サイアスの千日物語 百六十五日目 その二十
検分と考察が済んだ後、仮面の残骸は再び
布地に包まれて、元鉄騎衆の小隊長だった
サーティノックズの一人へと手渡された。
彼らは明朝トーラナへ。さらにその翌朝には
原隊であった今期駐留騎士団の鉄騎衆と共に
荒野の中央城砦へと進発。入砦し第四戦隊へ
編入される見通しだ。
暗殺騒動の標的とされたビーラーとしては、
少なくとも大王の関与の有無が明確となる
までは、此度の件を可能な限り秘密裡に
「処理」したい意向があった。
事が明るみになった際に連合軍や加盟国に
与える影響の重さを思えば、騎士団としても
これに否やを唱える理由はない。
ゆえに騎士団の上位機関である連合軍に
気取られあれこれと口を挟まれるその前に
証拠物件でもある仮面の残骸は、さっさと
荒野へ運んでしまいたい。
そんな状況下、採り得る選択肢のうちで最も
信頼できる一手として、サーティノックズに
白羽の矢が立ったのだった。
既に対異形戦闘を。それも上位眷属との死闘を
経験し勝利している事から、サーティノックズ
はかつてのサイアスと同様、入砦と同時に
第四戦隊兵士として本採用となる運びだ。
当座はデレク不在の四戦隊騎兵中隊を差配する
インプレッサやレガシィらの下で「最後の猶予」
たる訓練課程を受けつつ、馬術や騎射の訓練に
励む事となるだろう。
サイアス一家や護衛とは異なり、ベオルクや
デレクは一朔望月後には荒野へと戻る予定だ。
よってその時分までに「仕上がって」いれば
それで問題ない。
平原での休暇を返上した分サーティノックズは
再度の実戦までに最良の環境で十分な準備期間
を取れる事となったわけだ。
元より素質や気質は折り紙付き。間違いなく、
良い意味でも悪い意味でも、一人前の四戦隊
兵士と成る事だろう。
明朝アウクシリウムを発つのは何も
サーティノックズばかりではない。
式典を終え、その後の宴で連合加盟国の
諸王らとの懇親をも終えたサイアスと彼の
一行もまた、赴任地でありまた故郷でもある
騎士団領ラインシュタットへと出立する。
さらにこれに合わせ、どうせ帰り道だから、
と西方諸国連合加盟国の大多数の諸王らが
供らと共にアウクリシウムを発つ予定だ。
騎士団領アウクシリウムから西方諸国や
中原の三大国家へは、まずは大街道を数刻
東進し、騎士団領の東端域を南北に流れる
ラインと呼ばれる川に架かる大橋を渡って
さらに東進する必要がある。
騎士団領ラインシュタットはその大橋の
南方。要は帰路の最寄にあるのだった。
連合諸王は今後西方諸国全体の守護をも担う
新たな連合辺境伯の凱旋を、しかと見送って
やろうと意気込んでいた。
お陰で明日の旅程は万人単位で、となる。
奇しくもサイアスの授かった連合軍総兵力
相当の軍権を内外へと示威する、格好の機会
とも相成ったのであった。
とまれ翌朝も早くから動く。既に午後9時。
城砦騎士団式に言えば第四時間区分中盤だ。
余り長居も宜しからずとて、カエリア王は
ベオルクに続き早速自身の用件を切り出した。
「サイアス。今夜私がこうして伺ったのは、
単に親睦を深めたい意向も勿論あるのだが。
カエリア王として、また一人の子の親として
是非とも君に頼みたい事があったからなのだ」
サイアスにとり、カエリア王は主君であり
恩人であり、偉大なる先輩騎士でもある。
「何なりとお申し付けください。
この身に成しうる事ならば、
喜んでお引き受けいたします」
頼み事は恩義に報いる絶好の機だ。
実に嬉しそうにそう返じた。もっとも
「あぁ。そう言ってくれると思っていたよ。
だがまぁ、君の一存だけではどうにも
ならぬ事もまた、あってね……」
何か。何か含む所もありそうだ。
「……何だか嫌な予感がしてきた」
経験則に照らしたなら、このパターンは
宜しくない。サイアスは暗雲立ち込める
気配を感じた。
「まぁまぁ。じゃあまずは
『軽い方』からいこうか」
そんなサイアスをしれっといなし、実に
良い笑顔でさらりと告げるカエリア王。
「……ハッ、拝聴いたします」
「重い方」が実に気懸かりで
仕方ないサイアスではあった。
「既にヴァディス辺りから
聞き及んでいるかも知れないが。
私は数年内に王位を退くつもりでいる」
「そうですか……」
確かにそう聞かされていた。
跡を現太子である長男へと
継がせる意向なのだとも。
「何かあっても何とかしてやれる、
その内に位を譲っておきたいのだ。
もっとも実際はその『何か』を
片付けてからになりそうだが」
「成程……」
王の言う「何か」が指すのは、平原に満ちる
「戦乱の気配」だろう。確かにこれを何とか
せねば国内問題への専心は難しかろう。
国であれ家であれ、引き継ぐものが
大きければ大きいほど争いが起き易く
不安定な状態が続くもの。
史上、継承絡みで勢いを失いそのまま
滅んだ国などは掃いて捨てるほどある。
だからこそ自身の目の黒いうちに、無難に
確実に片付けておきたいとする例は多い。
カエリア王の対応は珍奇な例ではなかった。
「単に王位を継がせるだけなら、
ぽんと片手間にできるのだがね。
虚実諸々、譲るべきものは多岐に渡る。
事が動き出せば少なくとも継承者は
雁字搦めで身動きが取れなくなるだろう。
私は楽になる一方だがね。退位後は何一つ
気兼ねなく王立騎士団長に専念するつもりだ」
「はぁ」
どうやらカエリア王の場合、さっさと位を
譲って一人の騎士に戻りたい、そんな望み
もまた見え隠れ、というか見えまくりだった。
「まぁそういう訳でね。
息子が多少なりとも動き回れるのは
この機が最後になりそうなのだ。
元々アレは私と違って、自ら方々を
駆け回るタイプでもないからね。
だからせめてこの機に国外へ出して
諸々見聞させたい、そう思ったのだ。
まぁ早い話が『留学』だ。
建前は勿論、『公務』だが」
「ふむ」
他国にさきがけ官僚制度を整備して内政の
少なくない部分を太子と大臣らに任せ、自身は
専ら連合軍務に励むカエリア王だが、今後は
内政の全てを完全に丸投げする意向との事だ。
ただそうなると、現状既に忙殺され気味な
太子は必殺待ったなし。そこで中央城砦が
補充兵に与える「最後の猶予」の如き期間を
設け、勉強ついでに羽を伸ばさせてやりたい。
王の願いの一つ目とはそういう事だ。そして
「赴任先は騎士団領ラインシュタットに。
君が建ててくれたカエリアの公館に
したいと考えているのだが、どうだろう。
サイアス。暫し君の下で我が子を
学ばせてやっては貰えないだろうか」




