サイアスの千日物語 百六十五日目 その二十一
城砦歴107年第263日の時点において、
サイアス・ラインシュタットは大別して
3者と主従関係を有していた。
まずは言わずもがな、城砦騎士団だ。
人界を離れ異境の荒野の只中に孤立して
人魔の大戦の矢面に立つ軍事組織であり、
サイアスにとり最も直接的で絶対的な主だ。
城砦騎士団は西方諸国連合軍隷下の独立軍団
であると同時に、平原の西端2割を占める
広大な所領を有する序列4位の大国でもある。
サイアスはこの国家としての城砦騎士団より
父が拝領していた所領の継承を認められ、かつ
己が武勲にてさらなる所領をも受領している。
封建制度における御恩と奉公の関係であり、
つまりサイアスにとり城砦騎士団とは契約上の
実の主君。一領主としての存在条件でもあった。
次に西方諸国連合だ。
城砦騎士団の上位にして母体でもあるこの
組織には、平原西域に存在するほぼ全ての
生活圏と中原の三大国家が所属している。
サイアスはこの西方諸国連合に対して一領主
として。また同時に国家としての城砦騎士団の
次席代表として名を連ねていた。
これらの二つの立場は城砦騎士団員である事が
前提要件となっている。つまりサイアスは
西方諸国連合にとり陪臣。間接的な主従関係
を有していた。いたのだが。
サイアスは、西方諸国連合軍の現最高司令官
である元城砦騎士団長セミラミス・アムネリス
の「策謀」により、連合大王位相当の兵権を
下賜された。
この兵権は連合公爵位たる国家としての
城砦騎士団が有するものよりも大きいものだ。
要は越権、要は上位組織からの引き抜きなのだ。
連合の現在の規模的に、兵権が飽くまで形骸に
過ぎぬため実質的な問題へと発展してはいない。
だがいざ平原乱世が深まって仮に騎士団と
連合が対立する運びと成った場合、間違いなく
サイアスは困難な状況に直面する事となろう。
最後はカエリア王その人だ。
西方諸国連合下の生活圏ほぼ全てが有する
賦役、兵士提供義務を己が一身にて履行すべく
自身と自領の契約上の主である城砦騎士団へと
早々に赴かんとしたサイアス。
その輸送を、城砦騎士団所属の駐留騎士団。
専ら平原と荒野間の物資輸送を任務として
三大国家が回り持ちで引き受けているこの
外郭的な軍団の、当時の担当者。すなわち
カエリア王国王立騎士団が引き受けた。
そして旅程で武勲を挙げたサイアスを見込んで
王立騎士団の代表であるカエリア王その人が
自らの従騎士に叙勲。後見する事となった。
後、荒野におけるさらなる武勲に基づき
「天馬騎士」たる王立騎士団正騎士へと昇進。
これによりサイアスにはカエリア王国内での
権能をも付与される事となった。
カエリア王立騎士団とは、現カエリア王たる
アルノーグ・カエリアその人が個人で所有し
経営する私兵集団だ。
これに属するサイアスは本来飽くまで王個人の
臣だった。元来サイアスはカエリア王国の国民
ではないため、カエリア王国や王家そのものと
主従関係を有しているわけではなかった。
そもカエリア王がサイアスを準騎士さらに
正騎士としたのは、城砦騎士団での立場を
後見するのが目的で、与えられた権能も
西方諸国連合が下賜したのと同様、多分に
形骸としてのものであった。
だがサイアスはカエリア王と王立騎士団に対し
形式的な主従以上の「想い」を有していた。
サイアスにとりカエリア王は心の主君であり
王立騎士団とは初めて得た戦友だったのだ。
ゆえに城砦騎士団領である自身の所領に
カエリア王国の公館を建てた。王への感謝と
忠義の証として、自らカエリアの側へと一歩
踏み込んで見せたわけだ。
西方諸国連合と同様、カエリア王国と
城砦騎士団とは当然ながら別の組織だ。
よって連合と同様、今後の平原乱世の行く末
次第では――国土が余りに遥遠に過ぎるため
その可能性は恐ろしく低いが――敵対する事
もまた有り得る。
それでもサイアスは自ら一歩踏み込んだ。
これをカエリア王が喜ばぬ訳はなかった。
西方諸国連合序列2位。三大国家の北の雄たる
カエリア王国とその主たるカエリア王にとり、
サイアスの所領なぞ文字通り「取るに足らぬ」
大海原の木っ端の如きものだ。
だがカエリア王は、サイアスの想いを大いに
意気に感じていた。公館設置の意向を書簡で
打診された際は手を打って喜んだし、サイアス
の平原の帰還を王立騎士団を率い出迎えもした。
そしてさらなる返礼として。類まれなる
厚遇として、自らの実子を。世継ぎたる
長子を預けたいという。
これ以上の誉れなぞそうはなかった。
もっとも全てが善意一辺倒というわけではない。
その事はつい先刻、王その人が語った内容が
豊かに示唆していた。
虚実諸々、引き継ぐ事は多い、と。つまり。
カエリア王が次代の王たる長子へと引き継ぐ
ものとして、城砦騎士団の次席代表たる
サイアスと、その所領ラインシュタットが
含まれているという事だ。
カエリア王はサイアスに、いずれ我が子にも
仕えてやってくれ、と暗にそう言っているのだ。
岡目八目に、辛らつな見方を
するならばこれは「地雷」だ。
素性はともかく性情も性状も政治信条も判らぬ
相手と主従と成るなぞ愚行も愚行、その骨頂で、
知人の知人の連帯保証人になるようなものだ。
暗君に仕えたがゆえに不遇をかこち、その
才覚を無為に費えさせた臣下の逸話なぞは
それこそ枚挙に暇がない。
事と次第によっては。何かの拍子にまかり
間違えば、平原乱世を取り返しの付かぬ
ところにまで深める、そんな結果すら
招いてしまうかも知れない。
いずれにせよ彼我の立場を思えば重々熟慮を
重ねた上で、なお慎重に応答して然るべき。
だが、サイアスは。
それでもなお、即答した。
「望外にして過分なる果報、
有り難く頂戴致したく存じます」
もっとも無思慮の故ではない。
「ただし当領は今後、平原乱世の渦中へと。
さらにその最前線へと変じ得ます。
次代の王たる方が留まるには聊か
危険に過ぎようかとも存じますが」
「危険」とは単に戦闘に巻き込まれる
可能性、それのみを指してはいない。
万が一、億が一ではあるにせよ。
サイアスが王の長子を人質に取る可能性をも
示唆していた。そしてそれを、多分に迂遠に
ではあるが、臆する事無く馬鹿正直に告げる
のがサイアスの「らしさ」でもあった。
とまれそうした意図の判らぬ
カエリア王ではなかった。が。
「望むところだ。
カエリアの王は、何よりもまず
カエリアの騎士でなければならない。
己が剣で命運を切り開けぬ者に
次代の王たる資格などないのだ。
武運なくして王器は満ちぬ。
試し見極めるにも良い機会だろう」
と笑んでみせた。
「有り難きお言葉。
我が名に懸けて
しかとお預かり致します」
とサイアス。
右手を左胸に当て、
深々と王へ一礼した。
「あぁ、宜しく頼む。
名はアルスター、歳は22だ。
早ければ来月早々にもそちらへと」
カエリア王は実に満足げに頷いた。




