サイアスの千日物語 百六十五日目 その十六
小部屋の壁に描かれた人影。
脅えて伏せる小振りな獣を急襲する荒ぶる
猛禽の如き影は、暫し絵画を真似てか動かず。
ややあって猛禽に似た影は
しわがれた声を軋ませた。
「……時に」
「ハハッ」
平伏し萎縮するする武官としては
沈黙されたままの方が恐ろしいらしく
間髪いれず応えを発した。
「一大事の起きた後にしては
周囲の『気配』が穏やか過ぎぬか」
超大国の代王たる王子への暗殺未遂が
起きたのだ。会場のあるこの施設などは
蜂の巣を纏めて数十突いたような大騒ぎと
成っていて然るべき。
気密性が高く光も音も入り辛い貴賓室だが
施設全体を多数の人出や兵らの駆け回る
騒々しさの「気配」は十分感知し得るはず。
護衛らの詰め所が隣接するこの辺りなら
遠雷の如き怒号や振動があって然るべきだ。
にも関わらず凪時の波打ち際宜しく
ひっそりとした佇まいだった。
暗殺を仕掛けた時点で目的を達成しているため
顛末にはほぼほぼ無頓着であった老いた影だが、
自然と警戒心が込み上げてきた。
式典の催された議場へは、諸王の随行した
供回りは1名しか入れない。大王国側の
その1名とは先に退いた人影であった。
ゆえに老いた影は詳細を知らず、
武官の影としても報告でのみ。
そして暗殺失敗、正確には未遂との結果に
着目する余り、過程を省みてはいなかった。
「それにつきましては」
とそこで武官は改めて、言わば失敗に
気を取られ上の空で半ば聞き流していた
事の次第を反芻するように報じた。
「城砦騎士……」
しわがれた声が忌々しげに軋んだ。
「召喚陣の破壊といい此度といい、
荒野で喰われておれば良いものを
態々我らの邪魔をしに出張るか……」
これまでどこか達観し揶揄する風だった
その声音には憎悪や怨嗟の色合いが増して
容貌同様の禍々しさを室内に充満させた。
「今後は騎士団領内東端に城砦騎士を
常駐させ、平原側への備えとする模様です。
連合軍はこれを追認し大規模な兵権を付与。
平原西域全体を監督させるものかと……」
「……勘付いておるな……
だがそれで覆せるものでもない。
最終的な絵図は予測できようが、
手筋は正しく神のみぞ知る、だ。
とまれ此処は早急に引き払おう。
無駄に勘の良い連中の事だ。
遠からず感知し殺到する恐れがあr」
唐突に。
焦りを覚えたしわがれ声は
不意に、唐突に途切れた。
暗がりの充満する小部屋には
夜明けの如き蒼炎が迸り、
壁の老影を薙ぎ払った。
ざらつく鉄板を摺り合せたが如き
耳を覆わんばかりの絶叫が短く。
急転直下の闇色オペラに驚愕し硬直した
武官が目にしたもの。それは先刻までの
猛禽の如き影よりも、遥かに禍々しい
蒼炎に包まれた暗黒の騎士であった。
「とうに手遅れだ」
その手の剣より迸る蒼の炎を奈落のガーブの
如くに纏い、夜明け色の小部屋に佇む騎士は
低く笑った。
そして闇夜に魔と出くわしたが如き
驚愕と恐怖に心身を引き攣らせて
床にへたり込む武官へと
「もそっと喋らせたかったが仕方ない。
後は貴様から得るとしよう」
底冷えのする声を放ち、
魔剣を突きつけた。
「語るには及ばぬ。
我がフルーレティが
魂ごと啜り取るのでな……」
悲鳴一つすら、上がる事はなかった。
「済んだぞ、入れ」
「間食」に悦び明滅する剣身をするりと鞘へ
戻しゆき、ベオルクは背後の扉へと声を掛けた。
開け放たれた扉から差し込む木漏れ日風の光が
すぐに小部屋を席巻し、続いて入る武官らに
灯りも次々に灯されていった。
「ベオルク閣下、此度はとんだご迷惑を……」
未だベオルクの総身にくすぶる魔剣の
蒼炎の残滓に脅え、一連の凶事の顛末に
それ以上の恐怖を覚える武官が低頭した。
武官の後方、扉の先では複数の同一装備の
武官がおり、同一装備の複数の武官を捕縛。
小部屋へと引きずるように引っ立ててきた。
「騎士団領内で起きた事案だ。
むしろ解決への協力に感謝する。
事が事だ。我らには守秘する用意がある。
そなたらの主にも既に話が通っていよう。
対処は慎重かつ極秘裏に進めるがよい。
……これで全部か?」
武器のみ奪われ後ろ手に縛られて足元に
転がされ呻く武官らを睥睨し、自慢の
黒髭を撫でつつベオルクは語った。
「ハッ、近衛隊長以下13名です。
痛恨の極みであります……」
ベオルクに応答するのは此度ビーラーが
随行した近衛隊40の副長であった。
隊長に関しては既に「処理済み」だ。
「百年以上の長きに渡り延々連綿と
雌伏し再起を図っておるような手合いだ。
数十年生きた程度の我らでは
その策謀を暴ききる事はできまい。
気に病むな、とは流石に言えんが
まぁ粛々と成すべきを成すがよい」
とベオルクは告げ
転がる武官らを実に無造作に
抜く手も見せず抜き放った魔剣
フルーレティでひと撫でしていく。
何が起きたかすら理解できぬまま
捕縛された13名は淡い燐光と成り
剣身へと吸い込まれていった。
捕縛した側の武官らはその様に或いは
腰を抜かし、悲鳴を上げかけ口元を
押さえて速やかに退室。
逃げる訳にもいかぬ近衛隊副長は唯一人
ベオルクの傍らに居残って、直視する事も
己が果たすべき贖罪のうちと割り切ってか
青ざめつつも目を背けなかった。
ふむ、良い覚悟だ、と
目を細めるベオルクであった。




