断章・古城にて その1
本編とは直接関係なさげなオマケです。
気軽にお楽しみくださいませ。
東西に長い楕円をした人の住まう平原の
西端より2割は城砦騎士団領だ。
平原より望む北西の果て、騎士団領の
北の彼方には峻厳なる霊峰山脈が。
天衝くが如く聳えるそれらはその実
空が落ちぬよう支えているのだと人は言う。
世界とはかの山脈を中心とした円盤だ、とも。
もっとも血の宴により到来した暗黒時代を
生きる人々には、それを証し立てる術がない。
あったとて顧みる事もないだろう。
霊峰山脈の裾野な高地を湖水地方と人は呼ぶ。
霊峰の雪解けを湛えた沼沢に満ち風光明媚。
騎士団領東端を緩やかに南へ揺蕩う、今は
ラインと呼ぶ大河の水源でもあるという。
湖水地方のうち最大の水甕の畔にはかつて
ウィヌムという名の王国があったという。
200年弱前とされる天地未曾有の大災厄。
血の宴のもたらした暗黒時代の黎明期に
人の世を導く光輝となったかの国。
城砦騎士団の誕生と前後して地上より潰えた
かの国の面影を偲ぶ詩歌は多い。中でも
市井に愛される著名なものはこう謳う。
――平原の北西、霊山の麓たる湖水地方。
そこには一際澄明な湖。湖岸には廃墟。
そして湖上の小島には古城が在った。
寄る辺なきその湖上の古城には
夜毎茫洋と灯りが灯るという。
見掛けた人々はその様を怪しみ、
口を揃えて言うのだとか。
曰く、あの島には
魔が棲んでいるのだ、と――
夜空にちりばめた星月の囁きを映す
つぶらな瞳の如き澄明な湖の水面に霞。
晩秋の夜半、仄かなその霧は水面の奥を
夜空に見立て、雲の如くに流れゆく。
湖の中央へ。そこにある小島へと。
澄明にして大なる湖の岸を囲む廃墟にも
湖の只中たる小島にも、艀の類は一つもない。
仮に小島目指して湖を渡るなら、
夜霧にでも成るしか術はない。
ゆえにかく在るが如く夜霧は
意思あるが如く小島へと。
湖上の古城へと流れていった。
夜空を映す湖の只中で孤影を影絵と成す古城。
吟遊詩人らの歌う通り、古城は今宵も茫洋と
灯りを漏らし、星月の注ぐ銀色の世界に
仄かな金色を滲ませていた。
古城の上層、とある一室。
そこには人影が一つあり、造りの良い
卓に向かって何やら作業に没頭していた。
鵞鳥の羽ペンに奇妙な色のインク壷。
円と弧と目盛りだらけの不思議な器具と
宝珠に地図に図面に短剣。
一見雑多に散乱するそれらの品々は
その配置でしか在り得ない存在感を示し
何らかの形で貴人の作業に役立っている風だ。
当世ではとんと見かけぬ古風を極めた
とびきり上物と思しき礼装を纏う
恐らくは城主と思しき貴人。
彼は時折ぶつぶつと呟き或いは相槌を打ち、
視線をよく動くその手元へと注いでいた。
手指は卓上の図面の上、中空でワキワキと。
所作は何かを組むか編むかする風なのだが
手指の先にはその実何も見当たらなかった。
「たまには扉から御機嫌よう。
早速だけど食事にして頂戴」
卓に向かう貴人の背後で音もなく
扉が開き、人影が一つ滑り出た。
纏うドレスの端々に夜霧の面影を残す
あどけなくも妖艶な美麗な少女の人影だ。
早速食事とは言いつつも彼女は
早速貴人の所作に興味津々だった。
彼女が此処を訪れる際はバルコニーからの
闖入が常。そのため貴人はバルコニーを
彼女専用の出入り口に作り変えてもいたの
だが、とまれ当人の語る通りの有様であった。
「おぉ、これはメディナ殿。
今宵はまるで真人間ですな!
バルコニーからは飽きましたか。
空腹とのことなら門番は無事ですな」
ぽいと手指から何かを放り出す風にして
貴人は席を立ち、メディナへと一礼した。
「あらあら、色々とご挨拶ね。
今日はそういう気分だったのよ。
門番ってやけにゴツい石像の事かしら。
微動だにしなかったわよ。アレ動くの?
というか食べられるの? 美味しいの?」
「食した事は御座いませんが何分蓼食う虫も
好き好きと申しますので遺憾ながら如何とも」
「誰が虫だ!」
「レトリックゆえそこは無視で。ムシシ!
にしても死んだフリでやり過ごしたか。
流石は当城の門番、生存戦略に長けている」
相変わらずとってもアレな会話を繰り広げ
つつも城門周りの修繕は不要のようだ、
などと諸々皮算用する城主らしき貴人。
早速執事プレイを開始して、星月の照らす
窓際の上質な卓へとメディナを誘った。
椅子に腰掛け望む開け放たれた淡い白亜の
バルコニーの向こうでは、満天の星空と
それを映す鏡の如き湖面とが一体化。
天地の境は宵闇に溶け、さながら銀河の只中を
小船で漂うような夢見心地な風情を醸していた。
また恐らくはかく在るべく計算し尽くされた
まず恐らくはメディナ専用なその卓の中央。
そこには白地に金の縁取りをした、小粋な
メニューが仄かに浮いて揺蕩っていた。
「なかなか素敵なおもてなしね」
ざっくばらんに言って物言いがウザいが
歓待自体には禦感斜めならずなメディナ。
「それはもぅ。
荒神は祀り倒すに限ります」
「誰が荒神よ。キレるわよ?
……あらいけない。オホホ」
いちいち一言多いのよね、と
そこはかとなくイラっとしつつも
そこは適宜にこやかさを保つメディナ。
超常の数乗な美少女の微笑であった。
一方食い物で確実に御せると見切った上で
どこか荒神メンタル耐用試験に勤しむ風の
不遜なる貴人は、メディナのそうした様に
十中八九、途轍もない無理難題がたっぷり
待ち受けているに違いないと悟った。
「まぁいいわ!
それじゃあ上から順番に
全部もってきてちょうだいな」
「畏まりましてございます」
これはむしろ想定内。無理難題には当たらぬ
とて、いつのまにやら漆黒のエプロンを纏った
貴人は恭しく一礼、そしてすぅと掻き消えた。




