サイアスの千日物語 百六十六日目 その二
百年来。
荒野を目指す兵馬の群れは
未明に西の門を発つ。それが
慣わしとなっていた。
半日掛けて西の廃墟へ。
野営し再び未明、荒野へ。
廃墟がトーラナへ生まれ変わっても
この慣わしは変わらない。今未明も
やはりそうだ。
ゆえに連合軍の街である
アウクシリウムの朝は早い。
未明には多くが起き出して、
それぞれの役目に就いていた。
「それでは皆様、我らはお先に」
真円に近いアウクシリウムを四分割して
北東の区画。城砦騎士団員用の宿泊施設にて
6名の兵が敬礼した。
「うむ、気を付けてな」
敬礼を受ける20弱を代表して
漆黒の武装に身を包む武人が告げた。
城砦北東支城、ビフレストの建造や
北方領域の騎士団領化。それらを受けた
昨今では随分安全で快適となった北往路だが
異形強襲の脅威が消滅したわけではない。
帰境の際の夕刻には未知の上位眷属に
襲われもした。やはり荒野は人界ならず。
異形の巣食う異境なのだ。死を覚悟して
往かねばならぬ。
「ハッ、皆様が戻ってこられるまでに
一人前の四戦隊兵士を目指します」
かつては鉄騎衆の小隊長だった男が笑った。
件の仮面に追加して書状を三つ預かっていた。
一通はトーラナの赤の覇王へ。
一通は中央城砦の城砦騎士団上層部へ。
一通は騎士団第四戦隊副長代行ヴァディスへ。
内容はここ数日のアウクシリウムでの顛末や
仮面に関する調査の依頼。また新参6名の扱い
など多岐に渡り、基本的には三通とも同じ内容
のものであった。
アウクシリウム・トーラナ間であれ
トーラナ・中央城砦間であれ、伝達は
光通信を使うのが手早い。
だが此度のやり取りは西方諸国連合に伏せて
おこなわれるものだ。光通信は使えない。
自然に露見するかビーラー自身が公表するか、
いずれにせよ暫し時を稼ぐ必要があるため
古典的で確実な手法が採られたわけだ。
城砦騎士団長は大王国第一藩国の王であり、
トーラナ城主はその王妃。共に大王国の
王位継承権者であり、ビーラーにとっては
政敵であった。
だがサイアスを仲立ちとした意思表示により
チェルニーとチェルヴェナーはビーラーへ、
大王の意向はともかくとして、自身らは
王位継承の意思がまったく無いことを
改めて証立ててみせた。
これにより最早両者は名実共に政敵では
なくなり、むしろ大王国内に巣食う闇の勢力、
或いは大王乱心を発端として起こり得る擾乱に
立ち向かう際の心強い味方となる。
ゆえに胸襟を開き指導を仰ぐ様を態度で示す
べくサイアスらの対応に賛意を示し、書状に
第一王子の印章を押してその証とした。
これにより、仮に西方諸国連合が瓦解して
平原乱世が勃発した際には、少なくとも
フェルモリア大王国内の第一藩国イェデンと
第二藩国ドゥバに関しては、城砦騎士団の
味方と成ることがほぼ定まった。
平原の西端二割を領有しつつも戦力のほぼ全て
を荒野の只中に留めている城砦騎士団としては
喉から手がでる程欲しい、平原内での確実な
味方がまた一国増えたわけだ。
騎士団領ラインシュタットへと世継ぎたる太子
を赴任させ、末娘を降嫁させるカエリア王国も
また、少なくともサイアスやラインシュタット
へは間違いなく味方するだろう。
アウクシリウムでサイアスが得たこれらの
「戦果」は、今後の戦局政局を鑑みた場合
間違いなく莫大なものであった。
午前4時。予定通りに6名は西門より
トーラナへの輸送部隊の護衛に加わり
アウクシリウムを発った。
その後ライン川に架かる大橋の警備部隊から
返書を受けたサイアスは、アウクシリウムの
常備する連合軍防衛師団より一個大隊を割いて
自身の直属と成し、大橋までの大街道沿いへと
展開さすべく先行進発させた。
目的はサイアス一行に合わせて
帰国する連合諸王の道中警護だ。
戦勝式典での暗殺未遂も踏まえ大事を取る
必要があり、それでいて暗殺未遂が在った
事を内外に勘付かせぬ必要もまたあり。
本来アウクシリウムより見送られる立場な
サイアスだが、同時に連合軍総兵力の
戦時統帥権を預かる身でもある。
単なる張子の虎でない事を内外に示すには
この程度の差配、無難にそして自主的に
こなしてみせねばならない。
そうした様々な事情と数刻分の旅程を
ひっくるめて勘案し総合し腐心して出した
結果の員数が、一個大隊1000名だった。
1000名とは人魔の大戦で百年余の戦歴を
誇る城砦騎士団が常備してきた正規戦闘員、
すなわち兵団兵士の従来の総数に等しく、
城砦騎士団全権命令者としての権能を
暗に示唆するものでもあった。
員数1000の指揮はサイアス個人の
戦歴を省みてもこれまでで最大規模となる。
だがそも荒野の城砦と平原とでは、戦力に
せよ物価にせよ10倍以上の格差がある。
つまり重み的には平原兵士1000名の指揮
とは城砦兵士100名の指揮と同程度なのだ。
何度も城砦騎士団の大隊指揮官を経験してきた
サイアスには、最も扱い易い規模でもあった。
よってサイアスは特段の緊張も萎縮も見せず
実に手馴れた様子でてきぱきと将兵を差配した。
午前5時30分。既に大隊指揮本部と化した
サイアス一行の宿泊施設へと一報が入った。
アウクシリウム以東500オッピへの
大街道を中心とした防衛展開が完了した、と。
以降は本体たるサイアス一行及び諸王侯らの
進発と旅程に合わせ、常に500オッピ先行し
防衛網を大橋へ向けて東へ東へと動かしてゆく。
そういう手筈だった。
「連合本部、そして諸王へと連絡を。
『そろそろ出立いたします』と」
「ハッ」
連合兵の伝令らが
短く応えて直ぐに去った。
その後サイアス一家や一行は、用人らに深々と
傅かれ見送られて宿泊施設を引き払った。
表通りには明らかに兵とも用人とも異なる
小柄な群れが、屈強なる武人と共に集っていた。
「どうしても見送りたいというのでな!
このアクタイオンが引率してやったぞ!」
小柄な群れとは表通りの北東の果てにある
城砦の子らの施設から出張ってきた子供たちだ。
城砦の子らが施設外へと出る事は、
本来許されてはいなかった。
だが遥かな荒野で彼らの父母と
剣を連ねて戦ってきた偉大な戦士らを。
この期を逃しては二度と会えぬかもしれぬ
神話伝承の英雄らの姿をその目に焼き付け、
その凱旋を誰にも先駆けて見送りたい。
そういう無垢なる想いが教官でもある
老騎士アクタイオンを動かしたようだ。
「そうか。よく来てくれたな」
相好を崩すベオルク。
「まー戻る時にも寄るけどなー」
頭の後ろで手を組んで
照れを隠す風なデレク。
「ありがとう。
また会えるよ。きっとね」
優しく微笑み頷いて、サイアスは
自身の一家や配下らへ振り返った。
「往こう、ラインシュタットへ」




