サイアスの千日物語 百六十五日目 その十一
急転直下な脳裏の悲観に視界が暗転し
文字通りお先真っ暗といった体のビーラー。
うっと呻いて天を仰ぎ、額を押さえよろめいて
一歩、二歩と後ずさり、足はもつれ交差して
そのまま絡まり倒れる、かに見えてクルっと
旋回し正面に向き直り、腰の高さで両手を
広げて静止してみせた。
スイングしつつバックステップから
ボックスターンしキメのポージング。
やけに余裕有りげだが、実のところこれは
無意識裡の挙措だった。そう、これぞ
「フェルモリア王家の呪われた血」
の成す、余りに深き業であった。
とまれ周囲は或いは仰天し呆然と、もしくは
嘆息しつつジト目でもってこれを見守るより
他はなく、結局大事には至らぬ風なので
大人しくさらなる言動を待つしかなかった。
いや、実際はまったく動じぬ者もいた。
3名。サイアスとベオルク、そして
今一人はビーラーの供だ。
サイアスは自身の配下に似たようなのが
混じっているため、すっかり慣れっこで
今更動揺も困惑もしなかった。
ベオルクもまたそれに近いが、こちらは
自身の本望でもあるサイアスの護衛という
役目に没頭し専心しているため、他者の
如何なる挙措にも惑わされる事がなかった。
そして今一人、ビーラーの供周りだ。
ゆったりとした白のローブと薄紫のサリを
纏い、腰には細身の剣と短剣とを帯びている。
身体の線を隠してはいるが議場ではフードを
はだけているため、女性であると判別が付いた。
彼女はビーラーの後方数歩の位置に立ち
眼差しに如何なる感慨をも見せず、ただ
静かに主の挙措を見守っていた。
落ち着き払ったその挙措に。
きっと見慣れているのだろう、と
自身の経験からサイアスはそう思った。
一方ベオルクの抱いた感想は
サイアスとはまた異なるものだった。
立場の違い、そして何より剣豪として
数十年を生き抜いた場数の違いが
ベオルクに何かを知らしめたようだ。
そっとさりげなく足元を盗んで
サイアスより心持前に出るベオルク。
これに気づいたサイアスは内心
己が迂闊さに舌打ちしつつも
気取られぬようすっと腰を落とした。
するとこれまで彫像の如くに傍観するのみ
であったビーラーの供が僅かに、注視しても
そうは気づかぬほどに、微細に気配を動かした。
もっとも気配のみであり、その挙措には
毛ほどの変化もない。やはりビーラーの
やや後方で、じっと佇んでいるだけだ。
サイアスとベオルクはビーラーを視界の
中心に置きつつも、じっとそちらを見据え、
ビーラーの供はそれを知ってかこれまで
以上に彫像の風情を示した。
一瞬。
二瞬。
議場に詰める殆どの眼差しがビーラーの
芝居がかったポージングへと注がれる中、
3名は実に奇妙なお見合いをした。
三瞬。
四瞬。
ビーラーが何やらはっとして
首を振り、周囲の状況を窺い出した。
正気に戻ったものらしく、恐ろしく
気遣わしげな視線をサイアスへと。
サイアスの胸元の宝珠へと向けた。
そしてビーラーのこの挙措を以って
サイアスとベオルク、そして
ビーラーの供回りによるお見合いは
余人に気付かれぬまま極自然裡に終了した。
意識が戻ったのは良いが、脳裏の予断が混沌し
暗鬱たるのはそのままなため、言葉にならぬ
懊悩を眼差しに乗せ、難詰こそせぬものの
何とかせよといった風にサイアスを見やる
ビーラー・フェルモリア大王国第一王子。
第一王子であり代王も勤めてはいるが
未だ太子とはされていない。限りなく
跡継ぎに近いが公認はけしてされぬ、
宙ぶらりんの状態で10数年を経ていた。
ビーラーについては世評以下の知見しか
有してはいないサイアスではあったが、
こうして直に対面した事で漠然とだが
垣間見えてきたものもあった。
そうしてサイアスは語りだした。議場に
集う全ての者に言い聞かせるように。
「継承権は王族その人が有するもの。
宝珠は形骸に過ぎぬかと存じます。
『覇王の心臓』も『武王の竜胆』も
覇王や武王が所持するからこそ
継承権の証左足り得るのです。
部外者の私が持てばその価値を失い
単に稀少なだけの輝石と成り果てます。
また僭越ながらも言上しますに、
フェルモリアの法はフェルモリアのもの。
人智の外なる魔境、荒野には荒野の。
人界の辺境たる騎士団領には騎士団領の
独自の法や掟があります。それらはこの
宝珠を王位継承権の証左としていません。
そして、何よりも。
ひとたび荒野へと赴いて人魔の大戦の表舞台
へと立った者が、西方諸国以東の平原へと。
平穏なる人界へと安住する事はありません。
荒野で戦い、そして死ぬ。或いは生還し
騎士団領内で次代の英雄を鍛え上げる。
それが城砦騎士団員に許された余生です。
私が城砦騎士団の一員として任を帯び
束の間大王国に足を踏み入れる事が
無い、とまでは断言できません。
ですが大王国に留まり終の棲家とする事は
けしてない。それは誓って断言します。
ビーラー殿下、私が殿下と大王位を
巡って争うような事は断じてありません。
天地神明に懸けてそう宣言いたします」
朗々と、滔々と。
歌うように、鼓舞するように。
魂そのものに語りかけるが如く紡がれる音と
言の葉の流れには、揺ぎ無き決意と信念が。
サイアス・ラインシュタットという人の
有り様、生き様そのものが顕れていた。
聞く者は知らず頷き共感し瞑目し或いは
心中期するものを得て、その語るところを
そのままに受け入れる事ができた。
だが。
成人してより今日に至るまでの十数年。
いやそれ以前にも命を危地に曝されて
生き残り勝ち残るために多くの血を分けた
兄弟らをその手に掛けてこねばならなかった
ビーラー・フェルモリアの凍てつき乾ききった
心根を潤すところまではいかなかった。
どうしようもないのだ。
信じたいと思っても猜疑心が次々と心底より
沸き出でて、己が心を雁字搦めに絡め取るのだ。
それがビーラーという人の背負う宿命であった。
心中、そして表情に懊悩を滲ませて、
焦燥した面の充血した目で上目遣いに
サイアスを見やるビーラー。
サイアスはその様に彼の哀しみを理解し、
これではまだ足りぬのだ、とそう悟った。
そして
「書状にしましょうか」
とそっと笑んでみせた。
暫しの沈黙の後、
「……お願いしちゃっていい?」
と泣きそうな声を絞り出すビーラー。
これが精一杯。彼にできる精一杯だった。
サイアスは優しく頷きすぐに書状を認めて、
カエリア王その人をはじめその場に集う
全ての西方諸国の王侯らに頼み込み、
証立てとして一筆貰った。
カエリア王も西方諸国の王侯らも家中の争いは
当然経験してきているからビーラーの心情は
よく判るし、何よりサイアスやビーラーに
恩を売る得難き絶好の機会でもある。
一筆どころか二筆でも三筆でも、と快諾し、
すぐに西方諸国連合加盟国全てが連署。
こうして、漸くにしてビーラーの不安は
跡形もなく払拭されたのだった。




