんとか取り繕って答え、敬礼してルジヌをやり過ごした。
暫くするとサイアスが降りてきて、ロイエをみて言った。
「お待たせ。
……さっき変な声が聞こえたけど何?」
サイアスは危うくロイエに噛み付かれるところだった。
ロイエの歯でも通りそうにないデネブの背後に退避しつつ、
サイアスは二人に話しかけた。
「取り合えず食事を。一旦営舎に戻ろう。
取り置きの冷菓も回収しないと」
「!!! 急ぐわよ!!」
ロイエの食欲の矛先はサイアスから冷菓へと移ったようだった。
サイアスは安堵すると同時に、自分が重大なことを
忘れていたことを思い出した。
「あぁそうか……
補充兵からの聞き取りがまだだった」
今期の補充兵に不明な点があるならば、
実際に補充兵としてやってきた者に聞くのが手っ取り早い。
無論すべて包み隠さず話すとは限らないが、
少なくとも既に配属の決まったロイエとデネブであれば
その辺りの問題も少ないだろう。サイアスはそう思い立ち、
怪訝な顔でサイアスを見つめるロイエとデネブに話しかけた。
「少し聞きたいことがあるんだ。
食事も私の居室に運ぶことにしよう」
「聞きたいこと? 何よ。私の秘密は高いわよ!」
「いやそういうのは要らない」
「ふーん。どうやら一度徹底的に懲らしめる必要があるみたいね……」
「はいはい、怖い怖い」
サイアスはデネブという盾ができたことでカエリアの実の消費が
抑えられそうなのを喜びつつ、にゅっと伸びてくるロイエの手を
巧みに回避しながら第四戦隊営舎の食堂へと向かった。
そしてデネブに氷を、自身では冷菓と果実酒を、
ロイエには二人分の食事を、とそれぞれ分担し、
サイアスの居室まで運びこむことにした。
ロイエはしきりに冷菓を運びたがったが、流石にサイアスは断った。
「デネブ、何か欲しいものはない?
食べ物でなくても一向に構わないよ」
部屋に戻って氷や冷菓、果実酒を冷蔵箱に収め、
卓で食事の準備をしながらサイアスは問うた。
デネブはややためらいつつも、古代文字で帳面に
「油」と記載した。
「……機械油のことかな」
デネブはサイアスにコクコクと頷いた。
察するに鎧の手入れに使うのだろう。
サイアスは特に追求はしなかった。
「今日の夜工房に行くから、分けてもらってくるよ。
潤滑と防錆で一瓶ずつ貰ってくる」
「あ、工房なら私も行くわ。
勲功使って装備の注文とかできるんでしょ?」
「そうだね。営舎から備品として発注もできるみたいだけれど、
実寸を確かめつつ自分の目で選んだ方が確実かもしれない」
(私も一緒に行きます)
「ん、そう? じゃあ三人で行くか」
卓の上には二人分の食事と水の果実酒割、
そして三つの冷菓が並べられた。
食事は薄く切ったパンに煮詰めたソースと絡めた
葉野菜と干し肉を挟んで
食べ易いサイズに切り整えたものだった。
デネブは食事も水も取らないようだった。
当然冷菓も食べないが、
これに関してはロイエが代行する気らしかった。
食事が済み、冷菓も堪能し終えて一息ついた頃、
サイアスは頃合と見て話を切り出すことにした。
「補充兵について聞きたいことがある」
サイアスは前置き一つなく直截に問うた。
「何よ、いきなりねぇ。それで何が聞きたいの」
あまりにも唐突かつ単刀直入な問いではあったが、
ロイエは特に動揺もなく応対した。
「うぅん、何というべきかな……
とりあえずアウクシリウムから、かな?
補充兵の参集具合や内実について、何か気になる
ようなことは無かっただろうか」
「話が漠然とし過ぎて答えようがないわ。
あんた、もうちょっとうまく質問しなさいよ」
「むー」
ロイエはサイアスの不調法な問いに呆れ、
サイアスはロイエの正論に呻いた。デネブはその様子を
見て小刻みに震えていた。どうやら笑っているらしい。
サイアスとしては極力自身の調査意図を隠したまま
うまく情報だけ引き出したかったのだが、そうそう
うまくはいかないようだった。そこで方針を変更し、
すべてバラすことにした。
「今から話すことは口外無用だ。良いかな」
「部下への信頼が足りないわねー。私がそんな口軽女に見えるわけ?
……見えるって言ったらぶっ飛ばす」
サイアスはぶっ飛ばされたくないので黙っていた。
(口外しようにも喋れません……)
デネブは帳面にそう書いてみせた。
「それもそうだね…… なんかごめんね?」
どうも気付かぬうちに、軍師ルジヌとのやりとりで感じた、
背後にあるらしき危険な何者かの思惑を、意識し過ぎていたようだ。
そう悟ったサイアスは、一呼吸入れて調子を整えた。
そして、丁丁発止の権謀術数などそもそもお門違いなのだから、
いつもどおり自分流でいこう、と開き直り、
さっさと洗いざらい話してしまうことにした。




