サイアスの千日物語 百六十五日目 その十八
「仮面、か……」
精緻な装飾の卓上中央で黒地の布に安置された
暗灰色の、恐らくは陶器製の仮面の断片へと
カエリア王は厳しい眼差しを向けた。
「魔剣は『既に骸だ』と申しております。
取り立てて危険はないものと存じますが、
矢張り陛下自らお手に取られるのは
避けられた方が宜しいかと」
「あぁ、そうだな……
既に骸とは、斬るまでは
『生きていた』という事かな」
ベオルクの説明に重々しく頷き
尋常ならざる事象ゆえにか、
再確認をするカエリア王。
「そういう事になりましょうな。
もっとも『本体ではない』とも
申しております。
恐らくは複製したものに意識の一部を
移した化身の如きものではないかと」
「ふむ」
およそ人智の外なる事象だが、荒野の異形と
戦闘に及んだ経験も少なくはないカエリア王だ。
受容にさして時間は掛からなかった。
「本体は何処かで未だ健在、
そういう事なのですね」
とサイアス。
帰境前に仮面絡みで一騒ぎあったため、
脳裏に残るそちらの仮面と照合していた。
が、ヴァディスがブン殴ってかち割ったものと
魔剣の蒼炎が薙ぎ払い滅したものとでは状態が
余りに違う――魔剣は化身格を鮮やかに斬断。
ヴァディスは本体格を木っ端微塵に粉砕――
ため、すぐに諦めざるを得なかった。
むしろ魔剣に勝るとも劣らぬ姉の破壊力に
戦慄を覚えざるを得ぬ感じであった。
じっと仮面の断片を見据え、やがて額に
手をやり唸るげなサイアスに怪訝な顔を
しつつもベオルクは
「うむ。とはいえ本体と『繋がった』
状態ではあったそうでな。化身越しの
本体も片目を潰してやったと息巻いておる」
と応答。一同は何となく
魔剣のドヤ顔を想像した。
お陰かどうか気を取り直したサイアスは
仮面の損傷度合いを再確認してみた。
「成程……」
袱紗に乗るのは仮面の向かって右上部を
中心とした4割ほどで、左目部分は
無傷で残っていた。
魔剣を通じてベオルク曰く、不意打ちに
意識の切り離しが間に合わず、本体にも
僅かながら斬撃が及んだとの事だ。
とまれ何処にせよ遥か遠地に潜む存在さえ
斬穫してのける魔剣の凄まじさを、一同は
再認識させられたのだった。
「先のラインドルフ防衛戦と言い、
騎士団領内の魔法陣といい。今年は
仮面絡みの事件が相次いでいるようだ」
防衛戦についてはサイアスからの書簡で。
魔法陣についてはヴァディスやトーラナ
経由で詳細に至るまで知り及んでいる
カエリア王は、そう告げ一同共々
暫し黙考した。
「これまでに類例は無かったのでしょうか」
とサイアス。
「うむ、ワシも気になって調べてみたのだが」
とベオルク。
「連合軍の記録によれば、50年程前に
似た事案が数件起こってはいたようだ。
城砦暦と連合暦には誤差があるため検証
は要る。が、今から50年程前と言えば
中央城砦が陥落の憂き目を見た頃だ。
当時の帝政トリクティア中枢を闇の勢力が
蚕食していた可能性を指摘する資料もある。
迂闊な事は言えんが此度の件と当時の件、
無関係と断ずるのは楽観的に過ぎような」
と補足した。
「そうですね。私としては
魔の顕現周期との関連性も、
気になっています」
「……うむ、けして在り得ぬ話ではないな。
そうなると、まず真っ先に疑うべきは
奸智公ウェパルということになるが」
荒野における黒の月、闇夜の宴に顕現する
荒神たる「魔」の顕現には、十数年から
数十年ほどの周期が在ると見られていた。
仮面の事案の特殊性を思えば、此度は顕現こそ
しなかったものの活動期には入っている、他の
魔とは余りに異なる魔。奸智公ウェパルの名が
真っ先に挙がる。
従来の魔らとは明らかに異なり、人なるものに
並々ならぬ興味を示して人語すら習得し、直接
顕現して暴威を振るうより高次に留まったまま
暗躍し観劇に耽る事を好む。
人魔の大戦そのものに興味はなく、単に
自身の箱庭で起こる余興として楽しむ。
そんな中、人の軍勢に在って綺羅星の如く輝く
サイアスを飛び切りお気に入りの役者または
お人形と見做し、態々化身で会いに来る等
何くれとなく構ってくる。
余りにも異質で特殊なこの魔の存在が確認
されたのは今年が初めてだとされているが、
50年前の時点では騎士団側に気取られて
いなかっただけかも知れない。
折りしも一夜限りといえど陥落の憂き目を
経ている。資料の散逸で情報が継承されて
いないだけかも知れぬのだった。だが。
「現況を総合したならば、
それは無いかと存じます」
サイアスははっきりとそう断じた。
いずれ戻る、だから待ってろ。
そう奸智公ウェパルと約束した。
そしてウェパルはサイアスらの帰境を
阻害し意趣返しせんとする大魔百頭伯爵の
手勢を、自らの子飼いを使って討たせもした。
仮に今後平原で大規模な戦乱なりが起きた場合
サイアスの荒野への帰還は間違いなく遠のく。
それを奸智公ウェパルが良しとする筈がなく、
ゆえに平原での「悪さ」はしないはずだ。
それがサイアスの論拠、というか確信だった。
言わば人類の敵たる魔の親玉格を
庇うが如きその断固たる物言いを
おかしく感じたデレクはつい、
「今やお前にぞっこんだしなー」
と苦笑し、ラーズも
うっかり釣られそうになった。
だがラインシュタット臣下としての
心得が辛うじてラーズを思い止まらせた。
「……」
案の定デレクをジト目するサイアス。
無論サイアスばかりではない。嫁御衆に
愛娘、愛馬の巫女や肉娘らもセットだ。
「ぃや待て、俺は客観的な事実を」
「……」
「……」
客観的な事実である、その事は畢竟、
失言の免罪符にはならぬ。ならぬのだ。
ラーズはとっくにあちら側。ベオルクは
常にベリル側であり、抜群の政治手腕をも
有するカエリア王その人が、この手の事で
ヘマなんぞするはずもない。
護衛に救いを求めても無駄。
デレクの味方はゼロであった。
もっともカエリア王その人の手前、脱線
し過ぎるわけにもいかぬので、デレクへは
専ら女子衆の総意を代表したニティヤより
「最低の屑長」
との有り難いお言葉が
下賜されるに留まった。
「」
赤の覇王が授けた元鉄騎衆らへの小隊名
「サーテイ・ノックズ」がその実何を指して
いるのかは言わずもがなであったものだが、
こうしてはっきり言われてしまうともぅ、
実も蓋もなく立つ瀬もない感じではあった。
これは荒野にまで直裁に広められそうだ、
と絶句し絶望するデレクであった。
そんなデレクを生暖かい目で見やり
「『使い』は無事に済ませたのか?」
と問うベオルク。
デレクと合流したのはつい先刻の事で、
顛末の報告を未だ受けてはいなかった。
「あっはい。
予備の武器やら物資も渡しときました。
街道は止めて徒歩で山地を突っ切るとか。
母親の安全が確保できたら、まずは
ラインシュタットに出頭するそうなー」
「ふむ、良かろう」
郷里へ向け、乗り潰す前提で早馬を疾駆させる
かの女へと、相応に時間が経過した後追走した
デレクだが、難なく追い付ききっちり役目を
果たした上、何事も無かったかの如くしれっと
帰還していたようだ。
速度差や時間差を思えば不可能にすら思える
難行を、実に如才なくこなしてのけたデレク。
これには当代異数の馬術の達人たる
カエリア王その人も大いに感嘆し賞賛した。
お陰で失言は帳消しとなった。口は災いの元と
芸は身を助くを地で行く風なデレクではあった。




