サイアスの千日物語 百六十五日目 その二十二
城砦騎士団、西方諸国連合、カエリア王国。
今は魔軍という災厄が鎹となって一塊だが
今後の成り行き次第では三つ巴の争いに
至りかねぬこの三者全てにおいて。
サイアスは重きを成す事となった。
騎士団は連合を仮想敵として領土東端を護る
べくこれを配し、連合はカウンターとして
自組織の重鎮に祭り上げる事で無力化を図り、
一方カエリア王国は災禍の中心となり得る
そこに次代の王を置いて両者への影響力を
維持する事とした。
つまりは乱世の気配が満ちる今後の平原西域の
情勢において。サイアスこそが三者の鎹と
成りうるのであった。
既に魔軍の脅威からは解放された中原の
三大国家の一国の立場から見れば、
ラインシュタットはまさに楔。
荒野の只中に孤立する
中央城砦に近いものだ。
逆にラインシュタットから見れば
最も強大で確実な後援者ではある。
カエリアとの関係を深める事はむしろ
ラインシュタットにとりメリットが多い。
だが次代の王たる者の身柄は災禍の中心
にとり、火に油を注ぎ兼ねぬ非常に
重いものだった。
だがその、言わば時限発火の起爆剤のような
案件を、カエリア王は「軽い方」だといった。
これで軽い方ならば、後に控える今一方は
どれほどヤバく厄い代物なのだろうか。
王を除く一同は黒の月、闇夜の只中を彷徨う
がごとき暗々鬱々、陰々滅々の心地であった。
もっとも大方には「重い方」とやらの
予想が既に付いていた。以前、四戦隊営舎の
サイアス邸にて、あのヴァディスがさらりと
示唆していたからだ。
「さてもう一つ、是非とも
お願いしたい事があるのだが」
これまではどちらかと言えば歴戦の騎士
としての気配が勝っていたカエリア王。
表情を引き締め居住まいを正し毅然。
今は超大国の王者としての気配を
より色濃く示し、サイアスへと。
否。その隣に座す
ニティヤへと向き直った。
あぁ、やっぱりか。
この時点で一同は「お願い」の内容を
完全に悟ったが、兎に角相手が相手だ。
まずは大人しく拝聴するより他なかった。
そして大国の王アルノーグ・カエリアの
語るところは、一同の心を揺り動かすに
十分なものでもあった。
「国の大小に関わらず。
王家の姫とは哀れなものでね。
世に生れ落ちたその時より。
いや、誕生するそれ以前から
政争の道具たるを定められている。
生れ落ちた直後から只管厳重に管理され
ただ只管に言われた通りを黙々とこなし
それ以外は全て否定され、徹底して
『贈呈品』として仕上げられる。
華やいだ装いは当人のためではない。
贈呈品としての価値を高めるためで
そこに喜びや楽しさは欠片もないのだ。
そして成人するや。場合によっては
10かそこらで名も知らぬ相手の下へと
貢物として嫁がされる。
当然ながら相手は選べぬ。幼女が老人に
嫁ぐなども珍しい事ではない。そもそも
誰からも政争の道具としてしか扱われぬ。
産んだ子は新たな政争の道具とされるし
政局次第で自身を含め、或いは返却され
或いは手っ取り早く殺される。
生まれ落ちてから死するまで、
一個の人としての自由は無い。
籠の中で育ち籠の中で死ぬ小鳥だ。
そして慈しみ愛でられる事もないのだ。
もっとも王家に生まれた者ならば、
男女を問わず自身の命運を覚悟している。
この時勢、成人まで無事に生きられる上
その後も衣食住に不安がないという点を
思えば、下々よりは遥かに恵まれている。
だが、単に己が『役目を生きている』だけだ。
世界に満ちた様々の驚きと喜び、悲しみを
得る事なく、生まれて良かったと実感し
感じる事なく、ただ機械的に。
当人はいずれそれを覚悟し享受する。
それが仕方のない事だと教えられ
いずれ理解するからだ。
だが。でき得る事ならば。
一個の親として己が子には
この世に生まれてきて良かったと。
あわよくば親子となれて良かったと、
そう思って欲しいのだ。
立場を思えばそれが虫の良い話だとは
判っている。だがそれでも、せめて
一つなりとも、無理を聞いてやりたい。
願いを叶えてやりたいとそう、思うものだ。
……私には子が三人いてね。
長男の下に娘が二人だ。
長男が22、長女が19。
長女は既に嫁いだが
下の子はやや歳が離れている。
今13だ。カエリアの成人は18だが、
王家の娘はそれ以下で嫁ぐ事も多い。
少なくとも相手はもう決めねばならない。
そこで先月、娘にその話をした。
お前にも王家の娘として、内外の
有力者の下へ嫁いで貰わねばならぬ、と。
その時娘が言ったのだ。願いがあると。
これまで一度も私や周囲に己が意向を
語る事なく『模範的な姫』として
機械的に生きてきた娘が、初めて。
その願いとは、サイアス。
君の下に嫁ぎたいという事だった。
君自身には預かり知らぬ事だろうが、
今夏より我が国をはじめ平原の随所で
君の名とその活躍は新たな英雄叙事詩
として語られている。
王宮から一歩も出る事無く、外界の事情を
まるで知らぬはずの我が娘ですら、君の
名と活躍、容貌や性格を聞き知っていた。
勿論君の活躍は君のみならず、妻君や家族、
配下と共に語られている。だがら君が
既婚者である事も当然聞き知っているようだ。
それでも、その上で。
側室の末席に加えて欲しいと、
我が娘はそう言っているのだ。
また、こうも言っていた。
兄たる長子が既に太子である事。さらに
国情の安定を思うなら、自身の嫁ぎ先は
継承権争いとは無縁の遠方が良い、と。
これは理に適った判断だ。もっとも
如何に降嫁といえど、権力が拡散し
王家の『価値』が下がるのを防ぐには
相応の権力者に嫁がせておく必要がある。
三大国家が一、カエリア王国の姫を
嫁がせるに相応しい格を有する相手。
そうした意味でも連合辺境伯は適切。
そういう訳でもある。
……いや、小賢しい理屈はよそう。
要は単なる親馬鹿なのだ。
娘が生まれて初めてしてくれた願い事を、
是が非でも叶えたい。それが私の本心なのだ。
サイアス。そして御家族の方々。
側室の末席ですら有り難い。
御家中の序列は我が命に代えても
絶対に守らせる。
だからどうだろう。何とか我が末娘を
引き取ってやっては貰えないだろうか」




